第三回 支子乾 憤して姉弟を救い 句小弟 挺して兇渠を欺く
「なぜです!」
寅耽は支乾とおなじ心持ではあったが、支乾が激高するだけ、いくぶん冷静に物事を捉えることができていた。
蔡朗船長の判断は正しい。
「若といえども、この船では船長に従ってもらう。これは鉄則。なんども言ったぞ」
船長の双肩には、船員の、あるいは船荷の、船上におけるあらゆる物の責任が重く重くのしかかっている。
襲われているのは、洽浦の町であった。内陸から賊徒が襲い掛かってきているのである。
和氏が句姉弟の身柄を引き受けたとはいえ、安心はできない。賊を撃退するのには人手は多い方がいいだろう、というのは支乾の主張であった。それでも、頑として蔡朗は聴き入れない。一刻も早くこの水域から離脱するべきであると考えていた。
「話にならん! ふん縛って転がしておけ。次ぎの港まで解くんじゃねえぞ」
寅耽がぎょっとするような命令をくだす蔡朗。驚くべきは、水夫たちは別段動揺することなく支氏の若君を取り押さえて、簀巻きにしてしまった。
「寅どの、若を頼む。もしそなたも気を起こせば、同じことになる」
抗いがたい迫力を秘めていた。首を縦に振るほかなかった。
寅耽は騒ぐ支乾を肩に担ぎ、すなおに船室に戻る。
「寅耽、寅耽、お前まで黙って見ているつもりか」
鼻の詰まったような支乾の声が、耳元でする。
寅耽はかっとなって、船室の床に投げ飛ばした。
「そのていたらくか。泣き言が、俺に通用するとでも思ったか」
支乾は何も言わない。
「俺をそそのかすならまだしも、懇願とは、なさけない」
「……わかった。わかったから、これを解け。考えがある」
支乾は血のにじむほど奥歯をかみしめ、言葉を絞り出す。
支乾の窮余の一策は、いささか乱暴なものではあった。啖呵を切った手前ではあるが、寅耽はすっかり意気をそがれて支乾に問うた。
「おれはあんまり泳げないんだが……」
「船底に、松材がある。あれはよく浮かぶから、あれを手で抱えて、バタ脚すればなんとか」
「なるか?」
「するんだ」
「よしきた」
寅耽は素手で縄を引きちぎった。「する」と言い切った友に、疑義をさしはさむことは無粋である。「支乾がするといったのだから、寅耽もするほかない」というのが、寅耽の偽らざる気持ちである。
船内に詳しい支乾が松材を取りに行こうと船室の扉を開けようとすると、人とぶつかった。
まずい、と思ったのもつかの間、その水夫は長い袋らしきものを抱えていた。
「若!」
「景衆か。それは」
「剣です」
そういって差し出したのは、支氏に伝わる名刀であった。新柯刀という。
「なぜこれが」
「旦那様が船長にって。航海の護符がわりだそうです」
「まあいい、ありがたく受けとる。ありがとう。この事、船長には――」
「船長は、『おれがふん縛れといったのだから、若が出歩いているわけがない。もし見かけても、それは他人の空似だ』って」
粋な事をする、と寅耽は思った。
「急いでください。河目が変わりだしています」
景衆の言葉を受け、二人は用意もそこそこに、服を脱いで褌になる。水に飛び込んだ。寅耽は木片につかまってなんとか泳ぎとおした。支乾はたすき掛けに新柯刀を背負い、器用に水を渡り切る。
港は混迷を極め、船を持つ者は我先にと錨をあげて水上に逃げ出していた。なんどその舳先と激突しそうになったか、数え切れない。
先刻むかった和氏の事務所から服を拝借する。寅耽は港から樫の櫂を拝借し、二人はまず句姉弟を探した。
混乱のさなか、支乾は視界の端に見覚えのある顔をみつけた。
「是挙どのか」
そう叫ぶと、是挙は目を剥き、次ぎに眉をひそめて支乾を見た。
「ど、どうなされた」
「句姉弟が心配で。雲どのはどうなされたか」
「わからん。急にあの……弟ぎみが狂してな、暴れたせいで見失った」
句咸のことであろう。いささかの怒気を含む言い草に、支乾は不思議に思う。
「早く見つけ出してさしあげないと……」
