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86 本日は大嵐ゆえに、暴風雨なり 1

 《 大洋中央部上空『白壁』内、外縁部を飛翔航行中のある艦 》


 ゴォオオオオオオオオオォォオオォォォオオオオオ――~~……。


 ただそれだけ。

 外からの音といえば、唯々それだけの音しか聞こえない。

 そして窓越しに見える外の景色と言えば、稲光に照らし出される灰色と真っ黒な聳え立つような雲の壁と云ってもよい雲塊。。

 そんな何処までも続いている変わり映えのしない雲塊が織り成す光景には、雷が幾条にも奔っている。

 この状況下では、船の甲板に出る選択肢は、そもそも存在しない。

 たとえ出たとしても暴風で吹き飛ばされ、虚空を舞う事になり、落下するしかない。 当然ながら……再び船に戻る事など出来ないだろう。

 はっきり言って船外通路に出る事さえ命懸けである。

 したがって狭い船内通路を使うしかない。

 だがその船内通路では、一変して多種多様な音で満ちている。

 端的に言うならば、通常航海では、まず聞かない音が木霊しているのだ。

 そして、通常航海では、まず聞かない音というものは、できれば聞かずに済ましたい音でもある。

 そんな絶え間なく鳴り響いている多種多様な聞きたくはない音が、否応にも乗船している者達の不安を一層の事に掻き立てていた。

 そんな艦内に幾種類もの警報鐘が鳴り響いている最中において、艦内にいるからこそ聞こえてしまう異音が余計に大きく耳に響く。


 ギイイイィィィ……ミリ、ミリ、ミシィィイイ……。

 ギイイイィィ……


 カン! カン! カン!



 艦内に鳴り響く警報鐘を伴奏に、艦体が悲鳴を上げて軋む音が鳴りやまないのだ。


 乗員のみならず艦長でさえ、言葉には出さないが、このままでは空中分解するか浮揚力を喪って墜落すると思っている。

 だが、現状ではどうにもならない。

 もはやこのまま飛翔航走し続けて、この空域を抜けるしかない。


 『龍の踊り場』とも称される巨大な雲海の最外縁部でさえ、この有様なのだ。

 中心部に近づけば、どうなるか等……考えたくもないくらいだ。


 艦内ゆえに割り当てられた部屋もまた狭い。

 それゆえに、鳴り響く警報音が否が応でも扉越しに聞こえてくることになる。

 部屋に籠っていても周囲の状況が判らないのであれば、不安だけが募る事になるのは必然。そのため、割り当てられた特等船室に閉じ籠るという選択肢は元より無い。

 いまは艦の指揮を執る第二艦橋部にお付の側仕えと共に来ているのだが、緊張感と共にある種の諦観が綯い交ぜになった表情を浮かべている乗員たちの姿が眼に入ってくる。

 そんな艦橋要員たちを観ながらも、艦長席の隣に臨時に据え付けられた席に、安全帯を腰部に通して腰掛けていた。

 側仕えも私の座席の後部にある握り部を掴んで立っているが、その手が微かに震えているのが判る。

 着座している私にチラリと艦長の視線を送ってきたが、何かを云われることもない。

 お小言を言っている暇すらないのか、空中分解するなり墜落するなりするならば、何処にいても結末は同じだとでもと考えているのか、その表情から窺い知ることは出来ない。

 私も其の事に対して説明を求める事はしない。

 私は操艦や船の事柄には全くの素人であり、そんな素人が口を出すべきではない。

 それくらいの分別は弁えているつもりだ。


 そんな艦の現状が具に【つぶさ】に判る『特等席』に我が身を沈め固定しながら、艦の前を幾重にも奔る雷を虚ろな目で眺めていた。

 だが、眼に見ているのは違う光景であった。


 ・

 ・

 ・


 観衆の声が轟いていた。

 ある者は恍惚の表情を浮かべている。ある者は滂沱の涙を流し咽び泣いていた。またある者は歓喜から満面の笑みを浮かべて、手を其の感慨に比するが如く大きく振っている。

 この者達に共通する感情といえば、確かな、そして輝かしい未来へと自分達を導いてくれるという確信。

 そんな歓声を一身に受けている者に、壇上からまた別種の礼賛の言葉が贈られていた。


「おお、アトキリアの守護者、アトキリア第一の市民、アトキリアの至宝、アトキリアの至尊なる者、アトキリアの教導者。幾千万の称号を贈ろうとも、その御身を顕すことはできないだろう。だが私は敢えて、僭越【せんえつ】ながらも『執政官』の名と職位を貴殿に贈りたいッ!」


