第1話 侵入者アリ!
「リュカ、君の魔術の才は神からの贈り物だ。この先きっと、君自身のためばかりでなく、多くの人にその恵みを分け与える存在になることだろう」
僕が五歳で魔術を使えるようになった時、育ての親のクレマン司祭はそう言って祝福してくれた。
でも、ごめん。僕はそんな存在にはなれそうもないよ。
今の僕にとっての魔術は、嫌な現実を忘れるための手段でしかないんだ。正直、『多くの人』のことを考える余裕なんてない。
だって、僕があなたを死に追いやってしまったから。
僕の残りの人生は、あなたへの贖罪と、ごく限られた人の私腹を肥やすだけの無価値なもので終わるんだ。
***
『侵入者アリ! 侵入者アリ!』
一本調子のけたたましい声が上がった。
窓際のデスクでウトウトしていた僕は、その騒音にびくりと跳ね起きていた。
目の前には壁のように積み上がった本と書類の山。床には魔法陣を描き散らした紙と丸めた紙くずが、足の踏み場もないほど埋め尽くしている。
ベッドの上には脱ぎっぱなしの黒い長衣――『司祭衣』と呼ばれているものの山。
アルトゥル神教の総本山であるサントレナス教皇国、教皇庁内にある宮殿の一階の小部屋。
ここが『リュカ司祭』と呼ばれる僕の部屋――『汚部屋』なんて呼ばれているようだけど、そこは気にしない。
「しまった……いつの間にか寝ていた」
しょぼしょぼする目をこすっている間も、『侵入者アリ!』の甲高い声は繰り返されている。
声を発しているのは、質素なベッドの枕元に置かれたクマのぬいぐるみ。その両目に埋め込まれた親指大の魔晶石の右側だけが赤く点滅している。
『侵入者ア――』
「〈停止!〉」
苛立ちながら声をかけたと同時に、魔晶石は元来の無色透明な石に戻って、ぬいぐるみはおとなしくなった。
「侵入者って……」
眠気の覚め切らない頭を一つ振ってから、人差し指を宙に掲げると、素早く魔法陣を描いた。
「対象は生命体のみ、範囲は……大聖堂一帯で十分か。〈時間停止〉」
魔術を発動したとたんに、ずしんと身体が重くなるような感覚。体内の魔力をごっそり持っていかれた。
この宮殿に併設されている大聖堂は、千人から入る広大なもので、四階建ての宮殿と同じ高さがある。その容積全体の時間を止めるのは、魔力量が多い僕でも身体への負荷が大きい。
まったく、侵入者って何? ネズミでも出た?
内心悪態をつきながらデスクの上のランタンを取り上げて、足早に自室を出た。
大半の人間が寝静まる深夜過ぎ、暗闇に沈む廊下には誰もいない。僕の靴が石床にコツコツ当たる音と、足首まである司祭衣の衣擦れが聞こえるだけ。とても静かな夜だ。
それにしても、宮殿を出て渡り廊下の先にある大聖堂に着くまで、誰ともすれ違わないのはおかしい。
聖騎士は何をやっているんだ……?
教皇庁は真夜中でも聖騎士が交代で見回りをしているはずなんだけど――。
辺りを見回しても、僕が掲げているランタンの光以外は見えない。人の気配もない。
これはもしかして、異常事態……?
