時短のために用意した悪役令息を使っていきます
しかし泣き暮らしているわけにもいきません。
翌日。私はとある公爵令息の元に押し掛けました。
彼は引きこもりなので、事前にお手紙を差し上げても無意味なのです。門の前でじっくりとごねるしかありません。
その甲斐があって、早朝から門前に立ったところ、昼過ぎには会っていただける次第となりました。
意外と押しに弱いのですよね。ありがたいことです。
「お久しぶりです、ベリザリオ様」
やがて、私が通された応接間に渋面で現れたグラナータ公爵令息ベリザリオ様——通称ベスティア様というあんまりにもあんまりな蔑称をお持ちの青年は、私を見てなぜか深くため息をつかれました。
「……五分毎に門番に『私、シレネッタ。ごめんなさい、実家には戻れません。今、貴方の家の門前にいます』って書いた紙を押し付けるのは止めろ」
「この国の王家の歴史を分断する決断を、私は握っています。本当は、あの恋が恋しいけれど、でも……今、貴方の目の前にいます」
「だから、どこかで見たわりと古い広告のパロディと都市伝説を混ぜながらとんでもないことを言うのは止めろ」
「捨てられても戻ってくるなんて、健気ですよね。尊敬します」
「……いや、あれは健気だから戻ってくるわけじゃ……まあいい」
ベリザリオ様は心底面倒くさそうな表情を浮かべられました。
「それで、生ける伝説の悪役令息様は、相変わらず振られた傷心で泣き暮らしているのですか?」
こちらの私や殿下よりも二歳お年上のベリザリオ様は、在学中にアヴェルラ様という子爵令嬢を見初められ、勢いあまって卒業式後の夜会中に公開告白をぶちかまされました。
本人いわく、それまでちゃんと良い雰囲気だったそうなのですが、その場でアヴェルラ様には幼馴染の婚約者がいることを打ち明けられ、丁寧にお断りされてしまいました。
かくして衆目の中で婚約者がいる令嬢に言い寄って振られた、面子丸潰れ悪役公爵令息の完成です。
もともとベリザリオ様は、家柄が大変よろしい上に、容姿も学力も秀でておられ、ついでに武術の腕まであるという、平均的貴族令息からすればムカつくことこの上ない存在でした。三年間成績トップで卒業生代表でしたし。
そんな方が最後の最後で下位貴族の女相手に勝手に自爆して大恥をかいたのですから、もう、周囲はこぞって叩きましたよね。
無理やり関係を迫ったとか、彼女の侍女にまで手を出したとか、尾ひれ背びれ胸びれなどなど盛りに盛って叩き放題です。初鰹顔負けの特上盛りです。
ご令嬢たちも、今まで何度色目を使っても、子爵令嬢に夢中なベリザリオ様が靡かなかったものですから、『私たちを袖にしたいけ好かない男』のザマァ展開にそれはもう狂喜乱舞したそうですし。
そこでベリザリオ様も上位貴族らしく威厳たっぷりに騙されたと怒っておけばよかったものを、ショックのあまり呆然としていたそうでして、呆気なくベスティア様という蔑称で呼ばれるまでに落ちぶれました。
まあそんなわけですので、ベリザリオ様はムッとした顔で呻かれました。
「なぜ傷心で泣き暮らしていてはいけないんだ?」
「誰かの青春が巡らないからですわ?」
「知るかよ」
「さすが不健全令息様」
もっともアヴェルラ様のほうも、美形の公爵令息に言い寄られるなんて経験はそうあるものではありませんので、後々の調査によると、思いっきりベリザリオ様に気を持たせて楽しんでいらしたようですけどね。そもそも上位貴族の常識では、婚約者がいながら異性と距離を取らない子女というのは、理解の範疇にありませんし。
この国では、結婚後ならば一人前の大人として愛人との恋を嗜むことはむしろ歓迎されておりますけど……私や殿下やベリザリオ様など、昨今の恋愛婚への憧れが強い世代には、もはや理解し難い文化です。
家のための結婚を第一とするべしという時代には、他に恋愛を楽しむ方法もなかったのかも知れませんね。