「フラーッ!【万歳】、フラーッ!【万歳】、フラーッ!【万歳】」

「……」


「本日ここに、我らを導く者が顕れた。なんと良き日であろうか。この誉れある呼び名を貴公に贈れることを私は終生、誇る事になるだろう。受けてくれるだろうか? わが友よッ!」


「フラーッ!【万歳】、フラーッ!【万歳】、フラーッ!【万歳】」

「……」


 万雷の歓声を一身に受けて、歓声に応えながら壇上の演説者に近寄っていく者を、私はただ冷ややかに眺めていた。

 高揚しながら大仰に振舞うその姿に、怖気が走る。

 虚栄に満ちたこの殿堂に木霊する声の、なんと空虚な事か。


 私の内腑【ないふ/臓物】は言葉では言い表せないくらいに煮えくり返っていた。

 本来では表情の変化の兆しすら出さず、相手にそれと判らせはしない。

 それくらいの芸当は出来るつもりであったが、何事にも限度と限界があるのだと知った。

 それほどまでに私の心中は荒れ狂い、表情を取り繕えるほどに穏やかではいられなかったのだ。

 私の心と頭が現実を拒否しているのか、苦渋の表情を浮かべてしまっていた。

 加えて悶々とした深い苦悩は私の眉間にも表れ、我が眼は此の現実を映したくないかのように、きつく閉じられている。

 そして迂闊にも、その表情を執政官に就く者に観られてしまった事に気が付いていなかったのだ。

 それでも、周囲の元老院評議員たちが立ち上げり、声を張り上げながらの歓呼三声に同調すべく、私の口からは苦い礼賛の言葉が小さく紡がれ、閉じた瞳からは滂沱の涙が流れていった。


「フラーッ!【万歳!】、フラーッ!【万歳!】、フラーッ!【万歳!】」

「フラー……【万歳……】、フラー……【万歳……】、フラー……【万歳……】」


 アトキリアの崇高な理念と政は……、選良たる元老院評議員たちと良識ある民らの万雷の歓呼三声と歓喜の涙をその背に受けて断頭台へと送られた。

 そして……、刑場で露と消えるのだ。

 いま此処に立法・司法・行政の三権は潰え去り、天より授けられし全ての大権は執政官へと委譲された。


 無論のこと、ただ一人へと権威と権限が集約される事は『独裁へと変異する懸念』を内包することから、私は強硬に反論し続けた。

 そして大勢が決した最中でも、『独裁へと変異する懸念』を拠り所に強行に対抗策を主張し続けたのだ。

 奴から観れば頑迷な私達の主張は、己の征く道の妨げと映るだろう。

 これは恐らくは近い将来において、確かな隔意と反目となって私達に還って来る事になる。

 そんな懸念は容易に予想がついたが、それでもなんとか執政官と対等な立場にある職位者として『護民官』を設置させることに成功はした。

 だが、所詮は形式上の名誉職に過ぎないのは、明々白々。

 全権を握る執政官に抗すること等、出来ようはずもない。

 其れでも始めから規定されて存在しているのと、全く存在さえしていないのとでは雲泥の差だろう。 

 過ちを糺す構造が初めから組み込まれていれば、それを拠り所に適性な処置を高徳の志を持つ者らが始められるのだから。

 願わくば、執政官の対となる『護民官』の名に込められた想いを汲んで、絶大な権限に酔わずに抑制的な政を執り行って欲しいものだ……。


 ……だが、そんな僅かな望みと時の猶予すら、私達には与えられなかったのだ。




『執政府より護民官殿へ


 選る日を以て、選良なる市民を護衛し新たなる領域に進出し、以てアトキリアの光明を、未だ暗闇に閉ざされし未開の地に掲げ、未開なる者たちを教え諭し導くべし。 かかる使命は『明白にして純然たる天命』であり、其の成就は既に確約されているとものと確信する。


