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『三点鐘―三回鳴る夜、人が消える―』  作者: asnt2026


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第3話 なかった怪談

新堂茉莉の母親は、娘のスマートフォンを見た瞬間に泣いた。


声を上げるわけではない。


椅子に座ったまま、透明の証拠袋を見つめていた。


それだけだった。


「昨日の夕方には連絡があったんです」


捜査本部の小さな面談室。


千尋は向かいに座っていた。


「友達と出かけてくるって。帰るのは少し遅くなるかもって」


「霞ヶ瀬へ行くとは?」


「言ってませんでした」


「心霊スポットへ行くことは以前にも?」


母親は首を振った。


「茉莉、そういうの怖がるんです」


「でも都市伝説の研究をしていた」


「研究と肝試しは別だって、本人がよく言ってました」


確かにそうだろう。


殺人事件を研究する人間が、殺人現場へ入りたがるとは限らない。


「今回、行こうと思った理由に心当たりは?」


「ありません。でも……」


母親が顔を上げた。


「最近、すごく楽しそうだったんです」


「何か見つけた?」


「昔の怪談と今の怪談が違うって」


千尋のペンが止まる。


「詳しく聞いていますか」


「昔はなかった話が、最近になって増えてるって」


「例えば?」


「ごめんなさい。そこまでは」


母親は両手を握った。


「刑事さん」


「はい」


「あそこ、本当に幽霊が出るんでしょうか」


千尋はすぐには答えなかった。


こういうとき、


「いません」


と言い切るのは簡単だ。


だが、それで家族が安心するわけではない。


「現時点では、人が関与した可能性を中心に調べています」


「じゃあ、誰かに連れていかれたんですか」


また答えにくい質問だった。


「それも含めて調べています」


母親が視線を落とす。


そして小さく言った。


「見つけてください」


千尋は頷いた。


「必ず探します」


言ってから、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚があった。


必ず。


刑事という仕事をしていれば、簡単に言ってはいけない言葉だと分かっている。


それでも言った。


なぜか分からない。


面談を終えて廊下へ出ると、折原が待っていた。


「匿名アカウント、使い捨てでした」


「接続元は?」


「複数のフリーWi-Fiを経由。今追っています」


「画像は?」


「ネット上には同じものなし。現地で撮った可能性があります」


「つまり霞ヶ瀬を知ってる人間」


「そうなります」


二人で捜査室へ戻る。


ホワイトボードには、二人の写真。


新堂茉莉、二十二歳。


平尾航、二十三歳。


その周囲に時刻や位置情報が書き込まれている。


午前零時四十六分、現地到着。


午前一時二分、建物侵入。


午前一時五十八分頃、最後の映像。


それ以降、位置情報なし。


「一時間弱」


千尋が言った。


「その間に二人を連れ去った」


折原が腕を組む。


「正面から出してない」


「裏側でしょうね」


「でも裏は斜面です」


「だから調べる」


「はい」


折原が席へ戻ろうとして、


「あ」


と声を出した。


「何?」


「新堂さんの研究データ、一部クラウドに残ってました」


千尋は隣へ行く。


画面には大学のレポートらしき文章。


題名。


《心霊スポットにおける怪談変容の検証》


「本気で研究してたのね」


「見てください」


折原がスクロールする。


霞ヶ瀬療養館についての記録。


十五年前の掲示板。


《三階に女が立っている》


十二年前。


《窓から女が見ていた》


八年前。


《白い服の女が窓を移動する》


五年前。


《最後の窓まで来ると帰れない》


千尋は画面を見た。


「少しずつ増えてる」


「はい」


最初は、


女がいる。


それだけ。


次に、


白い女。


さらに、


移動する。


そして、


最後まで来ると人が消える。


怪談が成長している。


「普通じゃないの?」


折原が尋ねる。


「都市伝説なんて話が足されていくものでしょう」


「それ自体はね」


千尋は一番古い投稿を見る。


「でも茉莉さんは何か気づいてた」


スクロールを続ける。


レポートの最後に短いメモ。


《同じ文体?》


その下。


複数の掲示板投稿が並べられていた。


投稿時期は何年も違う。


アカウント名も違う。


だが文章の終わり方。


句読点の位置。


「たぶん」「らしい」「という話」


似ている。


「一人が書いてたってことですか」


「少なくとも茉莉さんはそう疑ってた」


さらにファイルがある。


開く。


タイトルは、


《霞ヶ瀬だけじゃない》


中には三つの名前。


霞ヶ瀬療養館。


戸鳴隧道。


八汐レイクホテル。


折原が言った。


「他の心霊スポット?」


「みたいね」


「全部この辺です」


「距離は?」


「車で一時間圏内」


そこへ別の捜査員が入ってきた。


「鳴瀬さん、平尾航のカメラ解析、途中結果です」


印刷された画像を受け取る。


白い人影。


拡大。


輪郭は崩れている。


だが袖の一部だけ、妙に鮮明だった。


布地に細い線。


縫い目。


「これ」


捜査員が言う。


「衣類というより、防護服に近い可能性があります」


「白い女が?」


折原が思わず言う。


千尋は黙って画像を見る。


幽霊が防護服を着る必要はない。


少なくとも、彼女の知る限りでは。


「三階で拾った繊維は?」


「現在鑑定中です」


「急いで」


そのとき、折原の端末が鳴った。


「……はい」


数秒後、表情が変わる。


「どうしたの?」


「動画サイトです」


「何が?」


折原が画面を向ける。


人気心霊配信者。


登録者数三十八万人。


唐沢岳人。


最新の告知が、十分前に投稿されていた。


《明日の深夜、戸鳴隧道へ行きます》


その下には、


《霞ヶ瀬で大学生が消えた件と関係があるという情報をもらいました》


千尋の視線が止まる。


「情報?」


「匿名で送られてきたそうです」


動画にはさらに文章があった。


《二晩後に行けば、本物の声が聞ける》


折原が呟く。


「二晩後……」


霞ヶ瀬で二人が消えたのは昨夜。


千尋は壁の時計を見る。


胸の奥に、嫌なものが広がった。


「唐沢に連絡して」


「止めますか」


「当然」


だが折原が電話番号を探している間にも、


唐沢の投稿にはコメントが増え続けていた。


《絶対行ってほしい》


《霞ヶ瀬の次は戸鳴?》


《ガチじゃん》


《配信楽しみ》


その流れの中に、


投稿されたばかりのコメントが一つあった。


名前のないアカウント。


アイコンもない。


《来るなら、名前を呼ばれても振り返らないで》


千尋はその一文を見た。


数秒後。


コメントは削除された。

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