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『三点鐘―三回鳴る夜、人が消える―』  作者: asnt2026


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第2話 残された車

「二人?」


「はい」


鳴瀬千尋は車を降りながら聞き返した。


「大学生の男女です。昨夜から連絡がつかないと家族から通報。男子学生の車が見つかったのが今朝六時四十分」


若い刑事の折原が資料をめくる。


朝八時を少し過ぎた山の中は、八月だというのに妙に冷えていた。


目の前には、古びた四階建ての建物。


旧・霞ヶ瀬療養館。


正面の壁には蔦が張りつき、窓のほとんどが割れている。


黄色い立入禁止テープの向こうには、既に鑑識が入っていた。


「肝試し?」


「その可能性が高いようです」


「可能性?」


「車内にライト、予備電池、飲み物。それと心霊スポットについて印刷した紙」


「なるほど」


千尋は建物を見上げた。


三階。


窓がいくつも並んでいる。


「あそこに女が出るらしいですよ」


折原が言った。


千尋は横目で見る。


「朝から楽しそうね」


「いえ、別に信じてません」


「聞いてない」


折原が黙る。


千尋は捜査一課に来て十二年になる。


幽霊が人を殺した事件は、一件も見たことがない。


人を殺すのは人間だ。


人が消える理由も、多くの場合は人間にある。


ただ――。


今回の現場には、最初から妙なものがあった。


二人の車は建物の裏手に停められていた。


鍵はかかっていない。


財布。


学生証。


モバイルバッテリー。


上着。


飲みかけのペットボトル。


新堂茉莉のスマートフォン。


すべて残されている。


「男子学生のスマホは?」


「ありません」


「財布は?」


「車内です」


「靴は?」


折原が一瞬戸惑った。


「靴?」


「消えた人間が自分の意思でどこかへ行ったのか、連れていかれたのか。そういう細かいところから見るの」


「はい。二人とも履いていると思われます」


「足跡は?」


「建物まで確認できています。ただ、内部が埃と瓦礫だらけで」


千尋は車内を覗いた。


助手席。


茉莉のスマートフォンが透明の証拠袋へ入れられている。


画面には通知が大量に残っていた。


母親。


友人。


大学。


午前二時を過ぎたあたりから、連絡が集中している。


「最後に誰かと連絡してる?」


「メッセージアプリを確認中です」


「家族は?」


「現場へ向かっているそうです」


千尋は建物へ歩いた。


古い玄関。


割れた自動ドア。


内部へ一歩入る。


匂いが変わった。


湿気。


埃。


古い木材。


それに、微かな薬品のような臭い。


昔ここが病院だったと身体に思い出させる臭いだった。


「足元気をつけてください」


鑑識員が言った。


「何か出た?」


「今のところ血痕なし。争った痕跡なし。ただ、カメラが見つかりました」


「どこ?」


差し出された証拠袋に、一眼レフカメラが入っていた。


「受付の近くです」


「壊れてる?」


「外見上は問題ありません。映像も一部残っています」


「見られる?」


簡易端末にデータが移される。


千尋と折原は小さな画面を覗き込んだ。


暗い廊下。


若い男女の声。


『もう帰らない?』


『まだ三階にも行ってないじゃん』


映像が揺れている。


やがて三階。


窓。


白いもの。


折原が少し前のめりになる。


「これ……」


「人でしょうね」


千尋は即答した。


「でも次の映像では消えてます」


「人間なら移動する」


「かなり速いですよ」


「速い人間もいる」


折原は何も言わなかった。


映像が進む。


カン。


一回目。


千尋の眉が動いた。


さらに、


カン。


「この音」


「何でしょう」


「分からない」


最後。


カン。


映像が激しくぶれた。


入口横のガラス。


そこに白い人影。


そして映像終了。


折原が息を吐いた。


「人、ですよね」


「その質問を刑事がしない」


「すみません」


千尋は映像を戻した。


最後の一秒。


ガラスに映った白いものを停止させる。


不鮮明。


人間の輪郭には見える。


ただし、おかしな点がある。


「この位置」


「はい?」


「撮影者の真後ろにいるなら」


千尋は画面上を指で示した。


「ここに影が出るはず」


朝ではない。


夜。


光源は手持ちのライト。


その条件なら、人間が立てば何らかの影ができる。


だが映像にはなかった。


「画像処理に回して」


「はい」


そこへ鑑識員が来た。


「鳴瀬さん」


「何?」


「ちょっと見てもらえますか」


三階へ上がった。


映像にあった窓。


左端。


二つ目。


三つ目。


そして四つ目。


「ここです」


床に白いものが落ちていた。


布ではない。


薄い繊維。


千尋はしゃがむ。


「服?」


「鑑定しないと何とも。ただ普通の衣類より厚いですね」


「回収して」


立ち上がったときだった。


廊下の奥。


カン。


千尋は動きを止めた。


折原も顔を上げる。


鑑識員まで固まった。


数秒間、誰もしゃべらなかった。


「今の」


折原が言う。


千尋は廊下の奥を見た。


誰もいない。


「配管でしょう」


「でも――」


「古い建物なら音くらい鳴る」


千尋は歩き出した。


その声が、自分で思っていたより少しだけ早口だった。


一階へ戻ると、捜査員が待っていた。


「新堂茉莉のスマホ、最後のメッセージが分かりました」


「誰から?」


「匿名アカウントです」


「内容は?」


捜査員が画面を見せる。


《本当の霞ヶ瀬を知りたいなら、午前一時を過ぎてから》


その下に画像。


建物裏側の入口。


さらに、昨夜零時五十八分。


最後のメッセージ。


《窓を最後まで見ない方がいい》


千尋は数秒、画面を見つめた。


「送信元を追って」


「了解です」


スマートフォンを返そうとして、手を止める。


もう一件。


メッセージではない。


茉莉の検索履歴だった。


失踪直前。


午前一時四十七分。


《霞ヶ瀬療養館 三回 音》


検索結果は、


ゼロ件。


千尋はゆっくり顔を上げた。


三回の金属音は、


有名な怪談ではなかった。

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