第4話 受粉レーダー
マーヤーちゃんが意識を失った瞬間、支えていた腕にずしりと重みがかかった。
「うわっ……!」
危うく、そのまま地面に落とすところだった。
普通に重っ。
浮世さんと二人で、どうにか草の上に寝かせる。
……さて。
ここに座っていたところで、水も食べ物も、寝る場所も手に入らない。
特に水だ。喉はもうからからだった。
「ルフィーナ、ちょっと手伝ってもらえる?」
「面倒。お前らで背負え」
ルフィーナは草の上に座ったまま、さっき摘んだ花を暇そうにもてあそんでいた。
「あたしたちじゃ無理だって」
「昼間のうちは、普通の女と大して変わらない」
「うそつけー! さっき石投げたときの球速、甲子園のピッチャーどころじゃなかったから!」
「別に。どうでもいい」
「『どうでもいい』!?」
ルフィーナは、わざとらしく背中を向けた。
もう相手をする気はないらしい。
はぁ……どうする。
あたしの血を吸わせたら、手伝ってくれるかな。
口を開きかけたところで、浮世さんの手が頭に乗った。
「危ないこと、考えていましたね?」
「浮世さんこそ、危ないこと考えてますよね」
髪を撫でていた手が、一拍だけ止まった。
「お姉さんは、妹のことを考えてるだけですよ〜」
妹?
そう言う前に、浮世さんはもうルフィーナを見ていた。
「ルフィーナちゃんは、高貴な吸血鬼でいらっしゃるのでしょう?」
「ちゃん付けするな、巫女。うちの一族なんて、スーツを着ただけの獣の群れだ」
「これは失礼いたしました。けれど、その中でも別格でいらっしゃいますわ。ルフィーナさん」
「……」
返事はない。
ただ、手元の花びらを一枚、ぷちりとむしった。
「その首輪。本物の王冠を作り替えたものでしょう?」
「ほう……? 現代の工芸品じゃないのか?」
ルフィーナが低く聞き返した。
「古いカットのダイヤに、金地に銀をかぶせた石座。宝石鑑定を少し学んだ者なら、見れば分かりますわ」
「ふん。何が言いたい」
ぷちり。
また一枚。
「ノブレス・オブリージュ……」
浮世さんは、そこで切った。
「……」
指先は、次の花びらにかかっていた。
「……などとは、わたくし、申しません」
「……」
指が止まる。
「ルフィーナさん。わたくしが、なぜお山を清めに参るのか、ご存じですか?」
「知ったことか。聞く気もない」
「環境のためでも、『次の世代へ美しい自然を』などという、ご立派な理由でもございませんの」
「……」
今度は迷いがなかった。
また一枚、抜かれる。
残ったのは、あと一枚。
「自己満足ですの」
笑っている。
いつもどおり、やわらかく。
「自己満足と自己欺瞞の境目くらい、見分けはつく」
「お食事のあと、こぼれた食べかすで蟻の群れが腹を満たしたとして」
一歩、前へ出た。
糸目のまま、静かに笑っている。
「蟻が感謝しようがしまいが、食べた側には関係ございません。ルフィーナさんは、蟻ではございませんよね?」
「……」
「……」
二人は、黙って見つめ合った。
どちらも動かない。
こういう目を、数えきれないほど見てきた。
「……見事」
ルフィーナは喉の奥で笑いながら、手を叩く。
それから最後の花びらを摘み取り、浮世さんに手渡した。
「この花びらは……?」
「うちはな、我慢強いほうじゃない」
「ふふ。それは、秘密でもございませんものね」
「じゃあ、うちがいちばん我慢できないものは何だと思う」
「何でしょう?」
「嘘」
「……」
「お前は顔色ひとつ変えずに嘘をつける」
ルフィーナが立ち上がり、浮世さんをまっすぐ見据えた。
「お前の血流は嘘をつかないぞ、巫女」
「まあ……わたくし、まだまだ修行が足りませんねえ」
「まったくだ。けど、心臓を抉り出される前に、うちを説き伏せた」
二人は笑みを交わした。
浮世さんがこちらへ向き直り、小さく首をかしげた。
――お姉さん、少しはお役に立てましたか?
そう聞かれた気がした。
「で。次、どこ行く」
ルフィーナはマーヤーちゃんのそばまで歩いていき、しゃがんで横顔をのぞき込んだ。
「んー……まずは、お水と食べ物でしょうか〜?」
浮世さんは少し自信なさそうにこちらを見る。
「えっと……人が見つかれば、水も食べ物も、寝る場所も、まとめてどうにかなると思います」
人がいるなら、村があるかもしれない。
町も、国も。もしかしたら、帰る方法だって。
幸御禍津が何を考えているにせよ、早くここを離れたほうがいい。
「水のあるところには、文明がある」
ルフィーナが遠くを指した。
灌木と林が何列も重なるように続いている。
そのあいだを流れの速い小川が曲がりながら下っていた。
「つまり、信徒候補の方々もいらっしゃるということですね!」
浮世さんの顔が、ぱあっと輝いた。
いや、まず気にするのそこなんだ。
ふと見上げると、枝からぶら下がる「果実」は、鉱石のようだった。
すぐ隣から、くぐもった音がした。
ごん、ごん、ごん、ごん。
「ん?」
横を見る。
ルフィーナが、マーヤーちゃんの頭を叩いていた。
木魚みたいに!
