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第10話 オルザニアの王位継承者

 ベッドで目を覚ました。


 窓から差し込む朝日が、やけにまぶしかった。

 右手の甲が、じりじりと熱く疼いていた。


 持ち上げてみると、手の甲の文字が赤くなっていた。


 その疼きが、さっきの夢を呼び戻した。


 夢の中で、小舟が近づいてくる。


 ぎい。

 ぎい。


 なのに、いつまで経ってもあたしのそばにはたどり着かない。

 近づくほど、小舟の輪郭だけが鮮明になっていく。

 あたしの上で死んだ兵士の顔は、少しずつぼやけていく。


「ん……」


 隣では、セシリーちゃんが猫みたいに身を丸めて、小さく声を漏らした。


 ゆるく波打つ淡い栗色の長い髪。すっと伸びたまつ毛。

 鼻筋から頬にかけて、淡い茶色のそばかすが散っていた。


 一文無しのあたしとマーヤーちゃんが、この小さな宿に泊まれたのは、セシリーちゃんのおかげだ。


 こっちで売れそうなものでもあれば、よかったんだけど。

 ルフィーナはあたしのブレザーを返さないまま、一人で出ていった。

 浮世姉さんは、まだやることがあると言って、向こうに残った。

 スマホも、まだ見つかっていない。


 はぁ。


 そういえば、マーヤーちゃんは?


「まおりさん……」


 目を閉じたまま、セシリーちゃんがつぶやいた。


「……?」


「ほかの女の子と、目が合いました……? 親友なのに」


 んん……?


