第39話 消した人、見つけられなかった人
零号線の摘発は、
一日では終わらなかった。
むしろ、
そこから始まった。
北辰環境輸送。
関連する施設管理会社。
人材仲介業者。
偽造書類を扱っていた人物。
倉庫。
港。
複数県にまたがる拠点。
何人もの逮捕者が出た。
それでも、
全員ではない。
逃げた者もいる。
長年続いた仕組みを、
一度ですべて壊せるほど現実は簡単ではなかった。
ただ、
少なくとも、
零号線はもう秘密ではない。
それだけでも、
大きかった。
五人のうち、
平尾航は数日入院した。
感染症は治療が間に合った。
新堂茉莉。
藤枝琴葉。
江口壮真。
朝比奈由莉。
四人も、
身体的には大きな後遺症なく回復した。
心がどうなるかは、
これからだった。
千尋は病院で茉莉と短く話した。
「ごめんなさい」
最初に茉莉が言った。
「何が?」
「勝手に入って」
千尋は少し困った。
「立入禁止の場所に入ったことは、あとで怒られるかもしれないけど」
茉莉が俯く。
「今は戻ってきたことだけ考えて」
「白い女」
茉莉が言った。
「人だったんですよね」
「一部は」
「一部?」
千尋は少し迷った。
「ほとんどは、人が作ったものだった」
茉莉が黙る。
「じゃあ」
「何?」
「最後に見た人も?」
玄関のガラス。
二人の真後ろ。
千尋は答えなかった。
「調べてる」
それだけ言った。
茉莉は、
妙な顔をした。
安心でも、
恐怖でもない。
「そうですか」
たぶん、
それ以上聞かない方がいいと、
本人も思ったのだろう。
唐沢岳人は、
正式な事情聴取で八年前の虚偽証言を認めた。
秋庭絵麻が助けを求めたこと。
拉致を目撃したこと。
組織に脅されたこと。
金を受け取ったこと。
メモリーカードを隠したこと。
すべて。
その証言と映像で、
八年前の秋庭絵麻失踪事件は、
ようやく「自発的失踪の可能性が高い事件」ではなくなった。
拉致。
組織犯罪。
明確に。
秋庭絵麻は、
自分の意思で消えたのではなかった。
母親へその説明がなされた日、
千尋も同席した。
絵麻本人もいた。
母親は、
娘を見てすぐには抱きしめなかった。
八年。
写真とは違う顔。
違う名前。
知らない時間。
「絵麻?」
母親が聞いた。
絵麻は、
何も言えなかった。
それから。
左の親指を、
右手で握った。
母親の顔が崩れた。
「絵麻」
今度は、
迷わなかった。
二人が抱き合う。
千尋は部屋の外へ出た。
見てはいけないような気がした。
廊下。
長椅子。
そこへ折原が来る。
「よかったですね」
千尋は首を振る。
「よかった、だけじゃない」
「そうですね」
絵麻は、
無罪ではない。
五人を意図的に危険へ晒した。
不正アクセス。
監禁への関与。
偽の搬送指示。
複数の犯罪。
被害者だったことが、
消えるわけではない。
同時に、
犯したことも消えない。
「難しいですね」
折原が言った。
「何が?」
「どこから被害者じゃなくなるのか」
千尋はしばらく考えた。
「たぶん」
廊下の先を見る。
「どこから、って線はないんじゃない」
被害者であり、
加害者。
両方。
人間は、
肩書き一つで整理できない。
その日の夕方。
千尋は絵麻と二人で話した。
「逮捕されますか」
絵麻の方から聞いた。
「捜査中」
「そうですよね」
「逃げる?」
「もう疲れました」
千尋は椅子へ座る。
「八年前」
絵麻が顔を上げる。
「ごめんなさい」
それだけ。
長い説明はしなかった。
「私がもっと疑ってたら」
絵麻が首を振る。
「若手だったんですよね」
「関係ない」
「あります」
「ない」
千尋は少し強く言った。
「唐沢さんの証言を疑わなかった。あのメモも」
《あの車は、廃棄物を運んでいない》
「見たのに追わなかった」
絵麻はしばらく黙っていた。
「怒ってました」
「知ってる」
「鳴瀬さんだけにじゃないです」
「警察?」
「世界に」
絵麻が笑う。
「変ですよね」
「変じゃない」
「私は消えたのに、普通に朝が来るんです」
千尋は何も言えない。
「会社へ行く人がいて。学校へ行く子がいて。テレビでは芸能人が結婚して」
絵麻は窓を見る。
「私だけいない」
八年間。
「だから今回」
千尋が言う。
「誰にも無視できない事件を作った」
「はい」
「許せない」
絵麻が頷く。
「はい」
「でも」
千尋は続ける。
「理解できないとは言わない」
絵麻の目が少し動いた。
それ以上は、
言わなかった。
理解することと、
許すことは違う。
刑事としても。
人間としても。
部屋を出る前。
絵麻が呼び止めた。
「鳴瀬さん」
「何?」
「最後の声」
霞ヶ瀬。
暗闇。
「絵麻」
と呼んだ声。
「聞こえましたよね」
「聞こえた」
「誰の声だったと思います?」
「分からない」
「私は」
絵麻が少し迷った。
「知ってる声だった気がするんです」
「誰?」
絵麻は首を振る。
「思い出せません」
千尋は扉に手をかけた。
「だったら」
振り返る。
「無理に思い出さなくていい」
絵麻は、
少しだけ笑った。




