79 深く静かに、にじり寄る 其の一
《 ガザニア傭兵連合国 ある傭兵団本部 》
「これで、いよいよ終わっちまうのか……」
今、俺の前には誰もいない……訳ではない。
そこそこの人間が行き交っている。商人やらが世話しなく行き交っている。
未払金に充当するべく、備品やらを買い取るために値踏みしているのだ。
そう、今話題の資金繰りに行き詰まった傭兵団とは、俺達の事だ。
負け惜しみのように聞こえるだろうが、今季で立ち行かなくなり解散に追い込まれる傭兵団は中規模で十指に及ばずではあるが存在する。小規模を加えればその数は二十を超え、零細まで加えれば五十は越える事になるだろう。
また大手と言われる大規模傭兵団もまた平静を装ってはいるが、大なり小なりの財務上の損失を出している。なんとか持ちこたえたようだが、しばらくは四苦八苦する事になるだろう。
これら行き詰った傭兵団の中でも、俺等は準大手の傭兵団というそれなりの『規模』と、そこそこの『名声』もある傭兵団ゆえに、悪目立ちしている面もあるにはある。 そんな悪目立ちした俺等もまた、いよいよ最期の刻が近づいている。
少し前までは、それなりの仲間たちがいた。
確かにこの傭兵団は、決して大手と言えるほどの規模があった訳ではない。
良く言っても、準大手の中位の位置づけだった。
大きすぎず小さすぎずで眼が行き届く規模であり、だからこそ規律も行き届いていた。結果として、信用と信頼もあったと自負している。
昨今の有象無象の急造傭兵団や、規模だけが大きい傭兵団ではなかったと、今でも断言できる。
全ての傭兵団がそうだとは言わないが……、大半の傭兵団は略奪・暴行などを行う事が多い。それが報酬に含まれているからだ。雇用側としても、其れで雇用金額が低く抑えられることになる。
だが略奪・暴行を被る側の村や町等は、堪ったものではない。
再建できないほどの打撃を受けて、放棄されることさえしばしば起きる。
信じられないだろうが、これが『攻め手側』と『受け手側』の双方で行われるのだ。 これでは、近隣の住人感情すら悪化し、後々の統治に支障が出るのは必然だいえる。
殊に攻勢側の勝ちに終わり、新たな占領地となった地は、被害が大きくなる傾向があった。占領する前は敵方に属するため、その地に住まう住民感情等は、特段考慮されること等ほぼ無い。
村や町等だって、そのような横暴な振る舞いや略奪を黙って見過ごしたい訳ではないが、如何せん抵抗する手段が皆無である。防衛を担う部隊などは、既に潰えるか逃亡しているか、撤退しているのだ。
そのため忍耐の一言で、ただただ嵐が通り過ぎるのを耐えるか、住人たちは危難を恐れて居住地から逃散するしかない。
残った住人とて疲弊し気力も体力も低く、新たに移住した者達も環境に直ぐに慣れることもない。結果、一向に復興が進まないのが実情であった。
誰がどう見たって、乱取り【略奪・人攫い】の憂き目にあった地の復興は、資源と人員と財貨と時間の多大な投入を招くことになり、領主などは及び腰になる。
そのため復興も遅々として進まず、更には人心の荒廃をも招く事になる。それが一つの村や町ではなく複数の域に跨って起こるのだから、悪循環としか云い様が無い。
結局のところ、誰にとっても何の益にもならないはずなのだが、『貧すれば鈍する』なのか、何故か近場から『奪えばよい』という短絡的考えに至るのだから始末に負えない。結果またぞろ小競り合いが起こり、そして争いに発展していく事になる。
しかも『奪い奪われ』を繰り替えす地ともなれば、双方にとって父祖伝来の地と云う事になるらしく、歯止めが効かずに更に万骨を散華させていった。
問題は、御貴族様だけで戦り合えばまだ良いのだが、『数は力』とはよく言ったもので、戦での兵数も必然多くなる。
しかもだ、その兵員の構成と云えば徴兵などで掻き集められた者達もいるが、それに以上に志願兵もいるのだ。それらに加えて傭兵団も参戦する。
この志願兵もまた厄介で、住んでいる町や村では、もはや身の立てようもなく、ただ燻ぶっている者達が立身を渇望して多く集まるのだ。これらは自らが住まう見知った地ではない事から、遠慮も無く苛烈なまでに『乱取り【略奪・人攫い】』を行うのだ。
それが当人達にとっての立身出世の端緒ともなる事から『乱取りは当然の報酬である』と考えており、止め様が無い。