それを思い出されたのか、ベリザリオ様がこめかみを揉み、苛立ったように髪を掻き上げられました。
「で、なんの用なんだ。まさかお前も捨てられたのか?」
「そうです」
「……は?」
ベリザリオ様、ぽかんとされてしまわれました。引きこもりで社交界の恋愛話が地雷なのでまだご存じなかったみたいですね。まだまだ甘いですね。
「なので、私はベリザリオ様と結婚するしかないなと思いまして」
とはいえベリザリオ様は、女関係だけ気をつけていただければ、他は優秀ですしね。一度手酷い失敗をされた方のほうが、周囲で笑ったり叩いたりしていただけの者たちよりも、注意深く成長されている可能性もあります。
「……は?」
しかしベリザリオ様は、なにやら眉をひそめられたあと、私の顔をじっと見て、悩むように呟かれました。
「…………復讐か?」
「復習?」
「殿下に目に物見せてやるって話じゃないのか」
「私が仕方なくベリザリオ様と結婚して、なぜ殿下が目に物見せられることになるんですか?」
ベリザリオ様は肩を竦められました。
「そうだよな。今の発言は忘れてくれ」
「わかりました」
理由はわかりませんが、わからないので受け入れます。そんなことよりも、建設的な話をしましょう。
「それで、結婚してくださるんですか?」
「……振られただけじゃなく、乗り換えられたのか?」
「ええ。お相手は男爵令嬢。何度かお話しましたが、彼女は到底王妃をこなせる器ではありません」
「……陛下には、確認したのか?」
「いいえ。だって私は、殿下のことを、変わらずお慕いしていますもの」
「……お前の思考回路はわからん。つまり俺を引っ張り出して、どうしたいんだ?」
「私と結婚して王太子になってください」
「……はー……」
ベリザリオ様は、一旦ソファの背もたれに倒れ込んで、完全に天井を仰がれました。ちなみにこのお部屋の天井はかなり高いですね。
「見返りは?」
ベリザリオ様の顔が戻ってきました。
「アヴェルラ様を寵姫として迎えられるよう手配します」
「……あ、アヴェルラが……寵姫……?」
ベリザリオ様。ソファから滑り落ちるのは止められたほうが良いですよ。
「まだ、アヴェルラ様のことが、お好きなのですよね?」
「……ああ。たとえ振られても、俺の天使であることに変わりはない」
「ぅわこわぃ……」
「お前に言われたくないが」
「?」
殿下はこの大地の天使であって私の天使ではございませんが……? ベリザリオ様、認知は大丈夫でしょうか……。
とはいえ、真剣そうに悩まれていらっしゃいますし、茶化すのは止めておきましょうね。
「……わかった。俺は、アヴェルラを寵姫にするルートに進む」
やがてベリザリオ様は、まるで戦地に赴くかのような様子で、重々しく頷かれました。
ふむ。
「一応私と結婚しちゃうルートですが大丈夫ですか?」
「背に腹は代えられん」
「失礼では?」
「お前は殿下ではなく俺と結婚していいのか?」
「断腸の思いですわ」
「背中ボロボロの俺より酷いぞ」
「淑女たるもの、中身ぐちゃぐちゃでも外側に傷をつけてはいけないのですわ」
「そうか」
「ええ」
私たちは見つめ合い、頷き合いました。
すべては真実の愛を貫くために。
今ここに、共闘のための契約が締結されました。
それから一週間後のことです。
「まあ、殿下! どうなさったのですか?」
王宮にて、久しぶりにお会いした殿下――いえ、もうすぐにベリザリオ様が王太子殿下となられますので、少々わかりにくくなってしまいましたし、これからはジョヴァンニ殿下とお呼びすることにいたしましょう、お名前をたくさん呼べますね――は、普段よりも少々疲れていらっしゃるようでした。
せっかくの美しい御顔がくすみ、御髪も艶を無くしております。あとで栄養価の高い物を差し入れなければ。あっ、もしかして枕が合わないとか? あるいは季節のせいかも知れません。早急に調査しなければ……!