ともあれ、司祭としての僕の役目は、大聖堂に展示されている七つの聖宝を守ること。まずはその無事を確かめなければならない。
大聖堂の東側にある両開きの扉を押すと、ギギッと軋む音とともに中の暗闇が現れた。
空いた右手の人差し指で魔法陣を描いて、「〈点灯〉」の詠唱で炎の魔術を発動。
瞬時に大聖堂内にあるすべてのろうそくに火が灯った。
特にろうそくの数が多い右手の祭壇付近は、金をふんだんに使った装飾なので、まぶしくて目を細めたくなる。
そんな光を浴びる聖トルータスの白亜の巨像は、昼間ステンドガラス越しに見るより荘厳で、畏怖さえ感じさせるものだ。
秩序と平和を司る聖トルータス――
このサントレナス教皇国の初代教皇にして、現在でも信仰の中心になっている七聖人の一人。頭に戴く金の冠は聖宝の一つ、〈統治者の冠〉と称されている。
僕は右に聖トルータス像を見ながら、ベルベットの赤いロープで仕切られた内陣と信徒席の間を進んで、祭壇前で左に折れた。
中央通路を正面入口の方に向かって辺りを見回しながらゆっくり歩いていく。
左右の壁際の周歩廊には、壁のくぼみに祭室が三か所ずつ並んでいて、それぞれに六人の聖人像と、彼らに由来する聖宝が置かれている。
手前右側の祭室は、愛と子孫繁栄を司る聖モルザを祀ったもの。その聖宝は子宝を授けてくれるという〈蒼玉の二枚貝〉と呼ばれるサファイアのペンダント。
左側は死者を司る聖オーストの祭室。死者の魂と言葉を交わすことができるという鏡――黒瑪瑙で飾られた〈冥府の黒鏡〉が鎮座している。
周歩廊と祭室の間は、礼拝者が入れないように太いロープで仕切られているけれど、大人なら軽くまたげる高さでしかない。だからといって、礼拝者が聖域に土足で踏み込むような罰当たりなことはしないだろう。
そう思っていたんだけど――。
侵入者は聖モルザの祭室の隣、戦と力を司る聖イリアスの祭室の中にいた。
万が一、億が一を考えて、夜中に誰かが足を踏み入れた場合に、警報が鳴る魔道具を仕掛けておいてよかった。
僕は長椅子の間をサッと通り抜けて、まっすぐその祭室に向かった。
時間は止めたままなので、侵入者は身じろぎ一つしない。チュニックにズボン姿の背中側しか見えないけれど、かなり大柄な男のようだ。
僕もロープをまたいで祭室に入ると、男は台座の上に置かれた銀の剣に両手を伸ばしていた。
柄頭に大きなルビーがはめられた聖イリアスの聖宝〈紅玉の剣〉。
侵入者は顔立ちを見る限り十代後半のようで、僕より頭二つ分は背が高い。燃えるような赤い髪といい、分厚い筋肉をまとった均整の取れた体つきといい、まるで筋骨隆々の聖イリアス像みたいだ。
太い眉に通った鼻筋、大きめの口と、目鼻立ちも凛々しく精悍。司祭衣を着ていないと、少女に間違われる僕とは大違いだ。
うーん……武器は腰の剣だけ?
「あれ?」
男の周りを見回しても光源がない。
もちろん今は祭室のろうそくが全部灯っているので、見るのに不便はない。
けれど、僕が来るまでここは真っ暗闇だったはず。この大聖堂に侵入するのに、ランタンの一つも持っていないというのがどうにも奇妙だ。
「それはともかく――〈解除〉!」
パチンと一つ指を鳴らして時間停止の魔術を解除した。
と同時に時間は動き始めて、侵入者は直前の動作の続き――聖宝の剣に両手を近づける。
「残念ながら、その聖宝は盗めないよ」
声をかけると、男はびくりとしたように身体を震わせて、飛びのくように僕から距離を取った。
筋肉がたっぷりついて重そうな体躯からは想像できないほど、しなやかで俊敏な動きだ。
「お、お前、いつの間に!? ていうか、なんで急に明るくなって……!?」
男が混乱している隙に、僕は捕縛用の魔法陣を宙に描く。
「賊に説明する義理はないよ。〈拘束〉」
僕の立てた人差し指から魔力で編んだ縄がシュルリと飛び出して、男の身体を絡め取った。
「うわ……っ。何だこれ!?」
縄は蜘蛛の糸のように、男が暴れるほど身体に絡みついていく。
驚くのも無理はない。これは僕が発明したオリジナルの魔術なんだから。
「さて、真夜中に大聖堂に入り込んだ不届き者は、聖騎士に引き渡さないとね」
言いながら踵を返した時、背後からブチブチッと何かが引きちぎれる音が聞こえた。
はっと振り返ると、男は全身の筋肉を盛り上げてその場にどっしりとそびえ立っていた。身体が倍ほど膨れ上がったように見える。
「え、ウソ……!? 僕の術が……」
唖然とする僕の前で、男はフウッと大きく息を吐く。とたんに筋肉がしぼんで元の身体の大きさに戻っていった。
これ、どういう仕掛け……!?
「うん? 縄はどこに行ったんだ? 消えちまったぞ」
一方で、男も驚いたように目を丸くして、縄で縛られていた自分の身体をペタペタ触っている。
これはヤバい。かなりヤバい相手だ。
魔術師がこの魔術を解析して解除するのならまだしも、魔力で作った縄を物理的に切るなんて芸当、普通の人間にできるはずがない。
拘束ができないなら精神系の魔術で眠らせるか、もう一度時間を止めてもいい。
けれど、すでに一度魔術を見せてしまった後なのだ。魔法陣を描こうとした瞬間に止められてしまう。
あのゴツい手で手首でもつかまれたら、僕の細い骨なんてポキッと折れる。
形勢逆転――!?
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