この事実が、戦地で双方に重く圧し掛かる。
啼くのは、ただただ力無き者達のみであり、いつしか啼くことすら諦めるのだ。
そんな胸糞悪い戦の場を実体験として経験したからこそ『乱取り【略奪・人攫い】は道義に反する』と俺は考えていた。
一度でもその悪行を行えば、戻れなくなる。易きに流れるのは楽だからな。
確かに、傭兵稼業であれば吐き気を催すことも多いが、だからこそ一線を越えてはならない事が、歴然としてあると考えた。
勝てば、その勢いで略奪に逸り、敗ければすぐに逃散して四分五裂が当然の数合わせの傭兵団の中で、たとえ負けても雇用主との契約は護った。余りにも常軌を逸した命令には、不興を買おうが抗命しさえした。
俺の独善めいた信念に反発し『俺の自己満足だ』と嘲ったり、『欺瞞だ』との嘲笑が上がっていたのは判っていた。だが、そんな独善めいた信念を押し通し続けたのだ。
様々な軋轢を生みだしつつも、それでも少しづつだが、信用と信頼を勝ち得ていった。『契約が少し割高になろうが、それでも良い』と声を掛けてくれる見所のある『商家や貴族・諸侯』からの指名も増えていったのだ。
そんな信用と信頼に応えようと、戦場という極限状態で、少なくともそういう蛮行や道義に反する事を行わない者達に声を掛けて団を大きくしていった。
敗戦し没落した騎士、亡国の憂き目に在った正規兵、冒険者など、様々な者達を中心に集めていったのだ。
それでもやはり傭兵団というのは、過酷な現場である事に違いはない。
志を同じくして傭兵団に受け入れた者達の中にも、途中でその性格が変わってしまう者もいる。また『仮面を被った獣』もいるにはいるのだ。団として相容れない兇状を望むような者には『消えて』もらった。
その『消え方』は様々だ。説得して退団させたり、説得に応じないのならば……。
確かに『危うい』のは判っていた。他の傭兵団や追い出した奴等からの恨みも買う。 だが、それでも俺は『この信念』を曲げる事はしなかった。
それで、今までは巧くいっていたのだ。あの時までは……。
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全ては、ベルザル大公国の傭兵団に対する支払いが焦げ付いたことから始まったのだ。もっとも今となっては、そんな『泣き言』を言っても仕方がない。
それとて俺の眼が『濁っていた』と言われれば、同意せざるを得ない。
俺らが依頼を受けた始めの頃は、ダンジョン相手の戦況も良く、確かに金の払いは迅速であったのだ。
それがダンジョン勢が出戦をし始めた辺りから、徐々におかしくなり始めたのだ。それどころか大公軍内の補給にさえ事欠く事が散見された。
そして『ラルキが独立する、しない』という与太話が軍営内で噂され始めた頃に、完全に破綻した。支払いが停止されたのだ。
『腹が減っては、戦ができぬ』の言葉が現実になった瞬間だ。
そんな空腹を抱えた俺は、新たな戦いに赴く事になった。『糧食の買い付け』という新たな戦いにだ。
ところが『需要が供給を遥かに凌ぐ』状況は、価格の高騰を招く。
提示された価格に『嘆息と眩暈』が同時に襲いかかって来る。
……完敗だった。『手も足も財布も出ない』とは、この事だ。
現実とは、常に非情なのだ。
結果どうなったかは、言うまでもない。
徒党を組んだ志願兵は云うに及ばず、それのみならず傭兵団に加えて、大公国の軍勢すら『現地調達という名の略奪』に逸っていく。戦場の悪夢が現出し始めた。
更には一敗地に塗れた軍勢が公都に全面撤退してからというもの、目も当てられない惨状が公都でさえ現出する。
そして、民衆暴動が起こり、鎮圧のために軍部隊などが集結、その軍部隊が反乱、公都内での市街戦が発生、王城が陥落、滅亡と、当人達には『目眩く【めくるめく】ような一大叙事詩』が展開していったのだ。
一方で歴史の影に埋もれた語られざる者達の苦難は、捨て置かれる事になった。
参戦していたベルザルの各諸侯や志願兵、そして俺たち傭兵だ。
其れからと云うもの『語るも涙、聞くも涙、観るも涙の物語』がそこかしこで演じられていく。
『乱取り【略奪・人攫い】どころか、暴虐無道乱世の到来だ。
しかも『独立を果たしたラルキに続け』とばかりに、旗を掲げる諸侯が相次いだが、その旗もいつしか食糧難と戦嵐の前に急速に掻き消えていった。そして今では数えるほどしか残ってはいない。その中で他を圧倒しているのが、ラルキだろう。