 また過去・現在・未来を紡ぎ繋ぐ三元神の御座所を示す『導きの兆し』を受け取ったと三元神教団よりの報せがある。

 この斯かる吉報を受け、進出される精強無比たる貴隊には、三元神教団より派遣される第五位の聖者が同行を求めている。

 よくよく議を、尽くされたし。

                 アトキリア連邦 執政官 』 


 個人名は省かれ、官職名のみが記された書信が護民官たる私の下へと送られてきた。 そう、私は初代の護民官に選任されたのだ。

 望外ではあったが、これを好機と捉えて職務に邁進していく。具体的には初代の護民官の私が退いた際に、組織として次代以降の護民官を補佐する仕組み作りだ。そんな砌に【みぎりに/その頃・其の時】この書簡が送られきたのだった。


 このアトキリア連邦の執政官は唯一人のみであり、名乗らずとも判るだろうという傲岸不遜な自意識が、この書信からは滲み出ている。


 あえて書信に認【したた】めるのは、錯誤と誤認を避けるために行われているのは理解できるが、執政官府と護民官府など歩いていける距離にある。なにせ対面に立地しているのだ。 それにもかかわらず、わざわざ書信を使いの者に託して、大仰な言上を述べさせている。どちらが格上なのかを知らしめたいのだろう……。

 まぁ、呼びつけられなかっただけでも、まだ『ましな対応』だと考えるしかあるまい。

 一応とはいえ『護民官』の名を認識してはいるようだが、どう捉えているのかは、使いの者が示してくれた。

 傲岸不遜な真意が透けて観える執政官に感化されてか、此の使い者の何と横柄な事か……。

 執政官の対となる『護民官』なぞ、まるで路傍の石とでも言いたげな尊大な態度。

 こんな慮外者を敢えて使いに寄こす執政官の心胆が、明確に観えるようだ……。


 実状からも実態からも、人員も予算も権限も、そのいずれもが執政官が上回る。

 僅かながらに、響く憂慮の声など無きに等しい。

 いまや奴こそが、このアトキリア連邦の統治者……、執政官殿だ……。

  奴の声が、 奴の貌がこのアトキリア連邦を代表している。

  奴は演じ切った。そしてアトキリアの民が奴を担ぎ上げたのだ……。


 書信を受け取ってからと云うもの、協議の機会すらなく、既に決定事項のように慌ただしく計画が練られていく。

 本来ならばこれ程の事業とも成れば、其れこそ五年、十年単位での綿密な準備を経て、万全の準備の下で実行に移される事になるのが通例だろう。

 事実これまで幾度か派遣された調査隊とて、それ相応の準備期間を要している。

 もっとも、そんな調査隊ですら生還したのは極々少数ではあったが……。

 そんな調査隊の規模を遥かに凌ぐ規模の移民団を、いきなり派遣しようと云うのである。そんな未曾有の大事業であるにもかかわらず、実質の準備期間たるや二年にも満たない。

 『護民官』の本来の職責から眼を逸らせるような過密な日程と云えるだろう。


 執政官の統治に移行してからというもの、日を重ねる毎に強まる弾圧と圧制、不当な鎮圧と威迫、虚言と扇動に、民達も現実の不安に苛まれる事が多くなっていく。

 渦巻く不満と漠然とした不安が、民達の心に昏い影を落とし始めた頃に、大規模移民計画が持ち上がった。

 影の中にいる者が見る光明というものは、とても眩しい。

 その輝かんばかりの光明は、計画の杜撰さと怪しさを見事に覆い隠し、絶大な賛同を博し、帯同する事を望む者達が多くなっていく。

 更に執政府が現実から逃避させるかのように夢物語を吹聴した結果、人々は現実から目を背けるかのように熱狂に陥り、移民計画は強行される事になったのだ。

 これほどの移民船団を率いる指導者は必須と云う事で、執政官の対となる『護民官』たる私が統率する事になった。

 一見して決意溢れる選任とも見える。

 だが冷静に物事を見れば、明らかに陥穽に陥る【かんせいにおちいる/計略に嵌る】事になる。だが、移民を願う民たちを見捨てる訳にもいかず、任期の五年を待たず『護民官』を僅か二年ばかりで降りる事になったのだ。後任の『護民官』を指名するが残余の任期後は『護民官』を選任するべく投票が行われる事になる。

