第3話 赤毛ゴリラ
――録画中。
「真織。今年は、いくつかな?」
薄暗い画面の中、ベッドだけがぼんやり浮いていた。
画面の外で、男の声がした。
「はち!」
ベッドの上で、小さな女の子がぱっと両手を上げる。指を八本、得意げに立てた。
「今夜は、寝る前に何のお話がいい?」
「『三びきのこぶた』!」
「いい子だね。じゃあ、お父さん、始めるよ」
画面の端から手が伸びて、小さな頭をなでた。
「うん!」
「お母さんぶたの家は貧しくてね。三匹の息子たちも大きくなったから、家を出て、自分たちで暮らすことになりました」
「さて、問題。子どもたちを送り出すとき、お母さんぶたはどんな気持ちだったでしょう?」
「んー……うれしい? もうお世話しなくていいから、うれしい」
「いきなり間違えちゃったね、真織」
その手が伸びて、鼻先をちょんとつまんだ。
「くすぐったーい」
けらけら笑う。
「『悲しい』だよ。自分には力がないんだって、それが悲しかったんだ」
「なるほど〜」
「じゃあ、続き。最初の子ぶたは、わらの家を建てました。けれど、大きな狼にひと息で吹き飛ばされて、そのまま食べられてしまいました。では――」
「子ぶたが死ぬ前の気持ち?」
「それはこの前やった問題。ごまかしちゃだめだよ」
その手が、女の子の腰をやさしくくすぐる。
「あははっ――」
「では、それを全部見ていた二匹目の子ぶたは、どんな気持ちだったでしょう」
「んー……安心? 大きな狼は一匹目の子ぶたを食べたから、もうおなかいっぱいで、自分までは食べられないかもしれない」
「ざんねん」
「えー? あ、わかった! 怖い、でしょ?」
「正解。では真織さん、理由をどうぞ」
男は、見えないマイクでも差し出すみたいに、片手を女の子の前へ出した。
女の子はうれしそうに、見えないマイクを受け取る真似をした。
それから、まっすぐカメラを見た。
「自分も、本当は食べられたいって思ってるのが、怖かったから」
◇◇◇
「……ちゃんと目を覆ってろ、巫女。いつも糸目だろ。見てるのかどうか、わかったもんじゃない」
「うう……わたくし、生まれつき糸目ですのに……ひどいです。よよよ……」
小さく揺さぶられて、目が覚めた。
なぜか、浮世さんの膝に頭が乗っていた。
見上げた先で、本人が嘘泣きしている。
いい匂いがした。
古い神社の、雨上がりの檜と畳が混ざったような。
「よよ……あら? お目覚めですか」
目が合うと、にこりと笑った。
「浮世さん、あたし……何があったんですか?」
周りを見回す。
昼。見渡す限りの草原に、大きな木がぽつぽつ立っている。
あたしたちは、そのうちの一本の木陰にいた。
「気絶してた。二十分くらい」
そばでルフィーナが、どうでもよさそうに答えた。
「高高度での酸素欠乏です」
マーヤーちゃんが補足する。
――そうだ。
空から落ちてたんだった!
「あたしたち、どうやって助かったんですか……?」
起き上がろうとした。
ぐらり。
視界が一気に傾いた。
「だーめ。もう少し寝ていましょうね」
浮世さんは、にこにこしたまま人差し指を眉間に当てた。
そのまま、的確に押し戻してくる。
知ってる膝枕と違う。
「ロボットが助けた」
ルフィーナが言った。
「失礼です。アンドロイドです。赤毛ゴリラ」
「お前のほうが、うちの三十三倍失礼だろ!」
「……とにかく、ありがとう、マーヤーちゃん」
マーヤーちゃんは、こくりとうなずいた。
「悲しい夢でも見ていらしたのですか?」
浮世さんが、唐突に聞いてきた。
「悲しい?」
「ほら」
その指が、頬をそっとなぞった。
涙がひと粒、指の腹に乗っている。
「あ……すみません。服、汚しちゃったかも……」
「いいえ、いいえ」
ゆっくり首を横に振った。
指についた涙をじっと見つめた。
「ご存じですか? 涙は、感情によって味が変わりますのよ」
「……味?」
返事はなかった。
浮世さんは、ただ指の腹にそっと口づけた。
「ちょ、ちょっと……っ」
顔が、ぼっと熱くなった。
何してるの、この人――!
「あら? 悲しみの味では……」
あたしみたいな陰キャには、刺激が強すぎる!
