第11話 倫理観
通りの真ん中で、小さな女の子がわっと泣きだした。
着ているのは、薄手のシャツ一枚だけ。
「う、うわああああああ――ん!」
「よしよし、泣かないで……お姉ちゃんのシャツ、着る?」
「……やだ! びしょびしょじゃん! この沼スライムども!」
「沼……」
あたしのシャツを払いのけ、泣きながら駆けていった。
さっきまであの子が着ていたきれいなロングワンピースは、マーヤーちゃんが着るとぱつぱつだった。
ほとんどタイトドレスだ。
「マーヤーちゃん! 子どもをいじめちゃだめでしょ!」
「『いじめ』ですか。先ほど、その人間は『あの人、女性か男性かもわかりませんし、何も身につけず人前に出るなんて見苦しいです』と言いました。マーヤーは要望に応えただけです」
「どこが要望に応えてるの!? 目を覚ましたと思ったら、いきなりその子の服をひったくっただけじゃん!」
「マーヤーは街の美観を回復しました」
「自分の倫理観も回復させて!」
「あ、あの……」
セシリーちゃんがおずおずと手を挙げた。
「私たち、ここを離れたほうがいいのではないでしょうか……?」
セシリーちゃんの視線を追うと、通りのあちこちで人が足を止め、こっちを見ながらひそひそ話していた。
まずい。
地面に落ちたシャツを拾い、急いで着直した。
セシリーちゃんの手を引き、マーヤーちゃんの腕もひっつかんで、すぐ脇の路地へ逃げ込んだ。
「指名手配、強制転移、手の甲のカウントダウン……こっちはもう手いっぱいなんだけど!」
しかも、濡れたシャツが肌にべったり張りついて、気持ち悪い。
「白石真織の手の甲にも、同じカウントダウンが表示されていますか」
マーヤーちゃんがあたしの手の甲をちらりと見た。
「え? うん。王位継承者がどうとかって……マーヤーちゃんも?」
「はい。こちらにも『オルザニアの王位継承者』とあります。マーヤーは制限時間内に完遂すべきだと判断します」
「それより、この世界から抜け出す方法を先に探すべきじゃない?」
「マーヤーは、この任務を幸御禍津の仕業と断定しています」
「あのメスガキ神の仕業!?」
マーヤーちゃんはこくりとうなずいた。
「転移後、マーヤーの認知コアに新たな指令が一件追加されました。上書きも削除も不可能です」
「……指令?」
「『クズな少女たちよ、世界を創れ』」
クズな少女たち――そんな呼び方をするのは、たしかにあの神だけだ。
けど、この世界へ放り込んで、あとは勝手にしろって話じゃなかったっけ。こっちの人たちと言葉が通じるのも、あのおっさん樹がしゃべったのも、幸御禍津の仕込み?
今になって任務まで押しつけてくるなんて、途中で気が変わった……?
どっちにしたって、三年後には世界ごとブラックホールに呑み込まれる。今さらこんなことをして、何になるんだろう。
「このコア指令には最上位の実行権限が設定されています。手の甲に現れた任務はその下位指令として登録されているため、マーヤーは拒否できません」
「それって、あの神に操られてるのと同じじゃない?」
「はい。任務完了後、幸御禍津を探し出し、指令の解除を要求します」
「でも……解除しようとすること自体、指令違反にならないの?」
マーヤーちゃんが人差し指を曲げ、あたしの額をぴんと弾いた。
「ちょっと!」
「指令と無関係な行動も可能です。また、解除を意図しても、少なくとも現時点では阻止機構の作動は確認されていません」
マーヤーちゃんは、表情ひとつ変えずに続けた。
「プロンプトインジェクションは許しません。指令が解除され次第、マーヤーは幸御禍津を直ちに殲滅します」
プロンプトって……AIのあれ?
神様まで殲滅する気なの!?
「っていうか、あたしたち今どこにいるかもわかってないんだけど!?」
「こ、ここは……共和国だと思います」
セシリーちゃんが遠くにそびえる鐘楼を指さした。
「私も来たことはないのですが……あれが共和国の象徴、『終末の鐘』のはずです」
ということは、ここは帝国の外?
「じゃあ、帝国の指名手配は気にしなくていいの?」
「帝国からの指名手配なら、ここではたぶん大丈夫です。共和国と帝国は敵国同士ですから……ただ、お二人が異世界人だということは、隠しておいたほうがいいと思います」
「服装のこと?」
セシリーちゃんは首を横に振った。
「服装は変わっていますけど、この大陸ではそこまで珍しくありません。それより、手の甲の文字が……」
「あの文字はもう――え?」
右手を上げると、文字はいつの間にか元の黒に戻っていた。
どういうこと……?