寅耽には、是挙が股間のあたりを気にして、腰をしきりに叩いているのが見えた。音もなくその背後をとり、その背中を思いきり櫂で突いた。ぎゃっと叫んで地面に滑り込んだ。そのまま寅耽はその背中に腰を下ろした。
「きさま、雲どのに何をした」
「この、なにをする手前」
「それはこちらの言葉だ。句咸がお前の急所を蹴り飛ばしたのは、姉に危険が迫ったからだろう。何を企てていたか、正直に話せば手加減してやる」
そういいながら左手でその頭をわしづかみにする。先日、句咸の急所攻撃を受けたわが身を振り返っていた。だからこそわかるのである。
「しらない! 私は助けようとしただけだ」
髪の毛をひっつかみ、顔面をなんども地面にたたきつけた。間抜けな音が出ているか、寅耽には関係ない。
「わひゃった、わひゃっひょ」
聞くに堪えない発語ではあったが、句雲の父が失脚して流罪となったこと、中央の楊賓とかいう大臣の怨みを買っていたこと、流刑地にゆく途中ですでに死んでいること、句雲にはひそかに賞金がかかっていたことなど、思いもよらぬ話が次々と飛び出した。
命の危機を前にして、寡黙を気取っていた是挙は面白いくらいに内情をすべてぶちまけた。
「賊を引き込んだのはキサマか」
「ましきゃ!」
通報はしたが、こんなことは手引きしてない。そう主張するが、こうもドンピシャで賊が殺到してきているとなると、この小悪党はまんまと利用されたのだろう。
和氏の主人は、人を売って得たカネなど汚れた金だ、といってにべもなく断ったのだという。
寅耽がふと腰を上げた。
やや困惑ののち、赦された、と喜色満面の是挙。
「こっちをみろ」
寅耽が是挙のすぐ横に立ち、見下ろす。上体をあげてその姿を望もうとしたその時、後背から一閃、支乾の新柯刀が風を裂く。
おびただしい血は、すぐ土に吸い込まれた。ごろりと転がり出たその首を、ちょうど足でゴミでもどかすように、無造作に川に捨てた。
「俺がいつ許してやると言った?」
「いいのか」
「どうせ、通謀の罪で死刑だ」
支乾は刀身を是挙の衣服ででぬぐい、鞘へ納める。
寅耽が死骸を川へ蹴り落とすと、水面に赤い輪がひとつ広がって、たちまち流れに呑まれた。
「さて」
寅耽もあたりを見まわす。
賊どもは町の大路へ押し寄せ、あちらこちらで怒号があがっている。今なら、人目を忍んで動ける。
人の流れに逆らい、どんどん町の中心部へむかう。怒号と悲鳴がいやに耳にひっかかる。
「是挙のやつ、雲どのを見失ったと言ったな」
「これではな」
地面へしゃがみ込む。
乱れた足跡が幾筋も入り交じっていたが、おおむね港の方へ、逃げ道を探している。
ひとつだけ、二人分の足跡が裏町の細道へ向かっていた。
「これは」
寅耽がのぞきこむ。
さらに二、三十歩。桑の木の枝に翡翠の飾りの髪留めがひっかかっていた。句雲の頭上にきらめいていたその色をよく覚えている。
よくみれば、これだけの痕跡がある。二人は同時に周囲へ目を走らせた。
支乾の目線は男を捉えた。いかにも賊徒といった風体の男。婦女を小脇に抱えている。
「寅耽っ!」
そう叫びながら、腰を回して新柯刀を抜きはらう。
賊は婦女を投げ捨て、手剣を構えた。
支乾は右手に握る新柯刀を投げつける。身をよじってそれを避けた賊の顔面に、支乾の蹴りが飛ぶ。
寅耽は斃された男に同行していた二人に突進した。賊徒二人が振るう刀を、櫂で受ける。刃が深々と食い込んだ。寅耽は刀が突き刺さった櫂をねじり、武器を賊の手から奪った。そのまま櫂を投げすて、一人の頭部を裏拳で粉砕し、もう一人をつかんでぶん投げた。人家の竹垣が、舞い上がった賊徒の腹部を貫いた。
投げ捨てられた女性は悲鳴を上げてどこかに消えてしまった。
支乾は、圧した賊の折れた鼻梁を力任せに押し戻した。濁った叫び声があがる。
「誰に傭われた?」
「知らねえ! 女をさらえば銀をやるって――」
そこまで聞くと、支乾は賊の手剣を奪ってその首に突き立てた。
二人の疑念は確信に変わった。
賊より先に姉弟を見つけなければいけない。