「先に縄を結び直しておきましょうね」


 こら。


「ん……うぅ……あ、起きていたんですね、まおりさん」


 目をこすりながら、あくびをした。


「うん。おはよう、セシリーちゃん」


「おはようございます」


「さっき……なんかすごい夢、見てたみたいだね」


「ふぇっ? 私、また寝言を言っていましたか? すみません、起こしてしまって……」


 慌てて口の端についたよだれをぬぐった。


「ううん、平気。もう起きてたし。どんな夢を見てたの?」


「んー……わんちゃんと遊んでいたのは覚えています」


「違う――! ……待って。違わない……!?」


 ……起きたばかりなのに、どっと疲れた。


 ぐうううぅ――。

 お腹が合いの手を入れた。


 セシリーちゃんが、黙って目を逸らした。

 絶対聞こえてる。


「……白石(しらいし)真織(まおり)の声は、階下まで届いていました」


 戸口には、無表情のマーヤーちゃん。黒いマントを羽織り、大きな布袋を後ろにずるずる引きずっていた。


「なんでもない……どこ行ってたの?」


「補給物資を収集していました」


 ベッドの上で布袋を逆さにすると、中身がどさどさこぼれ出た。


 布に包まれたチーズと塩漬け肉、革の水袋がひとつ、同じマントが二着。

 それに、木栓の隙間からきつい酒の匂いが漂う陶器の壺。


「……はぁ」


 お金なんてないのに。

 これ全部、いったいどこから……


「お二人が食べないのであれば、マーヤーが食べます」


 壺を抱え、ベッドの端に腰を下ろした。


「食べる食べる食べる! ありがとう、マーヤーちゃん!」


「えっ、よろしいんですか……? ありがとうございます、マーヤーさん」


 セシリーちゃんは目を閉じ、しばらく祈ってから、チーズをひとかけら手に取った。

 あたしも手を合わせた。


「いただきます」


 肉をひと切れつかんだ。


「白石真織。街にマーヤーたちの人相書き(にんそうがき)が貼り出されていました。そわそわです」


「えっ……!?」


 肉をどうにか飲み込んだ。


「あなたの人相書きもありました。セシリー……?」


 マーヤーちゃんが、セシリーちゃんを見た。


「あ、セシリー・ラークです」


「指名手配早すぎない……?」


 こんな中世ヨーロッパみたいな世界なら、人相書きが出回るまで、せめて数日はかかると思ってたのに。


「今は戦時中ですから……定期連絡が途絶えれば、すぐ異変に気づかれます」


 セシリーちゃんは水袋から水を何口か飲むと、あたしに差し出してくれた。


「……もう、ここを出たほうがよくない?」


 急に、水を飲む気まで失せた。


「マーヤーは、尾行されていないことを確認しました」


「でも、誰かには姿を見られたんでしょ? 人相書きまで出てるんだから」


「あまり似ていません。出発前に準備を整える猶予はあります」


「不幸中の幸い……かな」


「マントを着用し、手の甲は隠してください。人相書きには文字まで描かれています」


 エドガーがあたしたちと見比べていた羊皮紙にも、この文字が書かれていたのかもしれない。


「セシリーちゃん、あの文字について何か知らない?」


「私も詳しくは知らなくて……あの文字、異世界人の手の甲にしか現れないらしくて」


「異世界人ですか」


 マーヤーちゃんが平坦な声で繰り返し、陶器の壺から木栓を引き抜いた。

 むっとする酒の匂いに、思わず顔をしかめた。

 壺を持ち上げるなり、ぐびぐびとあおり始めた。


「ちょっと!?」


「マーヤーさん! それ、人間の飲み物じゃありません!」


 セシリーちゃんが手首をつかんでも、マーヤーちゃんは構わず飲み続けた。


「……マーヤーの残存エネルギーは、まもなく尽きます。通常の食物では、エネルギー密度が低すぎます」


 じゃあ、食べたものからエネルギーを補給できるってこと?


「え……?」


 セシリーちゃんが、きょとんと目を瞬かせた。


「マーヤーちゃんは、ちょっと体質が特殊なの。大丈夫、大丈夫」


「ほ、本当ですか?」


「うん。心配しなくていいよ」


「はあ……もし髪が抜け始めたら、すぐに教えてくださいね……」


 いったい誰が飲むの!?


「セシリー・ラーク。この宿に、入浴設備はありますか」


 マーヤーちゃんが壺を置いた。中身は、もう空だった。


「あ、あの……一応、ありますけど」


 セシリーちゃんはチーズを置き、部屋の隅へ向かった。


 そこには、木の棒を一本渡し、粗末な布を二枚垂らしただけの仕切りがあった。壁には術式がひとつ、床には小さな排水穴が開いていた。


「そこに触って、手を離せば使えます。術力はいりません」


 マーヤーちゃんは、こくりとうなずいた。


 仕切りへ向かいながら、靴も靴下も服も、脱いだ端から宙へ放り上げていく。

 全部が完璧な放物線を描き、そばの木箱の上へぴたりと着地した。


「そこで何をしているのですか、白石真織」


「へ?」


「こちらへ来て、一緒に入浴してください」


「二人で!?」


「そのほうが効率的です。ついでに、マーヤーの背中を洗ってください」


 そっちが本命じゃん!


「あ……あたしは、あとで入るから」


 二人きりのお風呂は、さすがに恥ずかしい。


「そうですか」


 一度も振り返らず、布の向こうへ入っていった。


 背中なら、今度洗ってあげるから。


「セシリーちゃん、歯を磨けるところってある?」


「はい。あちらの流しでできます」


 壁際に、小さな木の流しが据え付けられていた。

 縁には細長い昆布が何本か、術式の描かれた紙が数枚並んでいた。


 ……昆布?


「その術紙(じゅつし)を口に入れると、お魚が口の中をきれいにしてくれます……」


 一つひとつならわかる。

 組み合わさると、わかりたくない。


 すぐ横で、ばしゃんと派手な水音がした。


 布の向こうから、裸のマーヤーちゃんが出てきた。

 ずぶ濡れの身体のあちこちに昆布が貼りついていた。


「これ、何」


 頭から一本引きはがし、セシリーちゃんの目の前にぶら下げた。


「か、身体を洗うものですけど……?」


「……」


 マーヤーちゃんが手を離すと、昆布がべちゃりと床に落ちた。


 何も言わず、そのままベッドへ上がった。


「Good night」


 布団を引き上げ、目を閉じた。


「え? え? え?」


 セシリーちゃんはおろおろと、マーヤーちゃんとあたしを見比べた。


「ベッド、びしょ濡れで昆布まみれなんだけど」


 肩を揺すった。


「ねえ」


 頬に張りついていた昆布が一本、ゆっくりずり落ちた。


 もう――!