俺もその開幕の舞台の側にいたのだから、巧く立ち回れば、今とはまた違う結果を迎えられたのかもしれないと思うと、なんとも忸怩たる思いが募る。
なんにせよ、乱世という悲喜劇が開演したその傍で、俺達は空腹に耐えかねていた。 もはや、撤退するか信条を曲げて略奪に逸るかの瀬戸際だった……。
『最低』と『最悪』を選ぶ選択を強いられることになったが、俺は撤退を選んだ。
問題は撤退するための糧食すら事欠く事だった。隣国にまで辿り着ければ、まだ望みがある。だが、その間の糧食すら事欠く始末。
しかも現有資金では、どうにもならない。なにせベルザル大公国からの支払いは遅延し、遂には潰えてしまったのだから、どうにもならない。
これでは『来た、観た、飢えた』だけであり……、文字通りに徒労に終わった事になる。
最早打つ手も無く、なけなしの食料を早馬に持たせて、隣国の傭兵組合に駆け込ませたのだ。今までの『信用と信頼』が功を奏して借入金はできたが、その借入金額が膨大になる。なにせ戦乱の大波は、その余波を近隣域にも及ぼしており、食料のみならず全てが高騰している。そんな高値の糧食を賄うのだから、借入金も高額に膨れ上がる事になったのだ。
要は、撤退するために借財をしたのだ。しかも収入源のベルザルが潰えてしまったので、財務に大穴を開ける事が確定している。
そして俺達は青息吐息になりながら、漸くの事でガザニアの本拠に帰還したのだ。
だが、戻った俺達を待ち受けていたのは、期限が迫った支払いだ。あとは判るだろう……。
金利が金利を生み出し、東奔西走して金策に走るが……堕ちた鳥は、再び大きく翔ぶ事は無かった。
翔ぶ為の翼はあったが背負った借財が余りにも重く圧し掛かり、再び羽搏くことが出来なかったのだ……。
だが、そんな繰り言とて『いまや幻』と自嘲するしかない。
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「すまんね。団長さん…… こっちも商いなんでね」
「わかってる。だが……いや、わかった。いま現在、帰還中の奴等もいる、退去するまでに少しの間、準備時間がいる。その猶予として十日間欲しい」
「……十日間か。まぁ~、いいさ。あんたとは長い付き合いだしな。それくらいならいいだろう。だが、それからどうするんだい? もうこの傭兵団は解散するんだろ?」
「ああ。装備類その他はトイラ商会の伝手を頼って売却する事になる。その売却金を未払い金に充当し、残余は去る兵達に分配する。残ればだがな……」
憔悴した傭兵団の団長に、出入りの商会であるトイラ商会の会頭が声を掛けるが此方も此方で疲労の色が見える。
商会としても『地代に糧食、給与、馬や馬車、装備類に各備品、その他の雑費』諸々の傭兵団の買掛金を支払うために、そして借入金の返済のために装備品類の買い取り金を査定しなければならない。
同じく、傭兵団の売掛金【護衛代金・従軍金・防衛契約金等】もある。それらの入金確認を団長はしているのだが、其の入金日と支払い日の調整といった綱渡りのような『やりくり』を、商会が引き受けていたのだ。
加えてこれらの業務を短期間に一気に行うため、双方に精神的疲労が蓄積している。
支払いの確認や契約の引継ぎのために、傭兵団の団長も責任者として相手先に出向くことも多く、体力的にも精神的にも疲労していく。
『立つ鳥、跡を濁さず』が理想なのだろうが、現実はそうもいかない。
現実と理想には常に『非常な乖離』が見られる。
それでもまだ、現状はかなり良い方であったと言えるだろう。
どうやら『債務超過』には陥っていない事が漠然とながらも、判明したのだ。
今の時点で、全ての資産やらを処分し売掛金を合算すれば、なんとか支払いができると見積もられていた。あくまでも『今の時点では』だ。
言い換えれば、時を経れば『債務超過』に容易に転じる事になるという事。
債務超過ともなれば、誰にとっても阿鼻驚嘆の地獄絵図が現出する。
各債権の割引支払い【一割引き~九割引き】を行えればまだ良い方で、最悪で『踏み倒し』がされて、支払い無しになるのだ。
当然ながら相手先からは、泣き叫ばれ、掴みかかられ、罵声を浴びせられる。
また傭兵団としての売掛金でも、解団ともなれば契約の途中解約となるので違約損害金を求められたり、割り引かれたりと、とにかく胃が痛くなる交渉が多い。