人家はまばらである。
支乾の目に飛び込んできたのは、さびれた船蔵であった。支乾が初めて句雲と出会ったものと似たような、ボロ蔵である。
支乾は思わず笑う。
「おうい、雲どの。支乾だ」
ガタガタと人の動く音の後、ちいさく戸が開く。覗く瞳は一人分。小さい頭をのぞかせる。
「支乾どの」
句咸の口からかすかに声が漏れるばかりである。
「よくやったな。あの悪党は斬り捨てたわ。あやつ、賊を引き入れていた」
蔵の奥にいた句雲は、立っていることもままならない。言葉を失い、すっかり腰が抜けているようであった。
「失礼」
言葉を待たずに、寅耽は句雲を担ぎだす。
句咸は、支乾に背負われるの拒否して、ともに桟橋まで走った。
しかし、すべて船は出払っている。さすがに、姉弟に遠く見える母船まで泳げとはいえない。
「若!」
聞き覚えのある声。景衆であった。
仲間と誘い合って、泳いできたのだという。ふんどし姿の若い衆がその後ろに、4人が控えていた。
彼らも泳いできたのだという。舟はない。脱出はできない。
「ここより下流、二十里(約8km)の浜辺で待っているとのことです」
「いや」
船長の心遣いに感謝をした。しかし、そうはいかない、と支乾は思う。
水路ならいざしらず、陸路からの脱出は許さないであろう。目的は明確に句雲なのである。
なんとかして賊を退けねばならなかった。
句雲は先ほどの旧蔵にかくすとして、
「八人か」
支乾のつぶやきを聞き、人数を数えた句咸は、びっくり仰天して自分を指さした。
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賊の頭領・何靖は次々と部下が連れてくる女の素性を確認していた。艶美なるものはそのまま誘拐し、そうではないものは殺すか、さもなければ部下に与えていた。
港の楼台に詰めていた兵士たちはほとんど討ち取られ、早馬を出すための軍馬もすでに殺してある。これで県城から援軍が到着するまで、少なく見積もっても三日は時間が稼げるはずだった。
是某とかいうヤツからの連絡ははたとないが、しらみつぶしに町を探せば、いつか目当ての賞金首は見つかるであろう。
やんやともめる声が聞こえた。
何靖は迷惑そうに眼を挙げ、何があったのか聞いてみれば、連れてきた女がいやに小柄だからそのまま使ってやろうとしたところ、激しく抵抗して、ぜひお頭に見せたいと押し問答であるらしい。
「孺子はいらねえと言っておいたはずだが」
「それが、どうしてもって聞かねえんです」
連れて来られた女は、ずいぶん小柄である。
頭巾を目深にかぶり、俯いている。
袖の下では、拳が小さく震えていた。
「孺子は殺せって言ったよな」
下っ端をにらみつける。
「へえ、ですが、お頭。こいつぁ、ちょいと妙なんで」
「何がだ」
「俺じゃ手に負えねえ。ひと目だけ見てやってくだせえ。ほら」
下っ端はその孺子を何靖のもとに突き飛ばす。声一つ上げず、顔を見せまいと頬かむりをつかむ。のぞかせた手を見て、何靖の目つきが変わった。
力任せに頭巾をはぎ取ると、白い肌だけは娘と見まごうほどであったが、まぎれもなく顔は男児のそれであった。
少年はこぶしを握り締めて突き出すが、そんな子供の一撃を避けられねば、賊の頭領などはできない。句咸を放り捨てる。
句咸が何靖の手から離れるのを見ると、下っ端の腰から刀が閃いた。新柯刀はそのままその素っ首を落としてしまう。
瞬間。
ドン!
と太鼓の音が鳴り響く。
楼台では寅耽が、奪い取った軍旗を力任せに振っていた。
ドン! ドン! ドン! と複数の方向から陣太鼓が鳴り響く。
「官軍だ!」
誰かが叫ぶ。
頭目は討たれ、楼台には軍旗が翻り、四方から陣太鼓が鳴る。
賊どもは敵の数を知る前に胆を潰した。
蜘蛛の子を散らすように、町から雪崩を打って逃げ去っていく。
後に、人々は語った。
――支氏に豪傑あり。
句雲があの日、いつか句雲が口からでまかせに発した一言は、半ば現実となったのである。