とにかく、話題を逸らさないと。
二人が、じーっとこっちを見ている。
「ところで、空の黒い点なんだけど……」
慌てて切り出した。
「周りが光ってるやつか。さっき巫女と確かめてた。見えるときと見えないときがある」
ルフィーナは片目を覆い、空を睨んだ。
「まあ、いけませんよ。真昼の空をじっと見ては、目を痛めてしまいます」
浮世さんが、慌てた声で止めた。
「お前も、もう一回見ろ。ロボットの言ってることが本当か確かめる」
「アンドロイドです。いらいらです」
「本当に困った子ですねえ」
目元に手をかざし、仕方なさそうに空を仰いだ。
「どうだ」
ルフィーナが聞いた。
「また見えませんねえ〜」
「うちは逆に、また見えた。おい、女子高生。お前も試せ」
「あたし、ずっと見えてるよ? 針で突いたみたいに小さくて、周りの空だけ、かすかに歪んでる」
「白石真織の思考は、通常の人類と異なります」
マーヤーちゃんが口を開いた。
「へ?」
「鼻はいつも視界に入っていますが、ほとんど意識されません。何を『見えた』と認識するかは、『世界はこうであるはず』という予測にも左右されます」
目の前まで歩いてきた。
「はあ……あたしは、あの黒い点が何か知ってるから」
「白石真織は、見えたから認識したのですか。認識したから、見えたのですか」
すっと腰をかがめる。
青と緑の目が、まっすぐこちらの目を覗き込んできた。
「……あはは」
「女子高生も知ってるのか」
ルフィーナは、どさりと草の上に寝転がった。
「やはり……あれなのでしょうね」
浮世さんが、静かに言う。
「ブラックホール」
マーヤーちゃんが、小さく断定した。
誰も、すぐには口を開けなかった。
「まあ、小さいし平気だろ」
ルフィーナは近くの花を一本摘み、目の前に持ち上げて、じっと眺める。
「何をおっしゃっているのですか。ビー玉ほどでも、質量は地球ひとつ分です」
マーヤーちゃんが眉を上げた。
「それに、あれはこの星へ接近しているようです」
「……到達まで、どれほど?」
浮世さんが尋ねた。
いつの間にか、その顔から笑みが消えていた。
「マーヤーに観測させてください。マーヤー!」
突然、空に向かって自分の名前を呼んだ。
何もない空間から、銀色の尖った先端がすうっと滑り出た。
前触れもない。
音もない。
ずっとそこにいたものが、透明をやめただけみたいだった。
影が落ちてきて、あたしたちの顔をじわじわ覆っていく。
銀色の三角形の飛行体が、頭上高くに静止していた。
「なに、あれ!?」
「さっきうちらを拾ったドリ○ス」
ルフィーナが、ぼそっと言った。
「恐らく、演算中枢とトルティーヤチップスを混同しています。赤毛ゴリラ」
飛行体の声は、マーヤーちゃんとまったく同じだった。
「……ちくしょう――!」
ルフィーナが跳ね起き、石を投げつけた。鋭い風切り音がした。
「よっ」
飛行体――いや、演算中枢は、瞬間移動でもしたかのように、ひょいと避けた。
「くらえくらえ!」
「よっ、よっ」
「低軌道へ。深宇宙観測アレイを展開」
マーヤーちゃんが、低く命じた。
「了解」
真上へ急上昇した。一秒もかからない。
雲の層にぽっかり穴を開けて、その向こうへ消えた。
音は、ひとつもしなかった。
裂かれたはずの空気からさえ。
マーヤーちゃんのほうを振り返って、何か言いかけた。
けれど本人は、ぴたりと動きを止めていた。
青と緑だった両目が、どちらも同じ青になっている。
「マ、マーヤーちゃん?」
何が起きてるの。
「マーヤーに話しかけないでください。現在、マーヤーのセンサーと視覚情報を共有しています」
「まあ、まあ。マーヤーちゃんを、少し待って差し上げましょうね」
浮世さんが、そっとあたしの頭を撫でた。
ゆっくりした、規則正しいリズムで。
浮世さんも、不安なのかもしれない。
あたしと同じで。
「はぁ……はぁ……」
マーヤーちゃんの膝が、がくりと折れた。
「「マーヤーちゃん!」」
慌てて起き上がり、浮世さんと一緒に倒れかけた体を支えた。
「マーヤーたちは……問題ありません。エネルギーを……過剰に消費しただけです」
「見えましたか?」
浮世さんが静かに聞いた。
「はい……三年後、この惑星系は丸ごと破壊されます」
三年。
地球の神によれば、幸御禍津の条件は三年以内。
幸御禍津は最初から知っていた?
「それに……ブラックホールだけではないようです」
「ブラックホールだけじゃ……ない?」
「エネルギーが尽きます。マーヤーたちは、皆さまを救助しました。マーヤーを保護してください」
言い終えるなり、マーヤーちゃんは動かなくなった。