これが債務超過に陥り、支払い不能になった際の実状だ。
必然、刃傷沙汰の修羅場になる事が多々ある。
そんな現場に依頼主の護衛として同道し、罵声と血が飛び交う修羅場を幾度も観て来た傭兵団長であったが、まさか自分がそんな修羅場の主役を演じるかもしれない立場に陥るとは想像さえしていなかった……。
因みに債務超過に陥った場合、俺は弁済のため債務額相当の期間、鉱山での労務となる。いわゆる債務奴隷というやつだ。
もっとも、その鉱山から還ってきた者は、数えるほどしかいない。
裏を返せば『数えられないほどの骸がある』という事だ……。
いまはまだ、債務超過に陥ってはいないのが僥倖ではある。
とはいえ、悠長に構えていられるほどの猶予も無いのが、偽らざる現実である。
全く『啼いていいのか、嗤っていいのか』の心情とはこの事だなと、しみじみと思う。
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そんな違う意味で黄昏ていた団長の目に映ったのは、ここらでは見かけないが仕立ての良い衣装に身を包んだ身綺麗な娘と、その護衛だった。
そんな者達が、入り口の門扉から周りを見ながら悠然と入って来る。
……ほォ~、別嬪さんだねェ~~。
場違いな感慨が沸くが、これは仕方がないと言えるかもしれない。
これ程の別嬪さんは、これで『見納め』かも知れないと思うと嘆息するほかない。
そんな俺と商会長をみて、この娘さんはどちらが傭兵関係者か思案したようだが、俺にその小綺麗な貌を向けて言葉を紡いだ。
……まぁ、『ふくよかな禿頭のおっさん』と『引き締まった躰に、なかなかの面構えをした燻し銀のおっさん』では、どちらが傭兵団長なのかは、殊更言うまでも無い事だ。だが、それでも軽挙妄動と思い込みで動くのではなく、ちゃんと思案するその様に『デキるな!』と云う賛辞を贈りたい。
「失礼。こちらは傭兵団の『暁兵団』本部でしょうか?」
「あ~、まぁ、そうなんだが……、すまんね。もう依頼は……受けられないんだ」
う~ん、鈴の音のような心地よい声だ。場所と時機が違えば……と悔やまれる。
それと俺の内心を推し量ったのか、護衛が凄い睨んでくるんだが……。良いとこのお嬢様か?
「いえ、依頼ではなく出資をしようと思いまして」
「「!?」」
思わず二度見してしまう会頭と団長。
「出資?! えッ? その……言いづらいのだが、資金繰りに行き詰まってな……。その……未払い金の清算が必要なんだ。……ありがたい話なんだが、少ない出資金では、その……な」
「僭越ながら調査させていただきました。未払い金のことも含めて。
それで団長さんが『解団する』とお聞きしまして、急いで駆けつけたのですよ。
あ、まずは当座の資金と支度金として金貨三百枚を用意してあります」
「き、金貨三百枚?! そ、それだと、この傭兵団ごと買えちまうぞ!? ほ、本気か!?」
「無論、本気ですよ。暈【ぼか】して出資金と言いましたが、実態は傭兵団の買収ですので」
「い、一体、アンタ方は、どういう……」
「新たにこの地に進出を図る商会ですよ。私は当地での統括人を仰せつかっている『如月 弥生』と申します。お見知りおきを。
この買収の申し出をお受けいただければ、専属護衛団として『様々な任務』をお願いしたいと考えています」
「……」
「疑念に思うのは当然だと思います。『座礁して浸水し、傾いて沈みかけている傭兵団を其の借財ごと買収』しようというのですからね」
「ぷッ……、失礼」
俺は、その余りに直截な物言いに、図らずもおもわず笑ってしまった。
一方で隣の会頭と云えば、眼が点だ……。
まさかの物言いと買収という選択肢が浮上したことに、頭が追いついていないのだろう。
「真意を隠して近づけば、不信を招くのも必然。もちろん我らにも実利がある話なのですよ。専属傭兵団に、確固とした拠点、各種の取引先との繋ぎ等々。それに、暁兵団は投票剣をお持ちでしょう?」
「……」
その聞き覚えのある言葉に、俺はこの『要注意人物』を見定めるべく、眼を細める。
「あら、とても佳い眼をしていらっしゃる。それでこそ我らが見込んだ傭兵団と云うものです。我らに要るのは『餓狼といえど、駆ける事の出来る狼』であって、『溺れて、死んだような眼をする負け犬』は不要ですので」