 だが、その際に私は既に此のアトキリアの地には、いない……。

 良識ある民と元老の声が届くことを、遠方より切望するしかないだろう。


 ・

 ・

 ・


 徴発された大型商船のみならず、本来は自沈して沿岸部で魚礁となる予定で係留されていた旧式の大型戦列艦の舷側砲を外してまで、希望する移民を乗せている。

 甲板上にまで倉庫が増設されて、保存食料と飲料を満載しての出航となった。

 出港時の隻数は護衛艦隊を含めて総数二〇〇余隻を数えた。移民を希望する民は二万を超えて、三万に迫る勢いとなっている。

 その威容を観れば誰もが『無人の地を征くが如く』の成功を確信していただろう。

 最後の贐【はなむけ】のつもりか、盛大な記念式典が施行され、アトキリア執政官の有難いが中身の無い言葉を賜り、歓声の下に送り出されたのだ。

 万感の思いで滂沱の涙を流す人々を前にして、私の心中に渦巻く情景といえば、言葉は悪いが、死の淵に追い込まれた羊の群れと牧羊犬、そして羊飼いの様相であった。

 如何に外面を取り繕おうと、この移民政策の実態は棄民政策だ。

 加えて軍兵からも反抗しそうな人員を選び、老朽艦と民間船を徴用・改修した改装艦、さらにはアトキリア連邦の構成国からも恫喝交じりに徴発した新造艦と老朽艦で護衛艦隊を編成し、そこに物資と移民団を満載した民間貨客船やら輸送艦やらを組み入れることで大艦船団を構成している。


 アトキリア連邦の構成国群とは、接触当初の『不幸な行き違い』が幾度も遭った。当時は我らトライディアとの技術力の格差が著しく、トライディア主導で名ばかりの連邦制を敷いたのだ。

 トライディア自身は、その技術力の優位性を活かし、連邦構成国群の中で同輩中の首席【第一人者】としてではなく、強い指導力と発言力を以て連邦の政を主導していた。

 だが時間の経過と共に、徐々にであるが構成国群の技術力も伸長していく。

 そして同じく時間の経過と共に、トライディア内でも問題が発生していく事になった。

 トライディアの力の源たる技術力の優位性を齎していた遺物群が徐々に耐用限界を迎えて故障や機能停止に陥っていったのだ。

 トライディア側とて黙って看過していた訳ではなく、何とか復旧させようと苦心したのだが、余りにも高度過ぎる遺物群には手が出せない。

 言い方を変えれば、トライディアの力の源たる技術力の優位性が低下している事を意味している。

 結果、構成国群は徐々に技術力をつける一方で、トライディア自身は技術的後退を余儀なくされる事になり、そんな状況に比例するかのように、強い指導力と発言力、影響力も徐々に翳りが見え始める事になっていく。

 衰えていく国力が眼に見える問題であったが、眼に見えない問題をも内包していた。 

 長年に渡るアトワイト連邦内でのトライディアの強い指導力と発言力が齎した無意識の優越意識が高じて、捻じ曲がった選民思想が幅を利かせ始めていたのだ。


 そんな優越意識と選民思想に囚われた者達から観れば、教え諭し導き、文明を伝えてやった存在であるはずの低劣な構成国群の動向に意識を向けざるをえない情勢自体が、恥辱の極みとなるのであろう。

 なんとか構成国群の伸長を抑えようと、あの手この手で懐柔を図り、時に威迫する事さえ厭わない。

 余りにも露骨すぎる遣り様に、構成国群からも疑念と疑惑が生じているのだ。

 このまま疑念と疑惑が深まれば、不信に至り、高じて反発と変じる事になる。

 そんな不穏な情勢下での構成国群からの艦船を含めた物資の徴発である。

 既に火縄には小さい火が燈っている状態と見るべきだろう。

 あとは、『いつ、どこで、どんな形』で大火となるかの違いでしかない。

 大火となるまでの間は、公敵を創り出し糾弾するか、外敵に不満の眼を逸らすしかあるまい。根本原因からの対応ではなく、その場の凌ぎの対症療法ということだ……。


 そんな感慨を、かつて愛したアトワイト連邦を遠景に臨みながら嘆息と共に想うのだった。

お読み頂きありがとうございました。

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