2-1
友と定めた少女との邂逅からはや5日。
その間に、ルドルフの記憶は何一つ蘇らなかった。
この五日間はルドルフはベルタのために様々な芸を見せた。
音楽、美術、手品、料理、舞踏。様々だ。
ルドルフは自分が何者かということは一欠片も分かっていないが、自分に何ができるのかは徐々に把握していった。
それはベルタのおかげだとルドルフは口が聞ければ迷わず言っていただろう。
相変わらず言葉は話せれないけど、聞き取れる。文字は読めない書けない。
鎧は兜も籠手もどこも外れない。しかも、汗の一つもかかない。
空腹感もなければ、排泄もいらない。
必要なのは睡眠くらいだった。
ルドルフは自分の正体が一向に分からない。
どこの生まれでどうやって育って何をして生きているのか。何一つわからない。
そして体のことも不思議でたまらなかった。
しかしそこは、
「だ、大丈夫。ここでなら、気にしなくていい」
と、未だに口ごもるけれど、ベルタがはっきりと告げてきた。
ベルタに深く追求することはなかったが、ルドルフの心には黒い種が宿ってしまった。
聖宮。
その力だとベルタは言うが、詳しいことを彼女は話さない。
もしかしたら話せないのかもしれないが、どっちにしろルドルフにとっては何も分からないと言うことに変わりはない。
食材にしても、ルドルフが知りえないことがある。
食材庫に行けば必ず食材があり、消費してもいくらでも増えていく。
かといって誰かが侵入した形跡はない。
やはりここにはルドルフの知りえないナニかがある。
ルドルフは何一つ納得していないが、言葉が話せれない中、ベルタに考えを正確に告げることも難しいので、それ以上の追及はしなかった。
なによりベルタの表情に影を宿してしまったことが、ルドルフの心に刺さっていた。
この歪な友に心を知ってもらうために、ルドルフは行動する。
今のベルタに自身の闇と対峙する強さはない。目を背けるか、押し潰されるか。
だからその強さを身に付けてほしいからこそ、一時は目を背けることとなっても、光だけを見てもらいたいと、友人として強く願った。
だから笑ってもらおうといろいろしたのだが、4日目に入ると、俺はもしかして旅芸人か道化師でもしてたんじゃないか、と頭を捻っていた。
外は霧が濃くとも夜の暗さは明確で、もう日付が変わろうとしている。
この時間のルドルフは、ベルタと一緒に霧がかった外をぼんやり眺めていた。
ベルタが就寝してから、ルドルフも別室で寝るようにしている。
「……もう、終わりなのね」
ルドルフは外を眺めているベルタの表情に疑問をもった。
今日という一日が終わることに、どうしてそんなにも寂しい表情をするのかと。
確かに何かはっきりとしたベルタの進歩や、ルドルフの記憶の回復はなかったが、だからといってそれは昨日と変わらない。
ベルタが未だに少しだけれど、柔らかな表情を見せてくれるようになったことにルドルフは喜ばしかった。
信頼されてきていると思った。
(けど、違うのか……)
いや、そんなはずない。
なら、何か言葉に齟齬があるのではないかと、言葉を話せれない故にルドルフは思い返した。
しかし、それらしい齟齬を見つける前に日付が変わった。
零時になると同時に外から鐘の音が響き渡ってきた。
「…………」
(なんだ? 昨日までは鐘なんてならなかっーーーー!)
ルドルフは初めて聞く鐘の音の方角を窓から眺めた。
(霧が、晴れている……。さっきまであんなに濃い霧だったのに、一瞬で……? ……あれは城?)
初めて見る城の外は、肥えた土しかない荒れ地だった。生物の気配どころか、植物すら生存できそうにない。
そして、その遥か奥。
ようやく草の存在が確認されるそのさらに奥。
小さく、ぼやけているが、確かにそこには建造物がある。
それが城なのか塔なのかは、はっきりとは分からない。
しかし、相当の距離があっても視界にとまるということは、それだけ巨大な建造物であるのだろう。
「……ルド…………ルドルフ。外の様子を見てきてくれない?」
ルドルフは頷き、ドアノブを捻った。
まずは、この城の最上階へ向かい、外を一望してから行動すべきだとルドルフは階段に向かう。
(……なんだ)
ルドルフの中でもやもやしたものが蠢く。
(なんだ! ベルタは何を隠しているんだ!)
気がつけば走っていた。
騒々しく鎧の音がするが、ルドルフにも気持ちの抑えが付かなかった。
5日だ。
確かに素性も知れぬ口もきけぬ、そんな男を信用するのは難しいかもしれない。
しかし、ベルタの笑顔。
ルドルフの頭に浮かんだ僅かな記憶。
(あれは信頼の証には成らないのか……)
理性では分かっている。
信頼云々ではないのだろう。
ベルタは嫌われたくない。だからベルタが関連する嫌なことは何も言いたくないのだろう。
それを考えれば、自分の生い立ちについて少しでも話してくれたのは、ベルタにとって酷く怖かったものだろう。
それでも、ベルタは一歩踏み出している。
(落ち着け。落ち着くんだ。今はまだ待つんだ。ベルタの心が本当の意味でに開く時まで)
嫌われたくないから心を開いたように見せる、そんなことは絶対に在ってはならない。
屋上に上りきると、ルドルフは眼前に広がる景色に驚愕していた。
北には山。南には海。西はなだらかな丘。
東は延々と草原が続き巨大な建造物が二つ。
巨大な月の光ではっきりと見えた。
(ここは、こんなに広かったのか……。けど、こんな土地で五日間も霧がかかり続けるなんてありえないだろ。いったい……。いや、考えるべきはそこではない。考えるべきは、アレ)
ルドルフの鋭い瞳には二つの建物が入っていた。
(アレの中に人がいるのかどうか。――――敵か味方か)
人が居なければ面倒事になることはなくなるが、代わりにベルタが人と触れ合う事がなくなる。
かといって人がいたとしても、害意ある者だった場合、ルドルフ一人では何もできない。
ベルタをまた暗闇に落としてしまうかもしれない。
そんな不安を抱えている時。
――――守れ。
頭の中で嫌悪感を抱く声が聞こえた。
一度聞いた声。あの時、目を覚ました初日に聞こえたあの時に聞こえた声だ。
辺りには誰もいない。
(――――っ! 俺の頭の中だけで鳴っているとでもいうのかよ)
――――守れ。
――――勝て。
――――殺せ。
声は何度も何度も頭を締め付けてくる。
激痛が思考を麻痺させる。
(くそ……っ。なんだ……っつぅ)
意識がぼんやりをしていく。
終わりなく繰り返されるその声はルドルフの精神を削り取るには十分すぎた。
(意識が……もう……)
一体何分が経ったのか。
五分か。十分か。
時間の感覚はとうに消えていた。
そして、意識までも手放しかけていた。
(…………)
しかし、一つの言葉がルドルフを覚醒させた。
――――敵はもう来ているぞ。
(て、敵、だと? ――――まさか!!)
それを最後に声はしなくなった。
ルドルフはすぐさま階段を駆け下りた。
(無事でいてくれ。ベルタ―――!!)
次は少しは盛り上がると思います