「なに」
悪びれもしない顔で言う。
手は止まらない。
「なんでマーヤーちゃんの頭を叩いてるの!?」
慌てて手首をつかんだ。
「ロボットって、どれくらい頑丈なのかと思って。あと、中まで詰まってるのか」
「スイカでも選んでるの!?」
「面倒なやつ」
「面倒なのはこっちの台詞だから!」
ルフィーナは小さく息を吐くと、あたしの手をするりと振りほどいた。
それから、マーヤーちゃんを片肩にひょいと担ぐ。
ひょいと。
そのまま立ち上がった。
……「普通の女と大して変わらない」は?
「浮世さん。今から出発できますか?」
今すぐ水が欲しい。
「いつでも構いませんよ。ルフィーナさんは?」
「ああ。女子高生、上着よこせ」
「え!?」
「うちを太陽の下で殺す気か」
「……はいはい」
ブレザーを脱いで、差し出す。
むすっと受け取ると、肩に羽織った。
「あたしぃも、ほしいのぉ」
すぐ横から、知らない声がした。
おっさんが喉を絞って、無理やり女の子ぶっている声だった。
わけがわからなくて周りを見る。
近くに人影なんてない。
浮世さんは、いつの間にか木陰から離れていた。
顔には、はっきり嫌悪が浮かんでいる。
ルフィーナはさっきまで涼んでいた大樹を、じっと見ていた。
……あ。
この木、目と口みたいな裂け目がある。
「どうして、あたしぃから離れちゃうのぉ?」
口の裂け目が、ぬちゃっと開いた。
「木にだってぇ、女の子たちのてぇてぇを眺める権利くらいあるでしょぉ?」
「特に、そこの銀髪のおばさん」
枝が、ルフィーナの肩に担がれたマーヤーちゃんを指す。
「みんなを助けたのに、お荷物扱い。今は眠ってるけど、あたしぃには聞こえたよぉ。あの子の心の、泣いてる声が」
「『マーヤーは、負担になりたくありません』。『マーヤーは、わき毛がありません』」
「じゃあ元凶の赤毛のおばさん、前へ出なさぁい!」
ルフィーナを指した。
「……」
「うん。ずいぶん、わきの主張が強いお顔だねぇ。あたしぃに宣戦布告かなぁ?」
「まあいいや。被告二号――黒髪ポニテのおばさん。おばさんは、あたしぃを傷つけたんだよぉ」
枝先が、浮世さんへ向く。
「あたしぃから離れた理由を、千字で説明しなさい!」
「……おじさんとお話しすることなどございませんの」
「失礼しちゃうなあ! あたしぃ、まだ五歳半だよぉ? 四捨五入したら、まだ種だよぉ?」
「実がなってるけど。もう受粉してるじゃん」
あきれながら、枝からぶら下がっている鉱石みたいな実を指さした。
「黒髪ロングストレートのおばさん。受粉だなんて、レディが口にする言葉じゃないよぉ!」
「えっちだねぇ。あたしぃの受粉レーダーがピーピー鳴ってるよぉ!」
殴りたい。
「……お前はなにがしたい」
ルフィーナが、帽子のつばを押し上げた。
「やだなぁ。そんなの決まってるでしょぉ?」
口の裂け目を、にたりと歪ませた。
「おばさんたちに、お仕置きするんだよぉ」
「はあ?」
「赤毛のおばさんが摘んだその花、去年あたしぃが植えた子なんだよぉ? それを、そんなふうにバラバラにしちゃってさぁ!」
「だから?」
「全員、逆さ吊りの刑だよぉ」
「……あたしも?」
「もちろん全員だよぉ。だって、おばさんたち、仲間なんでしょぉ?」
裂けた口元から、すっと笑みが消えた。
「まずは肝臓からだよぉ」
「肝臓!?」
「そうだよぉ。肝臓から入ってぇ、目玉から出るんだよぉ」
枝が、うねり始めた。
門柱ほども太い枝が、ぎりぎりとねじれてドリルの形に変わっていく。
槍のように尖った先端が、あたしたちの急所を狙って伸びてくる。
四方を、ドリル状の枝に塞がれていた。
次の瞬間――
殺意を帯びたドリルが、一斉に襲いかかった。




