第12話 占星
正午の陽光が大地に降り注いでいた。
空の果てに浮かぶ、見落としそうなほど小さな点は、変わらず漆黒だった。
鬱蒼と茂る鉱樹のすぐそばで、巨岩を円く並べた陣の縁に大勢の術師がひしめいていた。
巨岩の上には、透明な四角い板が渡されていた。
その上に四枚の平たい結晶が水平に浮かんでいる。
最上部には、さまざまな形の孔がびっしりと穿たれた円形の石板。
術師たちは木の杖を掲げ、巨岩の上へ絶えず術力を注ぎ込んでいる。
「いったい、いつまで見てるんだ?」
「今回は、結、道、力、律を見るらしい」
「一度に四つもか!?」
術師たちがどよめいた。
「静粛に!」
円陣の内側から、長い髭の男が顔を出して一喝した。
髭の男とローブ姿の人物は、息を詰めて透明な板の下にある円盤を見つめていた。
盤面は複雑な線と図柄で埋め尽くされ、ところどころに光が灯っている。
一人の老人だけは、初めからずっと最上部の石板を見上げていた。
石板の孔から覗いていたのは、明るい昼空ではない。
星の満ちた夜空だった。
星々は異様なほど近く、一つ一つが鮮明に見えた。
「方孔、拡象二倍、澄象」
老人が低く告げた。
「方孔、拡象二倍、澄象!」
髭の男が、外の術師たちへ声を張った。
術師たちがさらに術力を注ぐと、円形の石板が左へ回り、方孔が中央に来た。
二枚の結晶も、方孔に合わせて位置を変えた。
「力星を捉えた」
老人が長く息を吐いた。
「位置は?」
ローブの人が羽根ペンを構えた。
「火鯉座、17度24分」
うなずき、羊皮紙に書き留めた。
「投象に移ってもよろしいですか」
髭の男が老人に確認した。
「ああ、やってくれ」
「投象!」
「ローワン様! も、もう皆、術力が尽きかけています!」
術師の一人が進み出た。顔は青ざめ、手も震えていた。
髭の男は、ひとつため息をついた。
「尽きそうなら抜ければいいし、続けたければそこの鉱樹で補えばいい。無理に残れとは言っていないが、働いたぶんだけ報酬は増えるぞ。よく考えて決めろ」
術師たちは黙り込んだ。
一人が、鉱石めいた赤い果実を見つめ、手を伸ばしかけた。
何かに気づいたように、その手が宙で止まった。
「いちばん長く残った者には、金貨十枚を上乗せする」
ローワンが言い添えた。
「十枚!?」
大半の術師が、透明な板へさらに術力を注ぎ込んだ。
数人は陣を離れた。赤い果実へ手を伸ばしかけた術師も、その中にいた。
ローワンは円陣へ戻り、円盤を見据えた。
透明な板から一本の細い光が円盤の中央へ射し、またいくつかの箇所に光が灯った。
同時に、陣の外でぽん、ぽんと軽い音がした。
数人の術師が消え、その跡には、土から顔を出したばかりの苗が数本生えていた。
さらに何人かが、顔を引きつらせて陣を離れていった。
「そちらは、あの異世界人たちを排除すると決めたのではなかったか。今さら占星とは、解せん」
ローワンは巨岩の一つに背を預け、腰を下ろした。
「こちらで排除できれば、話は簡単です。ただ、帝国の手に余るとなれば、そちらも無関係ではいられないでしょう。ローワン執政官」
ローブの人が、指先で羽根ペンをくるりと回した。
空中に術陣が浮かび、その中央に粗い素描が現れる。
小舟、骸骨、水、倒れた兵士たち。そして、四人の少女。
「帝国が最も頼りにしている念写術で、これが写りました。ライルナン前哨地に残っていたのは、焼け焦げた死体が十数体だけ。ほかの者は、一夜にして姿を消しました」
ローワンは言葉を失い、もう一度素描を見た。
「月牙孔、反時計回りに92度」
老人が告げた。
ローワンはすぐ立ち上がり、円陣の外へ声を張る。
「月牙孔、反時計回りに92度! これで最後の星だ! もうひと踏ん張り!」
「は、はい!」
「誰か代わってくれ! もう術力が尽きる!」
「こっちを見るな! 俺もだ!」
