ここで登場するのが運命の出会いですわ
その日の夜。徹夜で残業をしていた私とベリザリオ王太子殿下のもとに、意味不明な報告が上がってきました。
「は?」
「カリーナ様が、居なくなった……?」
さっそく情報提供者に詳しく話を聞いてみたところ、どうやらカリーナ様は、結婚を禁じられたジョヴァンニ様の屋敷でメイド兼愛人となることが決まると、なぜか怒り狂い、出奔したそうです。
「ジョヴァンニ様の心が手に入るのに、なぜ……?」
「お前が人の心を手に入れ損ねてるからじゃないか?」
いくらなんでも力が抜けた私とベリザリオ王太子殿下は、いったん夜食でもいただこうと、部下もいない執務室のソファに座り込みました。
「自分で言うのもなんですが、私はけっこう愛情深いほうだと自負しているのですが」
いつも通りコーヒーにたっぷりと塩を入れながら、私は首を傾げました。
「底なし沼は人間技じゃないんだよ」
「ベリザリオ様もアヴェルラ様にそんな感じなのでは?」
「いや、お前には負けるよ。だから俺まで化け物仲間にするな」
「えー」
私が不満そうな顔をしたのに、ベリザリオ王太子殿下はそれを無視して大皿からサンドウィッチを掴み、大口で頬張り始めました。
ジョヴァンニ様なら、嫌そうな顔をされたままでもサンドウィッチはトングで取って、私にも渡してくださいましたのに……。
仕方なく、私も手掴みでサンドウィッチを選びました。気分は上がりませんが、取りやすいですね……。
「なんでアイツが好きなんだ?」
やがてサンドウィッチを五切れほど食べ終えて満足されたらしいベリザリオ王太子殿下が、コーヒーを飲みながら呟きました。
「……ご存じの通り、私は化け物でしょう」
「自覚あったのか」
「ええ。人を愛するために陸に上がった母の血を半分引いていますもの」
ベリザリオ王太子殿下が、妙な速度でコーヒーをテーブルに置かれました。
「待て待て、なんだその設定は」
私は首を傾げました。
「私が海妖生物と人間のハーフであることは皆様ご存じですよね?」
「は? 知らん知らん! なんだそれ」
「えっでも私のことを、皆様口々に化け物化け物と」
「ガチだったのか……コーヒーに塩を入れる変人なだけかと思ってた……」
私は手元の塩コーヒーを見下ろしました。
そういえば、ジョヴァンニ様はいつも私がコーヒーを飲むときは塩瓶を用意してくださっておりましたから、これが珍しい行為だということを失念しかけておりました。
「変人ではありません。陸で私に必要な塩分を摂るためですわ。もちろん母は海妖生物の暮らす海妖帝国の姫でしたから、血統は良いのですよ?」
「知らん……怖……」
「あらあら?」
なにか根本的に噛み合っておりませんね?
私は、私にドン引きした態度を隠さないベリザリオ王太子殿下を見て、それからようやく思い出しました。
「……ああ、そうでしたわ! 海妖帝国をご存じだった国々は、もうとっくに滅んでいますわ! まったく、陸と海の戦争で、海に勝てるわけありませんのにね!」
ベリザリオ王太子殿下の声が、若干低くなりました。
「……お前はどこ所属なんだ」
「陸ですわよ? この国の次期王太子妃ですもの」
その力を使ってジョヴァンニ様をお守りするのですからね!
