第三王子と三女3
俺に何回も泣かせられていたアプリコットだったが、今まで俺がしたこと以外で彼女の泣き顔を見たのはたったの二度だけだ。
一度目は初等部の時、学園の魔法の授業でクラスメイトに後ろ指をさされた時だった。
グループで行う授業の時、彼女は属性のせいで活躍の場がなくて、周りから役立たずと責められた。
最初は耐えていたアプリコットだったが、ある日そんなクラスメイトたちの様子に居た堪れなくなった彼女が授業を途中で抜け出した。
慌てて追いかけると、アプリコットは校舎の裏で膝を抱えて静かに泣いていた。
初めて人から泣かされる彼女の姿を見て、散々自分は泣かせてきたはずなのに、俺はその泣き顔を見たくないと強く思った。
いざ彼女が落ち込んで泣いているところを見ると、作戦のことなんか一切浮かばなくて、アプリコットを慰めるために必死に言葉を尽くした。
それから、彼女を泣かせる奴が許せなくて、陰口を言う奴を見つけると二度としないように懲らしめた。
俺に泣かされた奴は決まって教師に言いつけに行くのだが、彼女に知られたくなくて、喧嘩を売った理由を頑なに言わない俺にクラスの先生や乳母、母上は頭を悩ませていた。
「今日天気良くてよかったな」
雲ひとつない空を見て言うと、「うん、ほんと」と隣でアプリコットが相槌を打った。
丘の上に位置する涼しい秋風が吹き抜ける道を彼女の手を引きながら歩く。
しばらくして目的地に着いた俺たちは立ち止まって、肩を並べた。
「じいじ、久しぶり」
アプリコットが長い髪を風になびかせながら目を細めて囁いた。
俺は手に持っていた花束をじいじが眠る墓跡の前にそっと置いた。
アプリコットの泣き顔を二度目に見たのはじいじが亡くなった時だった。
その頃、得体の知れない感染症が流行り始め、多くの人が命を落としていた。
原因が分からない病に魔法も効かなくて、それまで経験したことがない事態に、国中が恐怖に苛まれていた。
そんなある日、彼女とエステート家で過ごしていた時に、慌てて部屋に駆け込んできたサヨからじいじが感染症で亡くなったことが告げられた。
それを聞いた彼女は、予期せぬ知らせに呆然としたまま、手を小さく震わせていた。
知らせを聞いても泣かなかったアプリコットは、葬儀で棺桶に横たわる彼を目の当たりにした時、悲痛な泣き声を上げて膝から崩れ落ちた。
俺はそんな彼女の姿を見られなくて、ずっと顔を俯かせていた。
父上と母上は感染症を広めないための対策を講じるためにほとんど寝ずに働いていた。
既に魔法省にいたリアムは治療魔法や治療薬の研究に尽力し、騎士団に所属していたノアは流通が止まっている地区に物資を届けていた。
周りが国のために力を尽くしている中、俺だけが一般市民と変わらない守られる立場だった。
その時、改めて自分の無力さを呪った。
俺は、アプリコットのためにも、彼女のように悲しむ人のためにも、何もできずにただただ見ているだけだった。
それからしばらくして、感染症の治療方法が見つかり、事態は収束した。
最初は悲しみで食事も喉を通らず、痩せ細っていた彼女も、次第に元気を取り戻していった。
ただそれでも、俺は彼女の泣き顔が脳裏に焼き付いていて、居ても立っても居られなかった。
このままじゃダメだと、無我夢中で剣術に取り組んで、それから一年少ししてようやく騎士団に合格した。
何かあった時に自分が行動する名目が欲しくて、学園で生徒会長になった。
しかし、その頃にはリアムは魔法省大臣に就任し、ノアは学園を卒業すると同時に騎士団の副団長になっていた。
どんなに自分が頑張ってもいつも彼らの背中は果てしなく遠くに見えて、焦燥感が募った。
そんなある日、学園でクラスの前で自分の噂話が聞こえてきたことがあった。
「レオ、騎士団受かったんだってね」
「うんうん、生徒会長もやってるし、最近なんか頑張ってるね」
聞こえてきた自分の名に咄嗟に足を止めた。
「まあでも…レオが王位につくことはない……よね」
「あれだけ優秀なお兄様たちがいたらねー」
聞き飽きたそんなやり取りがその時の俺には重くのしかかって、思わず拳をぎゅっと握った。
すると、予期せずアプリコットの声が聞こえてきた。
「そう?私、レオが一番向いていると思うけど」
俺が目を見開くのと同時に、「え?」と小さく声を上げた友人たちに向かって、アプリコットが続けた。
「レオね、私が初等部の頃、大した魔法が使えなくて周りから責められてた時、助けてくれたことがあったの。私のこと悪く言った子を片っ端からやっつけていったんだけど、親や先生には絶対言わなかったんだ。王子のレオが大人に頼ればすぐに解決するのに、自分の力で助けてくれたんだよ。」
彼女の言葉に息をのんだ。
「それに、王宮の使用人の人たちにレオ人気なんだ。身分や立場なんて関係なく、誰にでも分け隔てなく接するから。私はレオなら、いい国にしてくれると思うな」
俺は焦りや劣等感で押し潰されそうだった心がふわりと軽くなるのを感じた。
それから俺は俺のやり方で彼女を守れるようになろうと考えるようになった。
いつもアプリコットは優秀な兄たちの弟ではなく、俺自身を見てくれるから、その期待に応えるまでは諦めたくないと心の底から思った。
「あ!」
墓地から馬車に乗ったところで、アプリコットが声を上げた。
その声に少し目を見張って「どうしたんだよ」と問いかけると、「じいじのところに日傘忘れたー」と項垂れた。
「日傘なんて普段差さないのに持ってくるからだろ」
「だって、ばあばがレディの嗜みだからって渡してきたんだもん」
そんな彼女にやれやれと肩を竦めながら、馬車を発進させようとしている御者に「ちょっと待ってくれ」と声をかけた。
「レオ、走って取ってきてよ」
「……お前、俺が仮にもこの国の王子だってこと忘れてるだろ……」
思いついたように言ったアプリコットに半ば閉じた目を向けると、「えー、レオはレオでしょ」と事も無げに口にした。彼女の何気ない言葉に心が穏やかになったのを感じて、こいつには敵わないな、と思わず眉を落とした。
「レオは私のど、婚約者なんだから!」
「おい、今何言いかけた」
「うそうそ、冗談!」とけらけら笑うアプリコットにつられてふっと笑ってから、「ほら、行くぞ」と彼女の手を掴んで立ち上がらせて、馬車を降りた。
心地よく吹く風を頬に感じながら来た道を辿るようにゆっくり歩く。
夕日に染まる広大な園内には俺とアプリコットしかいなくて、辺りには風に揺れる草木の音だけが静かに響いていた。
後ろに手を組んで少し前を歩くアプリコットは小さく鼻歌を歌いながら、桃色の髪と黄緑色のシフォンワンピースをふわふわとなびかせている。
そんな彼女の後ろ姿になんだか愛しさがこみ上げてきて、俺は不意に口にした。
「俺、お前のこと好きだよ」
すると、一瞬驚いた顔で振り返ったアプリコットはすぐに優しい笑みを浮かべて、「うん、知ってる」といつものように答えた。
彼女の返事にふと目を細めながら、心の中で「本当だな、じいじ」と語りかけると、遠くにいる彼が満足げに笑った気がした。




