第2話 プロレスラー
どうしよう。
これ、次に怒りの矛先がこっちへ来るやつじゃない?
……そっとスマホを抜き、背中の陰に隠した。
あたしの腕力で傷を負わせられる場所なんて、限られている。
「汝等」
振り返った幸御禍津は、笑っていた。
後ろへ腰を下ろすと、背後にピンク色のソファチェアがすっと現れた。
「地球の神がそこまで言うのだ。汝等、さぞ精鋭中の精鋭なのであろうなあ?」
足を組み、指先で光球をすいすいとなぞる。もう片方の手で、宙に浮かぶ棒付きキャンディを一本つまみ、口にくわえた。
「あた……わたし、十六歳です。陰キャですけど、成績はまあまあ良くて、小学生のとき絵画コンクールで一位を取ったことがあります!」
喋れば喋るほど、ピエロになっていく。
三人が顔を見合わせ、順番に口を開いた。
「マーヤーは一歳です。マーヤーは、数世紀にわたり誰にも解けなかった難問を複数解決しました。動物園へ人類を見に行くのが好きです。速やかにマーヤーを帰還させてください。ぷんぷんです」
可愛い子は無表情で言った。
「わたくし、姓は浮世と申します。名は――今は、ございません。十七歳、実家は神社で、毎月お山を清めに参っております〜。ああ、そうそう。わたくし、雄というものが大変嫌いでして」
巫女さんは、にこにこと手を合わせた。
「うちはルフィーナ。五百歳ちょい。野良猫を十何匹か拾って飼ってた。プロレスラーだったこともある」
赤髪の子が、面倒くさそうに腰へ手を当てた。
幸御禍津の小さな手が、ぎゅっと握られる。
それに合わせて、光の球も小さくなり――ふっと消えた。
「そうか、そうか。ほかに付け加えることはないか?」
棒付きキャンディをくわえたまま、まだ笑っていた。
「「「「ない」」」」
四人の声が、ぴたりと揃った。
ガリッ。
幸御禍津が、キャンディを噛み砕いた。
宙に浮かんでいたキャンディと音符が、ひとつ、またひとつと歪んで弾けた。
さっきまで甘ったるかった匂いが消えた。
代わりに満ちたのは、息の音まで邪魔になるような、死んだ静けさだった。
そこで、ようやく思い出した。
目の前にいるこの、小さくて、わがままで、地球の神に振り回されていた女の子は――
本物の神だった。
「M.A.Y.A.。通称、マーヤー」
紙扇の先が、マーヤーちゃんを指した。
「汝はアンドロイドである。複数国のデータセンターとスーパーコンピューターを掌握し、十日間、世界中の電力網を沈黙させた」
「浮世」
今度は、浮世さんへ。
「汝はカルト教団の教祖である。汝の一族は代々邪神に仕え、信徒を扇動して政府への反逆に走らせた。国際社会からは、すでにテロ組織として指定されておる」
ルフィーナへ向く。
「ルフィーナ・ツー・ブルートクローネ。汝は吸血鬼。何をしてきたかなど、余が語るまでもあるまい」
最後は、あたし。
幸御禍津の目に、怒りと驚き。
その奥に、ほんの少しだけ憐れみ。
「白石真織。一見、どこにでもいる女子高生だが――」
紙扇が、かすかに揺れた。
それは古びた鏡へと変わっていた。
映っていたのは間違いなくあたしの顔。
でも、鏡の中のあたしは、血に濡れていた。
「実際には、汝こそが人の悪性を映す腐れ月。他の三人は、その一端に過ぎぬ。汝だけが、その全貌を顕しておる」
「……え? どういう、意味……?」
自分の声なのに、やけに遠く聞こえた。
ただの人間で。
法に触れるようなことだって、一度もしてない。
「汝等は、極悪非道の怪物どもだ。邪道の中の邪道、クズの中のクズよ」
幸御禍津が手を引く。
鏡は、何事もなかったみたいに紙扇へ戻った。
「ちょうどよい。汝等にこそ、ふさわしい世界がある」
言い終えるなり、扇がこちらへひらりと振られる。
体が後ろへ弾かれ、重さがふっと抜けた。
床も天井も、前も後ろも、意味を失う。そして空間が、さっきの鏡のように砕けた。
割れた世界の向こうへ、あたしたちは落ちていく。
何もかもを詰め込んだ万華鏡の中へ。
無数の世界と、そこに生きる人々の人生をかすめていく。
人が言葉を作る。
文明を積み上げる。
その同じ手で、燃やす。
銀河をいくつも見下ろせるほど大きい。
それなのに、砂粒よりも小さい。
あたし、という輪郭がほどけていく。
もうすぐ、何もかもとひとつになって、この形は消える。
それはそれで、いいのかもしれない。
けれど、その瞬間。
鳴りやまない暴風が、ばらばらになりかけていたあたしを、力ずくでひとつに継ぎ直した。
気づけば、あたしたちは雲の上にいた。
見渡す限り、果てしなく連なる雲海の、さらに上。
幸御禍津の声が、四方八方から響いてきた。
「死にゆく世界で足掻け、クズな少女たちよ」
抜けるような青空の、はるか彼方。
空そのものに、ぷつりと穴を開けたような、黒い点。