しかしながらジョヴァンニ殿下は、私ではなく、私の側にいたベリザリオ様に話しかけられました。
「……どうして、お前が王太子になるんだ……?」
ベリザリオ様は、眉をひそめて呻かれました。
「お前が王太子になれないからだろう」
そしてアヴェルラ嬢を寵姫にする野望のためですね。
「え……?」
しかしジョヴァンニ殿下は戸惑ったように目を瞬かされました。相変わらず北斗七星よりも美しい瞳ですね。
「殿下は、カリーナ様と結婚なさるのですよね?」
私は念のため、ゆっくりと問いかけました。
「……」
……無言で頷かれました。
「……カリーナ様が王妃に相応しいと思いますか?」
万が一ここで頷かれたら、さすがに庇いきれませんよ?
まあカリーナ様は、おそらく殿下が王子様だから寄ってきたのだと思いますが……。
あっ、私はジョヴァンニ殿下が王子様でなくとも大好きですからね!
ジョヴァンニ殿下も、さすがにカリーナ様の能力についてはおわかりのようで、目を伏せてしまわれました。
その姿でも可愛いのですが、さすがに私とてときめきとは別の胸痛も感じますね。
とはいえ、私は言わねばなりませんね。ええ、ジョヴァンニ殿下がカリーナ様を愛するというのなら。
「王妃には、私がなります」
「だがっ、俺が、王子なのに」
ジョヴァンニ殿下が、弾かれたように顔を上げられました。
「……殿下に振られてから、私は、こちらのベリザリオ様と婚約致しましたの。ベリザリオ様は、殿下もご存じの通り、王弟殿下のご子息ですわ。血筋の正統性は、十分にございます」
ついでに成績も良かったですし。お馬鹿可愛くはありませんが、王太子にその素質は必要ありませんからね……。
「ですから、ご安心ください。殿下は、ご希望通り、カリーナ様と生涯ご一緒に暮らせますわ」
ジョヴァンニ殿下は泣きそうなお顔になられました。
「……君が、そんな女だとは思わなかった」
「私はいつも殿下への献身を第一と考えておりますわ。もちろん殿下が殿下でなくなっても」
私は精一杯慎ましく微笑みました。
そして、とてつもないことに気づきました。
「あ……! あの……そのときは、ぜひ、お名前で呼ばせてくださいね……っ!」
あぁぁっ、言ってしまいました、どうしましょう、呼べるかしら……じょ、じょゔぁ、……ジョヴァンニ様……っ?
――っ――! な、なんて甘美な響きでしょう……こんな……っ……っはぁ……っ動悸が……胸が、苦しいっ……!
私はひたすら百面相し、ふらふらとして、思わず近くにいた頑丈なベリザリオ様の腕に寄りかかりました。ベリザリオ様、一応支えてくださいましたが、ものすごく迷惑そうですね。眉間の皺が深刻です。
「なんで急にふらふらしてんだ」
「殿下という敬称を無くされた場合、私は殿下を……じ、ジョヴァンニ様と……っ、そんな、子供の頃のような甘すぎる呼び方を、これからすることを考えたら、立っていられなくて……っ」
「うわ……お前、もしコイツと結婚したら心臓に負担掛かりすぎて早世してたな」
「それはそれで本望ですわ……そういうベリザリオ様は、アヴェルラ様と毎日見つめ合っても平気ですの?」
「ああ、時間の感覚を引き伸ばすから、耐えきれる」
「時間の感覚を?」
私はついベリザリオ様を見上げました。
「そうだ。アヴェルラの瞬きや息遣いを目撃した瞬間、時が止まるんだ。俺はアヴェルラと一緒にいるとき、常に永久の時を過ごしているのだと思う」
「ぅわきもちわるぃ」
私はベリザリオ様の身体を両手で軽く押して、ちゃんと立つことにしました。
とはいえ、こんなヤバい男を、この世で最も尊すぎるジョヴァンニ殿下の御目に長々と触れさせるわけにはいきませんね。
「そういうことですので、私たちはこれで失礼いたしますわ」
私はジョヴァンニ殿下から危険人物を引き離すべく、ベリザリオ様の腕を掴んで引きずって歩き出しました。