「ですから、もしも海妖帝国と交渉することがあれば、必ず私をお呼びくださいね? 私も幼少期は下肢が魚でしたから、あちらで過ごしておりましたのよ!」
「………………いや、お前より向こう側には関わらないから大丈夫だ」
「そうですか? ああ、ちなみに後々懸念されるかもしれませんから先にお伝えしておきますと、私が出産する子供は生まれつき陸の子の姿ですわ。そのために殿下にお会いしてから、ずっと海を遠ざけて陸で生活してきたのですもの」
塩分はまあ陸の人間よりも多少必要ですけれど。そこは誤差ですわね。
ベリザリオ王太子殿下も納得していただいたのか、肺から深く息を吐き出されました。
「あー、じゃあ里帰りしてないのか? お前の実家の領地、海側だろ」
「私は殿下のお側に里を作りたかったのです。では、ご質問の、私がジョヴァンニ様のどこが好きか——つまり、私とジョヴァンニ様の馴れ初めを語るのでしたわね! 張り切ってお答えしますわ!」
私は塩コーヒーを一気に飲み干して、気合を入れました。
「別に馴れてなかったのに勝手に見初めたやつな」
「幼少期の私は、満月が近づくと、エラ呼吸から肺呼吸に切り替わっていましたの。ですから満月とその前後三日ほどは、ひっそりとカンパネラ侯爵領の浜辺に上がって鯨やイルカのように過ごしておりましたの」
「エグさ的にシャチだろ。っていうかエラがあったのか」
「そこで、避暑に訪れていた殿下にお会いしたのですわ」
ベリザリオ王太子殿下が「ああ」とサンドウィッチの欠片を飲み込まれました。
「……溺れていたのを助けたか? アイツ泳げなかったよな」
「ええ。私が海の崖下で暇を持て余して、一人楽しくハンドベルソロ演奏独唱付きを嗜んでいたところ、幼い殿下が覗き込んでこられて、そのままでんぐり返りで海にドボンでしたわ。幼児なので頭が重かったのですね。あの頃から常に可愛い御方です……!」
私は当時のジョヴァンニ様の可愛らしい五頭身時代を思い出し、頬を緩めました。
しかしベリザリオ王太子殿下は半眼になってしまわれました。
「おい目立つな化け物人生楽しみすぎだろ」
「化け物だって真っ昼間からハンドベル演奏しながら明るく軽快なポップスを歌いたかったのですわ」
「何一つ噛み合ってなかっただろ」
「ですがそれ以前、夜に篝火の前でアコースティックギターでシャウトを決めていたら怒られましたので……」
それでも私の楽しかった幼児期の思い出です。
「なんで瀟洒な避暑地をホットな霊感スポットにしたんだ、その時お前幾つだったんだ」
「十歳頃ですわね。あの頃は私も若かったのです」
「若すぎるわ喉痛めるだろ、そもそも誰が侯爵令嬢にアコースティックギター渡したんだよ」
「まずはお祖父様のコレクションルームに討ち入りしてギターを手にするところからロックは始まっているのですよ」
「なんでお前はまだ焼き魚にされていないんだ?」
ベリザリオ王太子殿下の、その海妖帝国の姫の娘相手でもツッコミのキレを失わないところ、非常に陸の国王向きですわね。
とはいえ私は実質すでに焼き魚になったようなものです。
「そうですわ! 私、殿下ともう一度お会いしたくて、そう願ったら陸の生物として肺呼吸が定着して、足が生えましたのよ!」
「……なるほどな……?」
ベリザリオ王太子殿下が、私の首筋——かつてエラがあったあたりに視線を向けられました。
「そこで、殿下と恐れ多くもお友達になりましたの!」
「どうやって?」
「普通に海に落ちて風邪を引いた殿下のお見舞いに行きましたわ」
ベリザリオ王太子殿下が、私のスカートの下のほうに視線を向けられました。
「……まさか海から上がったその足で?」
「ええ、たとえ全身ずぶ濡れだろうと、深夜で人気が無かろうと、慣れない足に海藻が絡みついていようと、私の恋を止めることはできませんでしたわ。一枚一枚ドアを開けて、どこにいらっしゃいますの? と殿下を探して……今思えばはしたなくて恥ずかしいことをしましたわね」
「俺、今初めてアイツに同情したわ。昼間見た化け物がびちゃびちゃのまま襲来してきて、暗闇の中じわじわ追い詰めてくるとか恐怖でしかない」
……? はて?
