第8話:海辺の村と、消えた毒
潮風が頬を撫でた。
岩場に囲まれた小さな漁村は、断崖絶壁にへばりつくように建てられていた。塩に焼かれた木の板壁と、海鳥の甲高い声。海が近いというより、海そのものに呑まれているような場所だった。
「……ここが“クシマの村”か」
春蘭は腰に薬包を収めた革鞄を揺らしながら、坂を下った。後ろをついてくるのは、寡黙な護衛の青年アラン。村人たちは二人をじろじろと見ては、さっと視線を逸らした。
依頼は簡潔だった。
――「村で続けざまに“奇病”が発生し、三名が死亡した。症状は共通しており、毒の疑いがある」
診療院の本部を通して、匿名で届けられた依頼文。文字は震えており、書き手の恐れが滲んでいた。
「春蘭先生……あれを」
アランが顎で示した先に、ひとりの老婆がいた。舟着場の隅で、花を手向けている。
私はその花に目を留めた。――“シオカゼナデシコ”。毒性はないが、死者に供える風習のある花だ。
「ご遺族かしらね。話を伺ってみましょう」
声をかけると、老婆はギクリと肩を震わせた。
「……よそ者は、あまり口を出さんでくだせぇ。これは村の祟りなんです」
「祟り……というと?」
「先月、村の掟を破って沖に舟を出した男がおりましてな。その者が戻ってから、ひと月のうちに三人も……水を吐いてのたうち回って死んだんです。お医者さまでも、よう分からんと言うとった……」
私は首を傾げ、手帳を取り出して訊ねた。
「亡くなられた方々の共通点は? 年齢や性別、職業、あるいは食べた物……」
「皆、あの“潮房”の作った干物を食べてました」
潮房と呼ばれたのは、この村で一軒しかない干物小屋だった。海辺の岩棚に建てられた、黒い板壁の建物。見たところ、風通しはよいが、湿気も多く、保存には適しているとは言い難い。
私とアランが中を覗くと、中年の女が魚を捌いていた。無言でこちらを睨みつける眼差しが、どこか険しい。
「失礼します。診療院から来ました。毒の疑いがあると聞いて――」
「わたしの干物を毒呼ばわりとは、いい度胸だね」
女は包丁をまな板に叩きつけるように置いた。が、どこか焦りがある。
私はそっと壁際に近づくと、干し網の隅にあるものを指で摘んだ。
「これは……白カビね。でも、発酵性のものじゃない。“アスペルギルス・フラヴス”……黄カビ毒。強烈な肝毒性があるわ。間違いない。アフラトキシンB1だわ」
干物に付着したカビが、時間の経過と湿度で毒性を発していたのだ。
「でも、毒ならすべての干物に出るはずだろ。食べて平気だった者もいる!」
アランが指摘すると、私はしばし黙考した。
「――つまり、“毒”そのものではなく、毒が“発生する条件”を知っていた者が仕掛けたと考えるのが自然ね」
干物の保存場所、湿度、日光の当たり方。そこに意図的な変化が加わっていたとすれば、犯人は村の構造と気候を熟知した者……。
「それに、“最初に舟を出した男”――あなたの夫、でしたね?」
干物女の肩が揺れた。
「夫が沖で拾ってきたのよ……“黄金の魚”だって言って。見たこともない脂の乗った魚……それを干物にすれば、村の者たちは皆ありがたがって食べた……」
「そして、それを食べた者だけが死んだ」
私は干物をひとつ、解剖用の小刀で裂いた。
「この脂……常温で変質しやすい。しかもこの魚は、深海性の“カワリフグ”という種に似てる。肝臓に極めて強い天然毒を持つことで知られているわ」
私は女を見つめた。
「あなたはそれを知っていた。でも、貧しい村を救いたかった。だから、毒が発生する部位を取り除いた“つもり”で売った」
女の目から、涙が溢れた。
「違う……違うのよ……わたしは……」
「“つもり”であっても、毒は残っていた。あなたは罪を背負うことになる。でも――それを村人の“祟り”にすり替えることで、あなた自身も救われようとした」
潮風が、静かに吹いた。
私は手袋を外し、女の手にそっと布を渡した。
「罪を背負う覚悟があるなら、真実を話すべきです。――あなたが、愛した村のためにも」
その夜、私は海辺に立ち尽くしていた。
アランが隣に立つ。
「言ってやればよかったのでは? 毒魚と知りながら売ったと」
私はゆっくりと首を横に振った。
「“知らなかった”ということも、また嘘。でも、“助けたかった”という想いも、嘘じゃなかった。……それを断罪できるほど、わたしは神じゃないわ」
海の向こうで、星がひとつ、海に落ちていた。




