主と執事の恋愛感情
まあ、いいか。
なんてよく言えたものだ。
翌日も上機嫌の紺と学校へ来たのが最後、椿に会うや否や胸を張り、紺、自ら近づいた。
「僕たちは、恋人になったんだ! 好き、を教えてくれた礼に何かしてやってもいいぞ!」
そこそこの声量だった。
教室内にいた他の生徒からの視線が、振り向かなくともわかる。
あまりの突然の出来事に、私は唖然と見つめるが、次第に羞恥と誤解を解く方に頭が回った。えらいことになってしまった!
「ち、違うの、椿、あのね!」
「……大丈夫よ、春子。なんとなくわかるから」苦笑いのような表情を浮かべた椿は、紺と向き合った。
「おめでとうございます。では、私とも普通に話をしてくれますか?」
紺は至極気分が良いのだろう、笑顔で頷いた。
「わかった。もう無視しない」
謝りこそしないが、椿との仲は一歩前進、といったところだろうか。
「というか、紺は出てきちゃダメでしょ! 怒られるから!」
自然にその場にいたため、気づくのに遅れた。
まだ学校に着いて数分。教師に気づかれたら大変だ。
……ただでさえ、紺の対応に悩んでいるのに。
「ううん、大丈夫だよ! 僕、あの担任って奴が来たらすぐに隠れるから!」
「いや、そういう問題じゃ……」
ないのだよ。
いや、ほんとに。視線がヒソヒソ話に変わっている周囲に、居心地が悪い。
主と執事が付き合うなんて……普通じゃない。
機嫌が良い紺は、担任が来ると、本当にすぐに影へと同化した。
全く、本当に手間のかかる執事だ。
「先生!」
教壇に近い女子生徒が、ホームルームが始まった直後、担任を呼び、なにやらこちらからは聞き取れない声で話している。
……嫌な予感。
そう私が感じたとき。
女子生徒と話をしていた担任の目が、私を捕らえた。
あ、やばい。
すぐに逸らし、校庭の景色なんかを眺める。
ふと、人のか気配を感じて見上げれば、そこには担任の姿。あ、おわった……。
ますます問題児扱いされるんじゃ。
「三星さん。お話ししたいことがあります。今から、相談室に行きましょう」
「……はい」
「他の生徒は三星さんが戻るまで自習です」
担任はそそくさと出ていく。その後ろを、気落ちした私が追う。
教室を出るさい「いい気味」とつぶやく声が聞こえた。
……どうやら、誰かに恨まれている様子。
いったいどうして? 考えたかったが、それよりも、担任の背中を見つめ、ため息を吐く。
「……三星さん。貴女には確かに言ったわ。執事と絆を深めなさい、と……ですが……恋人になった。とは、本当ですか?」
「えっと……それには、その。深いわけが……」
認めたくない。だが、現状として周囲に公言してしまっている以上、否定するのもなんとなく気が引ける。
紺の暴走を止められていないのも、事実。
私の歯切れの悪い言葉に、担任はため息を吐く。
「……決して、悪いことではありません。ですが、例外ではあります」
また、例外か。
「人は恋をします。それを止めるというのは、とても難しいことです。その対策として、執事は主に恋愛感情を持つことはない──そういう風に、できています」
「そう、なんですか?」
あれ? でも、紺は……ああ、だから例外か。
「そういう風にできていても、例外はあります。執事も、恋愛感情を持つことが稀にあります。そしてそれは……」
担任の目が、私の影に一瞬、移る。
「それは、ランクが高いことに比例するのです。ランクが高ければ高いほど、そういった例外は発生する確率が上がるということ……以前にも、言うべきでした」
まさかこんなに早く展開するとは、と担任は申し訳なさそうに俯く。
「なんか、すみません」
私のせいで、この人も大変なんだな、と思ったら謝っていた。
「いいえ。これも担任の仕事です。それに……恋愛感情を抱くことは、誰にでもあります。ですが、ほとんどの場合は、主から執事への片想い程度で終わるものです」
「はあ、なるほど」
「貴女は、もっとこの世界を知るべきですね。うん、そうですね。この辺の事柄は、主であれば中学生の頃に習う内容で、高校ではほとんど授業内ではやりません……ですが、三星さんは最近なられたばかりですから」
「はい、すみません、疎くて。あの、勉強しようとは思っているんですけど……」
それよりも、発展することが多すぎて、いつも体験してから勉強することになってしまっている気がする。
「放課後、そういったところの勉強をしますか? テスト期間前までなら時間ありますよ」
「え、良いんですか?」
「はい。Sランク執事を持つということが、どれだけ大変なことか……想像もつきません。ですから、少しだけでも、励みになれば、と」
「あ、ありがとうございます!」
願ったり叶ったりだ!
