甘やかしたら、だめ、絶対
最近、よく紺が怒るな、と思い始めた。
些細なことで騒ぎ、もとから言うことの聞かない紺は、更に聞かなくなった。
特に騒ぐのが、午後の授業。
執事の授業だから、当たり前と言えば、当たり前なのだけれど……椿の執事、黄に、特に絡む。
「おい、弱虫。弱いと大変だね、この授業。楽じゃないもんね。ま、僕は強いから、暇なくらいだけど」
得意気に紺が笑う。
黄も、前回の件があるせいか、どことなく、紺にだけは、過剰反応を見せる。
「……負け犬こそ、よく吠えるというもの」
一見すれば、見つめあっているように思えるが、目は氷のように冷たい両者。
そこへ、私と椿が、割って入る。
「紺、駄目だよ!」
「黄、落ち着いて。最近、なんだか変よ?」
優しい椿の声を、遮るように、鳴く紺。
「おい、弱虫! 僕がお前より弱い訳がない!」
「紺! 駄目ったら!」
私の制止も、あまり効き目がない。
私を飛び越えるようにして、紺が騒ぐ。
また、前回の宥め方を、実践する。
「えっと、ほら、よく聞いて?」
頭を撫で、軽く、抱き締める。軽く、なのは、やはり気恥ずかしい。
最近、気づいたことだが、このとき、紺がよく私の肩に頭を擦り付けてくる。まるで、匂いをつける動物のように。
そして、満足そうに、息を吐くのだ。先ほどまで怒りを宿していたとは思えないほど、穏やかな鼓動と、深呼吸。
これまで、数回と様子を見てきたが、これは、確信しても良いだろう。
紺は、私の、この行為を、待っている。
頭を撫で、抱き締めるのを、待っているのだ。
「ねえ、紺?」
確信した途端、紺が黄に、執拗に絡む理由も、同時に検討がつく。なるほど。
「んー? なあに?」
今だ、私の肩や首筋に、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。心なしか、背中に回る紺の腕にも、力が籠り、拘束されている気になる。
「紺は、最近、よく怒るよね。特に、午後の授業で、相手は黄」
努めて冷静に、けれど、笑って話せることでもない。
「うん、だって、あの弱虫、ムカつくんだもん」
「でも、黄は、紺に何か言っているわけじゃないよ。いつも、紺から、黄に喧嘩を売るよね?」
「そうかな? 弱虫が先に睨んでくるんだよ」
「紺は、黄と喧嘩がしたいって風に、見えるんだけど?」
ビクッと、紺が少し大袈裟に、身体を強張らせる。何が言いたいのか、理解したみたいに。
「そ、そんなことないよ!」
僕は、春子以外が嫌いなだけ! と、更に私をきつく抱き締める。
「……はあ」
ため息も、漏れるものだ。
「ねえ、紺。一回離れて?」
午後の授業だが、幸い、今日はテストみたいなもので、主の名前順に一人ずつ体育館にて、佐川先生と面談という名の、何かをするみたいだった。
先に終わった椿曰く、体育館に入った途端、不意を突いて主を攻撃したとき等の、執事の対応を見るのだとか。
だが、主と執事によって内容は変わるらしく、私はまだわからない。
一人ずつのため、その他の生徒は、とりあえず校庭で待機だった。
三星の私は、まだまだ先だろう。
「……春子、怒ってる?」
紺は、私の静かな怒りに、不安になったのか、私の背に回る腕のまま、距離を取った。私を捨てられた小動物みたいな目で見つめてくる。
「うん、怒ってる」
「ご、ごめんなさい!」
伝わったのか、ぱっと私から離れ、なぜか目の前に正座をした。
そして、何度も謝る。
「紺。どうして私が怒っているのか、わかってるの?」
「それ、は……」
視線を泳がせ、瞬きの回数が早くなる。わかってないな。
「あのね、これ、私の想像だけどね。紺が黄に絡むのは、私にこうされたいからだって、思ったの」
言いながら、ゆっくり近づき、抱き締める。そして、頭も撫でる。一連の動作を終えたあと、私は離れ、紺の顔を除き込んだ。違う? と。
紺は下唇を噛み、潤んだ瞳で、私を見た。
「……そうだよ」
「どうして、こんなことのために、黄を……」
私が言い終わる前に、紺は吠えた。
「こんなことじゃないよ! だって、ああやって怒らないと、春子は僕に触れてくれないから! 僕が、触ってって言ったら、春子は僕に、今みたいに触れてくれた?」
言葉に詰まった。
注意するはずが。あまりにも、紺が泣きそうで、それでいて切羽詰まったような、苦しそうな顔をするものだから、私は何も言えなくなった。
怒る気にも、もうなれない。
「……僕、春子と仲良くしたいだけなのに」
そういえば。
周囲を見渡せば、皆、執事を尊重している様子が、窺えた。
椿も、紺と揉める黄以外は、優しく、丁寧に話していた。「どうしたの?」「何か気になる?」など。
私は、紺にこんな優しいトーンで話したことがあるだろうか。そして、気にかけてあげたことが、あるだろうか。
「…………紺、あの」
「僕は、ただ、春子に、もっとかまってほしい」
消え入りそうな声で、呟いた。
「……ごめん、ね。私、ちょっと、冷たかったよね、紺に」
「は、はるこ」
震えた声で、私を見上げた。
同時に、私も紺に合わせてしゃがむ。
「ただし、これからは、もう少し、私の言うことも聞くこと!」
「……じゃ、じゃあ! 毎日、ぎゅーってしてくれる?」
う、毎日、か。
暫く考える仕草をしてから、決意した。
「いいよ。その代わり、紺が勝手に、今回みたいなことをしたら、怒るよ。許さないからね?」
許さない、と言ったのに、紺の表情には、喜びが浮かんだ。
「わ、わかった! ありがとう、春子!」
そして、ごめんね、とも。
その夜、寝る前になって、妙にニヤニヤした紺が「ぎゅーってしよ」等と言われ、仕方なく、応じることにした。
それ以降も、寝る、というタイミングで、紺が求めるものだから、眠気と戦いながら、私は答える。
これは、ごく希にだが、そのまま寝てしまうことすらある。朝起きた時、目の前に満面の笑みを浮かべた紺がいる。そして、私達は、抱き合っている。
という、なんとも言えない、叫びたくなるような状況。
すぐに紺をベッドから押し出すけど、寝ているあいだ、朝まで。それも、嫁入り前の年頃の娘が……泣きたくなる。
そんな生活のある日。ふと、これ、紺に嵌められたんじゃないか、という疑問が頭を過ったのは、言うまでもない。
ただ、よく眠れるようには、なった。
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