 床に落ちた昆布をつまみ上げ、試しに腕にこすりつけてみた。たちまち泡が立ち、昆布は少しずつ小さくなっていった。


 ぬるぬるするけど、石鹸みたいなものらしい。


「セシリーちゃん、先に入る?」


「まおりさんからどうぞ。私は洗濯をしておきます」


「あ、よかったら、あたしに任せて」


「で、でも……」


「いいから。ほらほら、行ってきて」


 半ば強引に、布の向こうへ押し込んだ。


 二人分の服を木の流しに入れ、制服も脱いで放り込んだ。

 マーヤーちゃん、急に起きたりしないよね……


 今この格好で目が合ったら、たぶんあたしがその場で爆発する。


「ふぅ……」


 昆布を泡立て、ひたすら洗った。


 一枚洗っただけで、もう手が死にそうだった。

 洗濯機なしって、普通に地獄なんだけど……


「セシリーちゃんって、服にもこれを使うの?」


「え?」


 仕切りの隙間から、セシリーちゃんが顔をのぞかせた。


「そうやって洗うのは、大変ですよ」


「じゃあ、どうすればいいの?」


「真ん中に術式がありますよね。そばにある術紙をその上に載せるだけです」


「真ん中……ほんとだ」


 言われたとおり、紙を置いた。

 まばゆい光が底いっぱいに広がった。


 服が一枚、また一枚と宙へ浮かび上がり、きっちり一列に並んだ。


 しかも、術式の中央には一匹の魚まで立っている。


 うんしょ、うんしょ、と流しの縁をよじ登り、昆布を一本つかんだ。


「腕を前から上に上げて、大きく背伸びの運動から――はい」


 舌足らずな声で号令をかけた。


「いち、に、さん……」


 全員がぐっと伸び上がった。


「こ、腰が」


 マーヤーちゃんのパンツが叫んだ。


「田中、アウトー!」


 ぱしんっ、と魚が昆布を振り下ろした。


「味噌汁〜〜〜〜〜〜〜」


 パンツが悲鳴を上げ、ぱたりと倒れた。


「な……な……」


 手からタオルが落ちた。


 こんなの作ったやつ、絶対日本人に決まってる!!

 見つけたら、ボコボコにしてやる!!


 魚から昆布をひったくり、服を自分でごしごし洗い始めた。


「人間、アウトー!」


 魚をむんずとつかみ、窓の外へぶん投げた。


 ドン、ドン、ドン、ドン。


 今度は、扉が立て続けに叩かれた。


「誰!?」


「ひっ! すみません、北門の衛兵です!」


「……何ですか?」


「黒いマントを着た小柄な者が、通りで盗みを働き、大きな布袋を引きずってこの宿に逃げ込んだとの証言がありまして」


 別の声が続いた。


 やっぱり、あれ全部盗品じゃん!


「あたしたち、今起きたばかりなんですけど……?」


 そう答えながら、仕切りの布を軽く叩くと、青ざめたセシリーちゃんが布の隙間から顔をのぞかせた。


「部屋の中を確認しますので、ただちに扉を開けてください」


「どうしましょう、まおりさん?」


「先に服着て。マーヤーちゃんはあたしが起こす」


 あたしもびしょ濡れの服を大急ぎで着込んでから、マーヤーちゃんの肩をつかんだ。


「マーヤーちゃん、早く起きて! 衛兵が来た!」


 ぴくりとも動かなかった。


 二階の窓から逃げるしかない。

 あたしじゃマーヤーちゃんを背負って降りられない。


 先に飛び降りて、下で受け止める?


 だめ。

 絶対に怪我をする。


 でも、セシリーちゃんの支援術があれば――


「いつまで待たせる。さっさと扉を開けろ! 力ずくで入るぞ!」


 ガン! ガン! ガン!


 扉が大きく軋んだ。


 そのとき――


 あたしとマーヤーちゃんの右手の甲の文字が、同時に赤く光った。

 赤い光が一気に膨れ上がり、視界を呑み込んだ。


「まおりさん――!」


 セシリーちゃんが必死に駆け寄り、あたしの服の裾をつかんだ。


 次の瞬間。

 あたしたちは三人そろって、見知らぬ通りに立っていた。


 右手の甲に、ちくりと痛みが走った。

 赤い文字がするすると並び替わり、数行の文章になった。


「オルザニアの王位継承者を救出せよ


 47:59:58」

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