第9話 孤児院の食卓
ユリウスが孤児院の食堂で最初に気づいたのは、皿の数が合わないことだった。
長机を囲んでいる子供は二十人あまり。配られた深皿は、それより五枚少ない。皿を持たない子たちは、食事の時間だというのに壁際へ並び、膝の上で手を握っていた。
「あの子たちは食べないの?」
案内役の管理人は、一瞬だけ困った顔をした。
「朝の分を食べましたので」
「朝の分?」
皿の中身は、底が見えるほど薄い粥だった。これが昼食だ。朝に食べた者は昼を抜き、朝に食べられなかった者が今食べる。それで一日一度は全員へ回るのだという。
同行していた家の役人は、帳面を確かめて頷いた。
「規定の配給は届いております。冬を越せない量ではございません」
「冬を越せればいいの?」
「孤児院は、そのための施設です」
当然の答えとして返された。
ユリウスにも、こちらの理屈は分かる。飢えた子供を路上から集め、雨風をしのぐ場所と最低限の食事を与える。王家と都市が慈悲を示し、命をつなぐ。それは何もしないより、ずっとよい。
だが、地球という名の遠い世界を思う部分が、これを十分だとは認めなかった。
「学校へは?」
「通わせております」
「食べずに勉強できる?」
役人は答えなかった。
金色の瞳へ聞けば、空腹が身体へ与える影響をいくらでも知ることができる。けれど、壁際で唇を舐めながら他人の皿を見ている子供を前に、知識は必要なかった。
ユリウスは自分のために用意された席へ座った。
王族の訪問なので、彼の前にだけ別の食事が並べられる。焼いた肉、白いパン、果物。香りが広がると、見ないふりをしていた子供たちの目が一斉に動いた。
「これを下げて」
「お口に合いませんでしたか」
「そうじゃない。分けてほしい」
管理人が慌てた。
「殿下のお食事を、そのような――」
「私が食べるために運んだものなら、私が分けてもいいでしょう」
王族らしい理屈を使っている自覚はあった。自分の物だから自分で決める。それが壁際の子供たちの選択を尋ねていないことには、まだ気づかなかった。
肉とパンは小さく切り分けられた。全員へ行き渡るころには一口ずつだったが、食堂の空気は少しだけ明るくなった。
ところが、一番年かさに見える少年は、渡されたパンを食べなかった。隣の幼い子の手へ押しつける。
「君の分だよ」
ユリウスが言うと、少年は警戒するように見返した。
「そいつのほうが小さいから」
「君も空腹でしょう」
「慣れてる」
慣れれば腹が満ちるわけではない。だが少年は、それ以上話そうとしなかった。
「働くことはできないの?」
少年ではなく管理人が答えた。
「年長の者には、清掃や運搬の口を探しております。ただ、身元を保証する家がありませんので、雇い手がなかなか」
「力仕事ならできる」
壁際の少女が口を挟んだ。腕は細く、袖の余った服を着ている。
「前に荷を運ぶところへ行った。でも、おまえじゃ荷より軽いって笑われた」
周りの何人かが笑った。少女も笑った。しかしユリウスには、それが面白い話だとは思えなかった。
「仕事がなければ、お金は入らない。お金がなければ、ここを出たあとも食べられない」
「ですから、ご寄進を増やしていただければ」
管理人の期待を含んだ声に、ユリウスは首を振った。
「寄進が止まったら、また減る」
一度多く食べさせることはできる。服を配ることも、建物を直すことも。けれど、与える者の気が変われば元へ戻る。
この子たちが必要としているのは、かわいそうだから与えられる一口ではない。明日も自分で得られる一口だ。
「何を売ればお金になりますか」
問いに、役人は商人の扱う品々を挙げた。農作物、布、加工品、そしてダンジョンから得られる資源。
最後の言葉で、ユリウスは顔を上げた。
「ダンジョンの中の魔獣は、どれくらい強い?」
「場所によります。低危険度に指定された浅い区域なら、魔力を持たない者でも倒せるものが大半です。とはいえ危険はございます」
「第1級の身体強化を受けていたら?」
役人の返事が遅れた。
「通常の武器や低級魔獣では、傷を負わせることも難しいでしょう」
「なら、この子たちも働ける」
食堂が静かになった。
管理人が青ざめる。
「殿下、孤児を魔獣と戦わせるおつもりですか」
「傷つかない強さにして、危険の低い場所だけにする。学校を休ませない。嫌な子にはさせない。持ち帰ったものの利益は、ここへ戻す」
ユリウスの中では、筋が通っていた。戦争では王族が平民の軍団を強化する。それなら、戦争より弱い敵を相手に、安全を確かめて働くこともできるはずだ。
「兵士でもない子供へ、王族が直接強化を?」
「兵士でなければ、してはいけないの?」
誰もすぐには答えなかった。
壁際にいた少女が、一歩だけ前へ出る。
「それをやったら、食べた分を返せる?」
「返すんじゃない。働いた分を受け取るんだ」
「何が違うの」
ユリウスは言葉に詰まった。
施しと賃金の違い。守られるだけの者と、自分で明日を選べる者の違い。それを七歳の言葉にするのは難しい。
「次の食事を、誰かがくれるかどうかだけで決めなくてよくなる」
言いながら、ユリウスは自分の説明が十分ではないと感じていた。働けなければ食べる資格がない、と言いたいのではない。幼い子や病んだ子は、働けなくても守られるべきだ。それでも、働ける者まで永遠に施しを待つしかない仕組みは違うと思う。
守られる権利と、自分で選ぶ力。その両方を同時に渡す言葉を、彼はまだ持っていなかった。
少女はしばらく考え、壁際の仲間を見た。
「じゃあ、やる」
「待って。まだ安全を確かめて、父上にも――」
「いつから?」
別の子も尋ねた。
管理人と役人は、まるで新しい災厄が食堂で生まれたような顔をしている。
ユリウスのそばで、金色の瞳だけが静かに開いていた。
食卓の皿を増やすための思いつきが、やがて剣を持つ子供たちを生む。そのことが王族社会にどう見えるかを、このときのユリウスはまだ問うていなかった。




