塩はたっぷりと使っていきましょう
それから三日後。ベリザリオ様は、正式にベリザリオ王太子殿下となられました。さすが私ですね。
しかしながらその翌日、王宮内にありえない足音が響き渡りました。ええ、カリーナ様ですね。猛獣の如き形相で、私に向かって突進して来られました。
ああ、でも、そんなことよりもその後方にっ、ジョヴァンニ様が——!
「どうして私が王妃になれないのよ!」
「……まあ王宮内をドタバタと走る者は、王妃ではなく下仕えが精々でしょうね」
いませんけどね、王宮の下仕えでもそんな方。よっぽど無茶な命令を出されたときくらいしか。
「下仕えっ? 私に下仕えになれって言ったの?」
「公爵夫人も無理ならそうなるでしょうね」
「酷い! ねぇ殿下、聞いた? あの人がまた私を虐めるの!」
カリーナ様が、後から困ったお顔をされたまま小走りで追いついてこられたジョヴァンニ様を振り返ります。
「……下仕えも無理かも知れませんね。ご機嫌よう、ジョヴァンニ様……」
王宮でジョヴァンニ様を走らせるなんて、本来であれば万死に値するはずなのですが……ジョヴァンニ様に庇護されている御方である以上、ぶん殴れないことが悔しいです……。
「ああ、おはようシレネッタ。カリーナ、落ち着いて。下仕えにはさせないから。公爵夫人も王妃の次に偉いよ、だから、ね?」
「……次……」
カリーナ様はなぜかショックを受けたようなお顔をなされました。ジョヴァンニ様とご結婚できることよりも尊いことなどこの世にありませんのに……。
「……まあ良いわ。アンタなんかベスティアとかいう野獣と結婚すればいいのよ!」
「……ええと、その野獣は――」
昨日から王太子殿下ですが……
「今、俺のことを呼んだか?」
しかし言葉を選ぼうとした私の後ろから、ひょっこりとベリザリオ王太子殿下がお声を挟まれてきました。いたんですか。
「その野に捨てた自尊心を拾ってから出直して来てくださいませ」
しかしカリーナ様は、突然うっとりとした表情で、ベリザリオ王太子殿下を見つめられました。
「……えっ、格好いい御方……」
私はさすがに堂々と告げ口をしました。
「ベリザリオ王太子殿下。この者が、殿下のことを野獣と罵ったので、どうしてくれようかと思っていたところですわ」
「そうか」
ベリザリオ王太子殿下が無表情でカリーナ様を見下ろしました。
「ええっ、ち、違います! 誤解ですわ!」
「何が誤解ですの?」
「えと、知らなかったんです! ベスティア様がこんなに素敵な御方だったなんて!」
「ベリザリオ、王太子殿下だよ……」
カリーナ様の隣から、ジョヴァンニ様が囁きます。
「噂話を鵜呑みにするどころか、未だに俺の正式名称も知らないとはな……」
ベリザリオ王太子殿下も、さすがに遠い目をしかけていらっしゃいますね。
まあベリザリオ王太子殿下、私たちが学園の一年生のときに三年生で生徒会長でしたからね。
入学式だけでも真面目に前を向いていれば知っているはずですよ? 個人的にはジョヴァンニ殿下には及ばないものの、一目で覚える端正な顔ですし。カリーナ様、さっき格好いいって言っていましたし。
「……やはりあなたに公爵夫人は無理ですわ。ジョヴァンニ様をお支えするどころか、足を引っ張り続けるのが目に見えていますもの」
「そんなこと、なんでアンタが決めるのよ!」
「私は決めておりませんわ。目に見えていると申し上げたでしょう。現実が決まっているだけです。現に、今も王太子妃に内定している私に、王宮内でアンタと呼びかけたような恥知らずではありませんか」
なぜか理解してくださらないカリーナ様の肩を、ジョヴァンニ様が優しく突かれました。
「……カリーナ。これから陛下に結婚の許可を取りに行くのだろう? その場では、ちゃんとしてくれるよね?」
えっ、あのカリーナ様に肩つんつん、えっ、ジョヴァンニ様からの肩つんつん、ぅあああっ、されたかったです……泣いていいですか?