「代わるよ」
「頼む――」
ぽん。
交代する間もなく、術師の身体がみるみる内側へ縮み、小さな赤い結晶になった。
地面に落ちた結晶から、たちまち一本の苗が生えた。
「拡象十倍!」
あちこちで、同じ軽い音が続いた。
「鉱……鉱樹……」
一人の術師が果実へ手を伸ばすと、隣の術師がその手首をつかんだ。
「前の組には弟がいたんだ! 触らせるか!」
「十字孔、拡象百倍!」
音が重なり、途切れ目がなくなった。
残った術師たちは、慌てて果実をもぎ取り始めた。
果実が光る木の杖に触れた途端、硬い殻が砕けて果肉が露わになった。
「律を捉えた。黒星に歪められておる」
老人は額の汗を拭った。
「黒星……」
ローワンは思案げに髭を撫でた。
「黒星が見える者は、魔族に惑わされているだけだと聞いていましたが」
ローブの人が静かに言った。
「まあ、好きに思えばいい。ここから先は、わしにしかできん仕事だ」
「……誰かに、伝えておきたいことは?」
「いらん。もうじき午の刻が終わる。逃せば、次は二十二年後だ」
二人はしばし黙っていた。そろって老人に頭を下げた。
「「お願いいたします」」
老人は親指を噛み破った。
火鯉の刻まれた巨岩へ歩み寄り、血の滲む指先で「力」と記す。
残る三つにも、順に「結」「道」「律」と記していった。
最後に円盤の中央へ進み、両手を強く合わせた。
身体が宙へ浮かび、術力が体内から一気にほとばしった。
四つの巨岩がまばゆい光を放ち、その下から赤い液体が溢れ出した。
なおも増え続け――
ぽん。
落ちてきた赤い結晶が円盤に触れる寸前、ローワンは背負っていた大剣を抜き、切っ先でぴたりと受け止めた。
赤い液体は円盤の光る箇所へ流れ込み、少しずつ複雑な図柄を形作っていった。
「種は、私が預かりましょう。大師の祖国へ届けます」
「ああ。頼む」
大剣を持ち上げ、切っ先を差し出した。
ローブの人は背に手を回し、精巧な作りの小さな木箱を取り出した。羽根ペンを指の間で、くるりとひと回しする。
ローワンが刀身をわずかに傾けると、赤い結晶はその上を滑り、木箱に収まった。
「写しができたら、こちらにも一部回してくれ」
大剣を鞘に収めた。
ローブの人は書き写しを始めず、円盤を見つめたまま、一歩ずつ縁をたどって反対側へ回った。
「その前に、確かめたいことがひとつ」
「どういうことだ?」
ローワンが歩み寄り、隣に立った。
「この形、何に見えますか?」
入り組んだ図柄の中に、いくつかの輪郭や線がかすかに見て取れた。
「……世界樹を取り巻く、ウロボロスか?」
「やはり、そうですか」
「どの方角だ?」
ローブの人は、背後の巨岩へ目をやった。
「北東」
ローワンの顔から血の気が引いた。何も言わず、円陣の外へ出ていく。
残っていた術師は、二人だけだった。
腰の金袋を外し、そのうちの一人へ放った。
「金貨が百枚ほどと、銀貨がいくらか入っている。二人で分けろ」
「は……はは。古き神が、あなた様とともにあらんことを!」
周囲の鉱樹が、次々と枝を垂らした。人の顔めいた裂け目から、褐色の樹液が滲み出す。
さわさわという微かな音に、低い唸りが混じっているようにも聞こえた。
ローブの人も、ゆっくり円陣を出た。
「どちらへ?」
「鐘を鳴らす」
「鐘を?」
「終末の鐘だ」
ローワンは馬にまたがり、駆け去った。術師たちも慌てて後を追った。
ローブの人は三人を見送り、円陣へ引き返した。
円盤中央の世界樹には、輪郭がかすかに二重になった箇所と、不自然な継ぎ目がいくつかあった。灯った光点が、ちょうどそれらを覆い隠していた。
羽根ペンを、もう一度くるりと回した。
世界樹に重なっていた術陣が、盤面から浮き上がった。
それが消えると、本来の図柄が露わになった。
ウロボロスが取り囲んでいたのは、繭を破り、羽を広げる蝶だった。