「……」
今度は隣の会頭が腹を抱えて笑い始め、俺の眼が点になる。
爽やかな笑顔と涼やかな口元から、想像できない語句が紡がれて、俺は毒気を抜かれてしまう。 なんつう言い方だよ、だが面白い別嬪さんだな。
惜しいな、場所と時機が違えば真っ先に雇いたいくらいだ。
それじゃ~『まずは話を聞こうか……』とも考えるが、外での立ち話で気楽に終えるような題目ではない。
整理され片づけられた部屋、というか調度品が売り払われた部屋での会談となるが、如何せん空の部屋で立ち話と云う訳にも行かない。
荷物類の置き場やら、護衛が腰掛ける椅子やらも必要な事から、外に積んであった椅子と机を多めに、俺が部屋に入れ直して急造で会談場所を整えていく。
トイラ商会の会頭には、この申し出が『破談になるかもしれない』ので、相変わらず現時点での資産査定を頼んでいる。会頭も、進出してくると公言しているこの新たなる新参者の調査を開始するべく、配下の者に指示を出したようだ。
当然だろう、金貨三百枚を出してくる相手だ。しかも調べたと公言している。
調査能力まで備えているとなると、軽く見る事はできない。
新たなる取引先になるか、敵対的な競合者となるかは、それは気に掛かるだろう。
ただ、侮り舐めた対応をすると『喰われる』という事は、理解しているようだな。
さすがに浅謀短慮では、血と涙で貌を洗うとまで言われる商界では生き残れはしないからな。
特段、聖人のように清廉潔癖の商いをしろとは言わない。
『商い』は適正な利を得る事で、また別の『商い』を興すことができるわけだからな。それ等を通じて商人は社会に参画している。
そんな適正な営みから逸脱し暴利を貪り、阿漕な真似ばかりを演じれば、商界という演劇場のみならず社会からも消される事になる。
そしてその『消え方』というのは、まぁ~……『様々だ』と暈して言っておこうか……。
付き合いのある『商人』から聞いた話だが、『社会』ってのは、自らの内に『復元する力』や『補正する力』を自然と宿すらしい。そして『社会の歪み』が限界に達して『社会』が瓦解する前に『回復』しようとするとの事だ。其の『回復』する際の揺り戻しで、大きな波乱が起こると云う。そんな波乱が起こった際に、あまりにも目に余る行状を行う者らは、『社会』という大きな船から転落して消えていくのだそうだ。その『転落の仕方』は、やはり実に『様々』とのこと……。
そして目を伏し声を抑えて、静かに付け加えたのだ。
この『復元する力』や『補正する力』は、『正邪、共に存在するのです』とな……。
『大意は、確かこれであっていたよな?』と、この場に居ないトイラ商会の会頭を思い浮かべる。
まぁ……、確かに戦乱や飢饉といった緊急時に、その『商人の格』のみならず『ヒトとしての格』が否応にも浮き上がるからな。
要は、商人として『商い』をやるからには『相手と状況と場所を弁えろ』と云う事だな。
『渡世は、戦いと競いに満ちている』とはいえ、その『世を渡る道』の際【きわ/境目・端】を征くからには、限界を見極める眼力もいる。それを見誤って道を踏み外したり、その志を曲げて己の身を敢えて穢す真似を好むようでは『真っ当に生きてはいけなくなる』し、同じく『真面な死に方もできなくなる』のも事実だろうからな。
遠方の地で、悪逆を欲しいままにしていた組織があったそうだが、そんな組織を『一夜にして瓦解に追い込んだ悪鬼羅刹がいた』と風の噂で聞いたことを思い出す。
なんでも深淵の闇に属するその白面金毛の悪鬼羅刹は、巷で恐れられた組織の非道ぶりすら『虫の翅音にも劣る』と称されるほどの加虐を加えて、瓦解に追い込んだという。しかもその悪鬼羅刹は周辺域の幾つもの盗賊団すら軒並み喰ったそうだ。
喩えるなら『浅い夜を根城にする悪を気取った幼児が、道角を曲がって漆黒の深淵とご対面』な状態だったらしい。
『深淵を覗こうとする者は、その深淵からも覗き観られている』とは、巧く云ったもんだ。
まぁ……『ヒトの考えられる闇』なんざ『漆黒の深淵』から観れば児戯どころか『虫の翅音にも劣る』だろうさ。
おお~~、怖い。怖いねェ~、剣呑剣呑……。
はてさて、なんにせよ……、この別嬪さんのお申し出が『真面』で、属する商会が『真っ当』であればと、切望したいもんだ。
お読み頂きありがとうございました。




