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『三点鐘―三回鳴る夜、人が消える―』  作者: asnt2026


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第31話 知りすぎている人

鴻上志乃の名前が、捜査本部のホワイトボードに書かれた。


容疑者としてではない。


まだ、参考人。


鳴瀬千尋はそう念を押した。


「現段階で志乃さんが犯人だと決めつける材料はない」


折原が頷く。


「でも、条件にはかなり当てはまります」


「だから調べる」


千尋は資料を並べた。


今回の犯人に必要な条件。


三つの心霊スポットの構造を知っている。


人工的な怪異の仕組みを知っている。


零号線の存在を知っている。


八年前の秋庭絵麻失踪事件を知っている。


そして、


鳴瀬千尋が当時の捜査に関わっていたことまで知っている。


「全部知っている人間なんて、そう多くないですね」


折原が言った。


「組織内部の人間なら?」


「零号線までは分かります。でも秋庭絵麻と鳴瀬さんの関係まで把握しているかどうか」


「昔の記録を見れば調べられる」


「志乃さんは?」


千尋は答えず、別の紙を見る。


霞ヶ瀬。


志乃は図面にない通路を示した。


八汐。


鳴る前の電話を見た。


三回の音に強く反応した。


捜査本部では、


三回目が鳴る前に、


「閉まる」


と言った。


偶然。


霊感。


観察力。


説明はいくらでもできる。


だが、これだけ重なると、


偶然という言葉そのものが不自然になる。


「波多野さんは?」


折原が尋ねた。


「まだ外さない」


波多野朔。


三つの場所を十三年間調べ続けている。


怪談の変化にも詳しい。


兄が零号線の被害者である可能性が高い。


恨みもある。


「ただ、零号線内部の認証方式まで知っているとは考えにくい」


「誰かから情報を得ていれば?」


「あり得る」


千尋はマーカーを置いた。


疑える人間は一人に絞らない。


それは八年前に学んだ。


いや。


八年前は、


疑うべきものを疑わなかった。


同じことを、


今度は逆の形で繰り返したくない。


「唐沢本人という可能性は?」


捜査員の一人が言った。


千尋は首を振る。


「自作自演?」


「はい。失踪したように見せて」


「写真に写っていた唐沢は傷を負っている。本人が協力している可能性はゼロではないけど」


千尋は一度言葉を切った。


「今回の情報提供者は、唐沢を責めている」


《見ていただけ》


《一人だけ、返してもらう》


その言葉には、


芝居では済まない感情がある。


「じゃあ、秋庭絵麻本人」


室内が静かになる。


名前を口にすると、


それだけで輪郭ができる。


八年前に消えた女性。


零号線へ運ばれた。


死亡確認なし。


生存の可能性あり。


「生きていたとして」


折原が慎重に言う。


「どうやって八年間?」


「そこを調べる」


「志乃さんが絵麻だった場合は?」


千尋は少しだけ目を閉じた。


似ている。


そう思い始めた自分がいる。


でも、


それを先に答えにしてはいけない。


「同一人物だと仮定したうえで、違う証拠を探す」


折原が少し笑った。


「逆なんですね」


「犯人にしたいなら、一致するものだけ見ればいい」


「違うものを探して、それでも残ったら?」


千尋はホワイトボードを見る。


「そのとき考える」


会議のあと、


千尋は一人で廊下へ出た。


自動販売機の前で水を買う。


ボタンを押す。


ガコン。


ペットボトルが落ちる。


その音で、


思い出す。


志乃の手。


三回の音がしたとき、


ペットボトルを強く握っていた。


演技なら、


なぜあんなところまで。


いや。


演技だからこそ。


考えが行き来する。


刑事をやっていると、


人を疑うことには慣れる。


けれど、


疑い始めた人間のすべてが怪しく見えてくる瞬間がある。


そこが一番危ない。


千尋は蓋を開ける。


一口飲む。


そのとき、


背後から声がした。


「鳴瀬さん」


振り返る。


波多野だった。


「どうしてここに」


「兄のことで連絡をもらったので」


「誰から?」


「別の捜査員です」


千尋は時計を見る。


「話ならあとで」


「鴻上志乃を調べてますね」


手が止まった。


「誰から聞いた?」


「聞いてません」


「じゃあ何で」


「あなたが、あの人を見てる顔が変わったからです」


千尋は黙った。


波多野が続ける。


「私も気になってました」


「何が」


「最初から」


「具体的に」


「知りすぎてる」


同じ言葉。


「霞ヶ瀬の通路を見つけたときは、霊感かと思いました」


「あなたも?」


「信じてはいませんけどね」


「じゃあ」


「でも、八汐で電話が鳴る前に見た」


千尋は波多野を見る。


「見てたの?」


「いましたから」


そうだった。


現場には複数人いた。


波多野は少し考えてから言った。


「それだけなら偶然です。でも」


「まだある?」


「戸鳴」


「何?」


「あの人、トンネルの中央付近へ行きたがらなかった」


千尋は初耳だった。


「いつ」


「警察が再調査したときです。私も外にいました」


「理由は」


「『そこから先は嫌だ』と」


千尋の胸の奥がざわつく。


「あなたは何だと思う?」


波多野はすぐには答えなかった。


「分かりません」


「珍しいですね」


「何でも分かるふりをするほど若くないので」


少しだけ笑う。


だがすぐ真顔に戻った。


「ただ」


「何?」


「鴻上志乃は、怪異が怖いんじゃない」


千尋は目を細める。


「何を怖がってる?」


波多野は答えた。


「思い出すことです」


その言葉が、


妙に残った。

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