「その前にジョヴァンニ様をお助けしましたのよ?」
「お前の奇行のせいで落ちたんだろ……」
「殿下、ハンドベルを馬鹿にしてはなりませんよ」
「俺が馬鹿にしたのはお前だけだが? お前に酷使されていたハンドベルにはむしろ同情と敬意を表するが?」
「あらあら、私の錆びたハンドベルが殿下のご厚情に触れる日がくるとは」
「錆びさせてんのかよ」
「私の唯一だったハンドベルのおかげでジョヴァンニ様というかけがえのない御方を得ることが出来ました」
「得てないし唯一を乗り換えんな」
ああ、ベリザリオ王太子殿下、さては深夜テンションですね……徹夜残業では無理もありませんが……ですが……ね。
「殿下、ハンドベルと人間を同列に語るのはちょっと人としてどうかと……」
「お前に言われた……」
「とにかく、ジョヴァンニ様は、私が海の化け物だとご存じなのです。ですが、一度も私をそう呼んだことはありません」
「そりゃ怖いもんな」
「いいえ。あのときジョヴァンニ様は、お見舞いに来てくれてありがとうシレネッタ、と、言ってくださったのですよ」
あのときのジョヴァンニ様は、聞き間違えようもなく、弾んだ声をされておりました。
「だから、私は生涯をかけてあの御方をお守りすると決めたのです」
「突然の飛躍はやめろ」
「?」
「礼を言われただけで生涯付きまとうのはおかしいだろ。なんだ、結局は顔か?」
「私にしかそのお礼を言われなかったのですよ。ジョヴァンニ様は」
「いや、お前が知らないだけだろ」
私は一瞬だけ記憶を振り返っておきました。
「いえ、確かに顔は気に入りましたので、私は毎日一日中殿下のお見舞いをしていましたが」
「療養の邪魔すんなよ」
「あの間、控え室の医師と話す者はいても、ジョヴァンニ様に直接声を掛けようとした方は、いらっしゃいませんでした」
ベリザリオ王太子殿下が、眉を顰められました。
「海に落ちて、溺れる前にお前が助けたんだろ? 大したことなかったからじゃないか」
「いえ、そもそもジョヴァンニ様が我が侯爵領にいらっしゃったのは、療養のためでしたので」
「そんな奴を海に落とすなよ。……そういやアイツ、昔は身体弱かったらしいな」
私は小さく頷きました。ジョヴァンニ様は、今でこそ人並みに健康な御身体になられましたが、幼少期は身体も弱く小さく、そのため王子として期待される量の勉強をする体力もなく、国王陛下にあまり可愛がられていたとは言えない状況でした。
「……はい。小康状態になったために少しだけ屋敷の庭を歩くことを許されて、私のいる崖まで全力脱走されてきていたのです」
「おい登場人物クソガキしかいねぇぞ」
そんなところも可愛らしいんですよ、ジョヴァンニ様は。
「海に落ちたため、滞在中は二度と外に出さないと言われていたのです」
「あーあ」
「でも、殺風景で真っ白な部屋で、ぼうっと外を見るしかないなんて……寂しいじゃないですか」
「それはまあ、そうだな」
ベリザリオ王太子殿下は、厚いカーテンに覆われた窓のほうに、視線を向けられました。
「せめてハンドベルは必要ですよね……」
「いらん」
「怪奇小説とか……」
「それもいらん、妙なジャンル指定すんな、怖いだろ」
「ベリザリオ様、さては怖がりですね?」
「まあな」
「危機管理能力高めで偉いですね」
「そうだろ?」
「でも恋愛小説は参考にしないほうが良いですね」
「もうしてない……」
「ちゃんと学んでて偉いです」
「……ああ……」
話が尽きた私たちは、冷めたコーヒーを飲み干して、仕事に戻ることにしました。