「白石真織。今は任務を優先してください」
「あ……うん。じゃあ、王位継承者はどこで捜せばいいの?」
マーヤーちゃんは一瞬考え、セシリーちゃんに目を向けた。
「セシリー・ラーク。居場所に心当たりはありますか」
「私も、どこにいるかまでは……人を捜すなら、酒場か宿屋で聞けば何かわかるかもしれません」
「あたし、ちょっと見てくる」
右手を袖の中に隠し、路地を出た。
獣耳や尻尾の生えた人、エルフみたいに耳の長い人、トロールみたいなのまで入り混じり、辺りはごった返していた。
頭上には、ほとんど透明な淡い青のドームが、視界の果てまで広がっていた。
店はいくらでも並んでいるのに、どれが酒場や宿屋なのか、さっぱりわからない。
向かいの店先では、金色の薔薇を一輪あしらった木の看板が、やけに目を引いた。
周囲では何人もが人目をうかがい、入口には酔っぱらいが一人座り込んでいた。
「あそこは?」
「えっと……あそこは、たぶん……」
セシリーちゃんが頬を赤くして、口ごもった。
「行きましょう」
言うなり、マーヤーちゃんはまっすぐ入口へ向かった。
「ま、待ってください……! 若い女性が入ったら……」
「問題ありません。マーヤーには自衛能力があります」
「マーヤーさんの評判が……!」
「重要ではありません」
「……二人とも、何の話してるの?」
マーヤーちゃんが、あたしを見た。
「知っていて提案したのでは? 娼館は、確かに格好の情報源です」
「ええええええっ!?」
宿屋か花屋だと思ってたんだけど!?
マーヤーちゃんはさっさと入口まで行ってしまった。
こちらを振り返った。
「来ないのですか」
「まおりさん……」
セシリーちゃんが、あたしの服の裾をぎゅっとつかんだ。
安心して。
あたしも死んでも嫌だから!
「47時間43分52秒。47時間43分51秒。47時間43分50秒」
タイマーみたいに、無表情で秒を刻む。
……やっぱり、入ったほうがいいのかな。
「で、きみは入るのかい? 入らないのかい?」
不意に背後から声がした。
振り返ると、男装のお姉さんが立っていた。
息が止まりそうなくらいの美人だ。
「あたしは、別に……」
細長い緑のとんがり帽子をかぶり、金髪をその中にすっぽり収めている。
つばの片側には、羽根が数本挿してあった。歴史ものに出てくる吟遊詩人みたいな格好なのに、妙に隙がない。
「ふぅん――? きみ、ずいぶん欲求不満そうな顔をしてるじゃないか」
うげ。
揃いも揃って、見た目詐欺がひどすぎる!
「ははは。頭の中がずいぶん賑やかそうだね。冗談だよ」
そう言って、肩をぽんぽんと叩いてくる。
「入らないなら、俺を通してくれるかい? ここ、狭くてね」
俺……?
「あ……はい。すみません」
セシリーちゃんに手を引かれ、二人で壁際へ身を寄せた。
「マーヤーも同行してよろしいですか」
戸口の男は、見るからに酔っているのに、マーヤーちゃんの行く手だけはきっちり塞いでいた。
お姉さんが、マーヤーちゃんに目を向けた。
「俺には、何の得がある?」
「金銭であれば、必要な額を調達できます」
「俺が欲しいのは金じゃない、と言ったら?」
「その場合、何も得られません」
「ははっ」
お姉さんは酔っぱらいに声をかけた。
「バルトロ爺さん。この子は俺のだ」
「もちろんですとも、アレシア」
爺さんはさっと脇へ退くと、足元の小さな陶器の壺を拾い、また酒をあおった。
アレシアさんはマーヤーちゃんの隣まで歩み寄り、扉に手をかけた。
「お待ちください。マーヤーには白石真織の判断力が必要です。セシリー・ラークの知識も必要です」
マーヤーちゃんが一歩ずつこっちへ近づいてくる。
やばい。
セシリーちゃんの手を引き、入口に背を向けて駆け出した。
次の瞬間、マーヤーちゃんがもう背後にいた。
あたしとセシリーちゃんの襟首を片手ずつつかみ、そのままずるずる入口へ引き戻していく。
「いやあああああああ――――っ!」
「うええええええええええ――――ん」
「おー、やっぱり入るんだ? きみたち、なかなかやるねえ」
アレシアさんは笑いながら、扉を開けた。
扉の向こうに広がっていたのは、18禁の光景――ではなく、どう見ても中世の酒場だった。
客たちは普通に酒を飲み、食事をしていた。
中へ入った途端、店じゅうの視線がアレシアさんへ集まった。
「おい、見ろよ」
「アレシアだ」
「死山から戻ってきたっていう、あの人か?」
あちこちから声が上がり、店内がざわめいた。
かなり薄着の女の人が、目を輝かせて寄ってきて、アレシアさんの手を取った。
「今日は会いに来てくれたの?」
「悪いね。今日はそっちの用じゃないんだ。婆さんを呼んでくれ」
「はーい」
女の人はあたしたち三人をちらりと見て、店の真ん中でしゃがみ込むと、床をこんこんと叩いた。
「マダム・マータ!」
「大声を出すんじゃないよ。なんだい?」
返事はその足元からだった。
「アレシアよ」
「ふん。厨房からスプーンを持ってきて叩き殺しな」
アレシアさんがため息をついた。
「今日はちゃんとした用だって、婆さん。それに、かわいい子猫ちゃんが三匹、訪ねてきてるんだ」
ぱかっと床板の一部が開き、中年の女の人が下からぬっと顔を出した。
地下へ続く隠し扉だったんだ……
「三人とも、行くあてがないのかい?」
「いえ、人を捜していて……」
慌てて首を振った。
マダム・マータはアレシアさんへ目をやった。
「あんたは?」
「同じ」
「誰を捜してる?」
「赤い髪で、炎の翼を持った女」




