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『三点鐘―三回鳴る夜、人が消える―』  作者: asnt2026


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第38話 八年間

秋庭絵麻が話し始めたのは、


夜が明ける少し前だった。


県警の取調室ではない。


まだ現場近くの会議室。


五人の救出。


唐沢の保護。


零号線関係者の確保。


各部署が動いている。


その合間。


絵麻は紙コップの水を前にして、


千尋と向き合っていた。


「八年前」


絵麻が言う。


「最初は、殺されると思いました」


八汐レイクホテル。


不審な車両を追った。


廃棄物ではない何かを運んでいる。


記事にできる。


そう思った。


それだけだった。


「写真を撮って、帰るつもりでした」


人が運ばれていた。


若い男。


意識があるのか分からない。


それを見た。


気づかれた。


捕まった。


「トラックに入れられる前に唐沢さんが見えた」


絵麻の指が、


左の親指を包んでいる。


「だから、警察を呼んでって」


「三回の音は?」


千尋が尋ねる。


絵麻が目を伏せる。


「扉を閉める合図でした」


カン。


一回。


作業員が確認。


カン。


二回。


施錠準備。


三回。


閉鎖。


「三回目のあと、外から鍵がかかった」


暗闇。


金属の箱。


人ではなく、


荷物。


「それから何度も聞きました」


拠点から拠点。


車両から倉庫。


移すたび。


三回。


絵麻にとって、


あれは幽霊の音ではない。


人間であることを奪われる音。


「どこへ連れていかれた?」


「最初は県内。そのあと何か所か」


絵麻自身も全容は知らない。


組織は、


一人に情報を与えない。


被害者にも。


運び手にも。


「私はパソコンが使えた」


そこが、


生き残る理由になった。


偽の求人情報。


架空アカウント。


宣伝文。


口コミ。


やがて、


怪談。


「最初は意味が分かりませんでした」


《白い女を見た》


《泣き声がする》


《このホテルの電話は鳴る》


指示通りに投稿する。


複数の名前。


複数のサイト。


「何のためだと思った?」


「人を近づけないためだと思いました」


半分は正解。


心霊スポットにすることで、


普通の人間を遠ざける。


同時に、


肝試し客も来る。


そこから、


都合のいい人間を選べる。


そして人が消えても、


怪談に吸収される。


「自分を消した仕組みを」


絵麻が笑った。


笑えていなかった。


「自分で作ってました」


千尋は何も言えなかった。


「逃げられなかった?」


「何度か考えました」


一度。


同じ場所にいた女性が逃げた。


翌日、


その女性の家族の写真を見せられた。


それで、


絵麻は諦めた。


「本当に危害を加えられたかは分かりません」


ただ、


そう思わせれば十分だった。


七年あまり。


絵麻は偽名を使い、


組織の中で生きた。


自由に見える時間もあった。


買い物。


仕事。


移動。


でも、


どこかに見張りがいる。


何かを話せば、


誰かが消える。


そんな感覚から逃げられない。


「半年前に?」


「拠点の統廃合がありました」


人の入れ替わり。


古いシステムの廃止。


混乱。


絵麻は逃げた。


「警察へ行った」


「はい」


だが、


説明できない。


八年間。


偽名。


組織。


証拠なし。


話が大きすぎる。


担当者が信じなかったわけではない。


ただ、


すぐには動かなかった。


本人確認。


管轄確認。


資料照会。


時間。


「その日の夜に、組織の車を見ました」


警察署から少し離れた道路。


偶然だったかもしれない。


でも、


絵麻には偶然とは思えなかった。


逃げた。


また名前を変えた。


「鴻上志乃」


「組織が昔使っていた身分の一つです」


本来の人物とは別人。


実在する戸籍。


長期間使われていなかったもの。


「霊視者になったのは?」


千尋が聞く。


絵麻は少しだけ考えた。


「知っていることを、そのまま言えなかったから」


秘密通路がある。


電話設備が動く。


怪談は偽物。


そんなことを知っていれば、


組織側と疑われる。


「霊感だと言えば」


「説明しなくて済む」


「はい」


それに、


失踪者家族へ近づける。


警察にも。


「今回の事件」


千尋が言う。


絵麻の表情が硬くなる。


「あなたが始めた」


「はい」


初めて、


明確に認めた。


匿名アカウント。


三地点への誘導。


三回の音。


零号線への偽の搬送指示。


五人。


そして唐沢。


「五人は、どうやって選んだ?」


「消えれば、すぐに誰かが探す人」


千尋の顔が険しくなる。


「家族との連絡が密な人。位置情報を残す人。発信する人」


「警察を動かすため」


「はい」


「自分が八年前にされて、一番苦しかったことを」


絵麻が俯く。


「分かっています」


「分かってない」


千尋の声が低くなる。


「平尾航さんは危なかった」


絵麻の顔が歪む。


「助かると思ってた?」


「……はい」


「あなたも、あの組織と同じことをした」


絵麻が顔を上げる。


「人を目的のための道具にした」


長い沈黙。


絵麻の目から、


初めて涙が落ちた。


「そうですね」


言い訳しなかった。


千尋はそれ以上責めなかった。


責めなくても、


本人がもう分かっている。


「三回の音」


千尋が聞く。


「全部あなた?」


「今回の事件で鳴らしたものは」


「全部?」


絵麻が首を横に振る。


「いいえ」


千尋の眉が動く。


「どれが違う」


「八汐で、電源を全部切ったあとに鳴った電話」


千尋は黙る。


「戸鳴で、機器を外したあとに聞こえた子どもの声」


「霞ヶ瀬で、あなたを呼んだ声」


絵麻が頷く。


「あと」


「まだある?」


「最後の三回」


サービス通路。


あの音。


絵麻は鳴らしていない。


「別の仕掛け?」


「探してください」


「あると思う?」


絵麻は少し笑った。


今度は、


ほんの少しだけ笑えていた。


「私は霊能力者じゃありません」


「知ってる」


「でも」


絵麻は窓の外を見た。


朝が近い。


「八年間、怪談を作ってきたから分かるんです」


「何が?」


「人が作った怖さには」


少し間。


「癖があります」


千尋は待つ。


「誰かに怖がってほしい。どこかへ動いてほしい。振り返ってほしい。電話を取ってほしい」


絵麻は静かに言った。


「でも、あれには目的がない」


千尋の背中に、


薄い寒気が走った。

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