「まあ、殿下までそう仰るの?」
「大事なことなんだよ。学園にいるときはともかく、カリーナもいざというときはちゃんと淑女として振る舞えるって、言っていただろう?」
「私は頑張っているじゃない! なのに皆して、ネチネチと嫌味ばかり言って! 学園より陰湿だわ!」
「……カリーナ、王宮内で、大声でそんなことを言わないで」
私がうっかり泣きかけて制止できないでいる間にも、カリーナ様はジョヴァンニ様を困らせておりました。
もはやジョヴァンニ様ですら、困ったように窘めております。
……ジョヴァンニ様は、王位を継ぐ者としては少々お馬鹿可愛い御方ですけど、それでも長年王子様として育っていますからね。ジョヴァンニ様の想定している淑女の立ち振る舞いは、王妃様や高位貴族クラスの洗練されたものです。
そしてカリーナ様の『ちゃんとできる』は、絶対に嘘です。
社交界の事前準備期間である学園内で粗野にしか振る舞えない者が、卒業後に正せる襟はありません。
……もしかして、学園時代のジョヴァンニ様には、それが野に咲く蒲公英かなにかのように新鮮に映ったのでしょうか?
とはいえ、蒲公英を温室に持ち込んで美しく咲かすことは可能だとしても、紙で模したものはどうにもならないと思いますが……。
結局、カリーナ様を宥めながら、ジョヴァンニ様は国王陛下の元へ向かわれてしまいました。
……後から思えば、お止めしたほうが良かったかもしれませんね。
「……案の定だな」
「ええ。陛下がカリーナ様の子に王位継承権を持たせたくないことは想定通りですが」
二日後。私はベリザリオ王太子殿下用にようやく整え終えた専用執務室で、ここしばらくの間に溜まった仕事の合間のお茶をいただいておりました。
「……ジョヴァンニの結婚を生涯禁じるとはな」
ベリザリオ王太子殿下が、憐れむようにコーヒーを啜られました。
先日、結婚の報告に向かわれたジョヴァンニ様とカリーナ様でしたが、カリーナ様は国王陛下に難色を示されていることにも気づかず、あろうことか私を下げて自分を王妃にするように、国王陛下に迫ったそうです。
そして、そもそもジョヴァンニ様目当てなのかベリザリオ王太子殿下目当てなのかもわからない王妃狙いの不心得者を、のこのこと配偶者にしようとされたジョヴァンニ様は、その場で国王陛下に……見限られたそうです。
私は、大量の塩をコーヒーに入れながら、深くため息を吐きました。
「陛下なりの、ベリザリオ王太子殿下への誠意でしょうね」
たとえ国王陛下とて、ジョヴァンニ様を虐めることは個人的に許せないのですが……王国において国王陛下が偉くなければジョヴァンニ様が偉かった理由も失ってしまいます。
「どちらにせよ、王家の子を産むのは私ですが……」
なので、極論、跡継ぎの問題だけであれば、ジョヴァンニ様でも問題ありませんでしたから、今まで私とジョヴァンニ様の婚約が存在していたのですよね。
ところでベリザリオ王太子殿下が、先ほどから大変薄目で私を見ていらっしゃるのですが……?
「アヴェルラと似ているところが一欠片もないな……」
「いけそうですか? 王家に伝わる良いお薬ならいくつかありますよ?」
「その発言の勢いが駄目なんだろうな……」
むぅ。今の、ジョヴァンニ様が私のことを望まなかった理由も暗に刺しましたね?
……私も、ジョヴァンニ様と離れてから、少しは自覚してきたのですよ?




