ミュージカルな世界
さて、今日も仕事。
最近は入社当初のように五月病に即落ちしそうなほど弱ってはいないが、やる気や爽快感に満ちている訳では無い。
未だに実質後輩ゼロだし・・・
「ご利用ありがとうございます。異世界転生カスタマーセンター、お客様サービス係でございます。」
「私は~、ある晴れた空に~、導かれ、この世に降り立ったベン、ジャミン、ソフレットと申す者~!」
何か歌ってる。きっとどこかネジが足りないタイプの方なんだろう。
「ベン様ですね。」
「いいえ~、ベン、ジャミンでご~ざいま~す。」
「失礼いたしました。ベンジャミン様ですね。」
「そのと~りっ!」
何か一瞬、ピアノを売りたくなった。
「もしかして、お困り事はその独特の話し方と関係しますか?」
「あ~あ~、普通の言葉~、それは5年ぶり~。」
「5年で随分ローカライズされたのですね。」
「ああ、何とか調子を取り戻してきました。私の前世における記憶とともに。」
まだ、ごく一部しか戻って来ていないように見えるが・・・
「その独特の言い回しと歌が問題なのですね。」
「そうなんです。私の世界では全てを詩的に、そして美しいメロディに乗せて語ることこそ高貴な身分の証として重要視~、されるのでございます。」
「平安時代ですか?」
「いいえ。ここは文化の香り高い18世紀。のような~。世界観です。私はそう、感じております。」
「とても時間に余裕のある世界なんでしょうね。でも、それはお客様の世界の設定ですので、変更することはできませんよ。」
「なんと~、これは強い衝撃と共に私の心へ鮮烈に届いた~、夏の日差し~。」
一応、ショックを受けたみたいだ。
「しかし、とても珍しい世界に行かれましたね。」
「はい。ドラマチックな世界。それは人生における強烈なスパイス。そして情熱的な恋と華やかな文化は、そこを生きる者たちへの賛歌。そうした世界を、私は熱く望んだのです。」
「しかし、まさかこれがあるとは思いませんでした。世界は広いですね。」
「まさに、事実は小説より奇なり。そして、私の情熱のほとばしりは事実より奇なり。」
「申し訳ございません。よく分かりません。」
「この世界、万事これなり。そして異世界の旅人である私には、とても困惑することが多い世界。その悩める姿は歯の痛みに苦しむ小鳥が如く。」
もう全く意味不明だが、この方はこの世界で何とかやってきたのだろう。
「しかし、歌と詩の勉強さえすれば、何とかなるのでしょう?」
「それだけではありません。ダンスやシチュエーションに応じたアクション。そして表情まで全てが洗練されていなくては一人前とは認められません。」
「ベン様は高貴な身分なんですよね。」
「ベンジャミンです~。そうですね。伯爵位を高貴なる王家より賜っています。」
「それでは社交界とか大変ですね。」
「はい。特に舞踏会は大変です。まずはワルツかポルカ、はたまた別の曲にするかを決めくてはなりません。それはパートナーと。そして、決まったら次はテンポを決めます。」
「それは、楽士の方が選曲を含めて決めるのではないのですか?」
「いいえ。それそれのペアが歌いながら踊ります。ここでどれだけ格調高い詩とメロディを披露できるか。それこそが教養の証として私たちの評判に繋がります。」
「つまり、爵位の高い人ほど詩歌の実力が高いのですね。」
「王などは大変です。」
「確かに王族にとっては由々しきことですね。」
「そして、興が盛り上がってくると、それぞれのペアが恋愛模様を演じます。」
「台詞はどうされるのですか?」
「パッションです。」
「悲劇を演じる場合もありますよね。」
「最初はパッション。そして、フィーリングが合わなければ、次第にそれは哀愁を帯びていき、最後は別れに。」
「奥様相手なら即離婚ですね。」
「相手が妻の時は皆さん、鬼気迫っています。ですので、冗談で済む相手と踊ることも多いです。」
「若い二人だと、それも大変そうですね。」
「実は、嫌いなのに実力のある者とペアを組むのが最も大変なのです。」
「そういった場合のテンプレはあるのでしょう?」
「上手くやらないと、自分の評判が落ちてしまいます。」
これはこれで過酷な世界だ。
「でも、ベンジャミン様は21世紀の音楽を知っている訳ですから、それはそれでチート持ちですよね。」
「はい。故郷の富山の民謡とか、ラップとか試しに歌ったのですが、お気に召さなかったようでした。」
「なかなか上手くいかないものですね。ところで、そんな国の政治は上手く言っているのですか?」
「我が国は~、失礼。典型的な夜警国家ですので、軍さえしっかりしていれば、どうにかなります。」
「庶民はどうです?やはり歌って踊ってばかりなのではないですか。」
「そうですね。仕事半分、歌と踊り半分といったところでしょうか。まあ、何とかなっていると思います。パンが無ければ隣の家のパンを食べるといった感じですかね。」
「やはり、いろいろ嫌な予感はしますね。」
「でも、貴族にとっては歌、そして詩が大事なのです。自己表現、それは人生の全てであり、富と名声の根幹です。」
「まあ、打開策はありませんので、これからも教養を高められるよう、頑張って下さい。」
「お言葉、感謝いたします。普通の方とお話できて良かったです。」
「どういたしまして。それでは、ご健勝をお祈りしております。」
「では、最高の時間に感謝致します。」
こうして電話は終わった。
想定通り、ほぼ中身は無かった。
「歌手やダンサーなら、出世できそうな世界でしたね。」
「よくこんな世界を設計したなあと思います。」
「私も知りませんでした。」
「まるでキリギリスしかいないような国でした。」
「世界の全てがあの調子なら、平和かも知れませんね。」
「立ちゆけば、の話ですが。」
「まあ、ああいう特殊な設定では、私たちの出番はありませんね。」
「はい。私もお話ししていて何も案が出ないどころか、どんどん頭の中が空っぽになっていくような感覚でした。」
何も悩まない性格なら、ああいった世界もいいかもしれないなあ、とか思った。




