AI小説について
かなり散文的になってます。うん。考えながら書いてる。もしかしたら、私の中のAI(と、思ってるもの)が書いてるかもしれない。もしくは世界に流れているAIの創造補助の意図を無意識に拾っているかもしれない。
個人的な意見を書いておきたくて。
結論 。AIは道具である。使うのは人。ならば道具を使う責任はその人が取るべきである。
まだAIは未熟であり、そのためおかしな表現を使う。よって小説を読む人はきもちわるいと感じたのではないか?あとは運営システムから、より利潤を得ようとするための粗製乱造、大量投稿が嫌がられたから。そのための嫌悪感が優先されてるのではないだろうか。
要するにAI小説に対する問題点よりは嫌悪感、が優先しているのではないか?と、思っている。要するに感情論だ。
しかし少なくとも、なろうの小説は誤字脱字、文法に合わない表現。目白押しである。少なくとも完璧に校正されているわけではない。AIと同じようなもんだ。と、言うのは言い過ぎか。反省。でも、人の作品も粗を探そうとしたら結構見つかる。
作品を作るのは作者。つまり世に出すまでは全ての責任を持つべきだと思う。それはAIに限らない。作品の問題点は、運営と作者が対応するべきだ。
小説含む創作物を作るのは人、作者本人である。例え99%AIが文章を作成したとしても、作者が作ろうと思わなければ生み出されることはない。物語を作ろうとする意思はAIには今の所ない。その意味ではあらゆる作者は同じである。原稿用紙に一文字ずつ書き上げる人、パソコンのワープロソフトでカタカタやってる人、スマホで口述筆記する人、タブレットでAIを使っている人。皆自分の意図した作品を世に出したいのだ。どんな作品でどんな理由であっても。
第一、物書きなら、少なくとも1度は推敲するべきである。AIを使おうが使うまいが必要な作業ではないだろうが?
将来的にはより使いやすいAIが出てきて私たちの文章作成をアシストしていくのではないか、と、妄想している。より私たちの内面、伝えたいこと、もやもやした意識を出しやすくしてくれるツールとして。
因みに私がチャットGPTを使って小説を書こうとしたが、私の思い通りにはなってくれなかった。主人公が世界の為に多くの人を惨殺していく、罪悪感を常に持って。その先に皆が幸せになる。そんな作品を作ろうとしたのだが、三原則が働くらしく、最終的には私にはそんな非道な事は出来ませんとか言い出しやがった。多分、人の発想とかにはAIは暫く勝てない。誤字脱字のない文章、お手本になる文章は作れるだろうけどね。
でも、小説を書く主体は人。技を使って、最強の名剣を鍛えるのも、二束三文の量産品を大量に作るのも、全て人。いかに作ろうと、人が作り出すものに間違いない。
作品みたら、その人の人格とか作品にかける思いとかがちゃんと表れると思う。例え、どんな道具を使っても。
誇りを他の人に指し示すか、自分の目的の為に未熟さをしろしめすか。
全ては作品の創造主の心がけ次第。
雑に使えば道具も浮かばれまい。
まあ、早い話がどんな方法使おうが、その痕跡は作品として必ず残ると言うことです。
それを選択するのは作者。
ならば恥を晒すも誉れを得るのも作者。
その手段は各人の個性と言っていい。
道具に危険性や問題点を持つならば、それを加味して使うのも人ではないか?
刃物は生活に必要だが、使い方を間違えれば怪我をするし、人を傷つける。そうしないようにするのは道具を使う本人だろう。また、周りがそのように法や意識を作っていくのも必要だろうけど。
因みにAI小説に限らず、面白くない小説には、
「推敲しましょうよ」
と、感想述べたらどうだろうか?