執事の世界を、主のことも、基礎的なことを学びたいと思っていたところ。
「では、放課後に教室で行いましょうか」
「はい」
これで少しは主としての振る舞いが、出来るようになるかもしれない! 知識は多いに越したことはない。
教室に戻ってすぐ、あの密告してくれやがった女子生徒と視線が交わった。
女子生徒は睨み、嫌悪丸出しの表情で私を見る。
え? なんなの。
今朝まで関わったことのない子が、何故かここにきて親の仇みたいに私を敵視している。
私が不快に思ったら、すぐに紺へと伝わることを忘れていた。
授業前のちょっとした休憩時間に、事件は起きた。
「おい、お前」
紺が、いつの間にか姿を表し、例の女子学生の前に仁王立ちしていた。
表情がこちらからは見れないが、怒っているのが伝わる。
「な、なによ」
「ちょ、止めなよ、紺!」
私が二人の間に割って入り、紺に制止を促す。
それに少し安堵した女子生徒の表情が、今度は私を見て、再び怒りに変わる。
「アンタさ、気持ち悪いんだよ! 執事と恋人? は? 気持ち悪すぎ! 執事をそんな目で見るなんて、どうかしているでしょ」
「え」
私は唖然としたし、他の生徒もそうなのだろう。
いつの間にか静まり返った教室で、この女子生徒の声だけが響く。
「恥ずかしいと思わないわけ? 執事の前で女ぶって、お姫様扱いでもして欲しいいんだ? 気持ち悪すぎ。アニメの見すぎじゃね」
何がそこまでするのか、私をどうしてここまで恨んでいるのか、そして、そんな風に見られていたことにショックを受けた。
「わ、私は、ただ」
「言い訳とかダサ。執事と乳繰りあってろよ!」
ドン、と身体を押され、背後の紺へとぶつかる。
カッと羞恥と怒りに染まるが、それを落ち着かせるように、紺が私の肩へと手を回した。
ひんやりと冷たい体温が、私の怒りを沈めているみたいだった。
「おい、お前さ、執事に相手されなかったんだろう」
「え?」
「は?」
私と女子生徒の声が重なった。
「お前の執事、お前を好きになることなんてなかったんだろう? 馬鹿な女。自分が報われないからって他人を恨んだ。弱くて惨めな奴」
「ちょ、ちょっと!」
それはいくらなんでも言い過ぎでは?
私が止めようと思ったが、女子生徒はカッと顔を赤くして、捲し立てる。
「あ、あんたに何がわかるのよ! あたしの何が! だいたい、執事なんて人形と一緒じゃない! Sランクだかなんだか知らないけど、いい加減なこと言うな!」
興奮しているのが、見てとれる。
「お前の執事、僕はよく知ってるよ『主に好かれて困ってる。自分はそういう目で見れない』って悩んでたんだ。だから、僕がアドバイスしてやったんだよ『無視しろよ、そうしたら諦めるだろ』って」
何の話をしているのかわからなかったが、女子生徒の顔はみるみる赤くなっていく。
「なっ!! こ、この!!」
バッと女子生徒が右手を振り上げた。
殴られる、と咄嗟に判断した私は、怖くて目を閉じる。
鈍い鈍器のような音が一つ。
私には何の変化も無いので、恐らく紺だろう────そう思ったら、ハッとした。やばい、何か紺がやってしまったのではないだろうか、と。
「紺!」
目を開け、一番最初に入ってきたのは、倒れる女子生徒の姿。
鼻から血を流している。
「ひぃ!」
仰け反り、やってしまったのか、と冷や汗をかく。顔色も悪いだろう。
「大丈夫だよ、春子。死んでないよ、鼻を折っただけ」
死んでない。その言葉に安堵し、鼻を折った、ということに恐怖した。
「は、鼻!? な、え、ど……ごめんなさい」
女性の鼻を折るなんてどうかしてる! と紺を睨むと、微笑みを返してくる。
前途多難だ。
また説教だ……はあ、とため息と共に、そんなに気にしていないというか、紺の行動に慣れてしまってきている自分に恐怖した。




