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全知の精霊は王冠の行方を知らない  作者: Tatsumaru


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第52話 空いた当主席

 アイラとリタを失ったパルティア軍は東へ退き、戦争は終結した。


 それでも、空席は埋まらなかった。


 第三家カルディス王家の当主が座るべき椅子は、王院の議場で黒い布を掛けられていた。


 ほかの十二人の当主が席につく中、その一脚だけが沈黙している。マルクスの死を悼むためであると同時に、次に誰がそこへ座るのか決まっていないことを示す沈黙だった。


 リヴィアは椅子の後方に立ち、ユリウスはその隣にいた。


 後継者として長く育てられたリヴィアが、最有力だった。幼いころから教育を受け、軍務と政務の実績を積み、父の不在時には家を支えてきた。


 だが、ユリウスには別の重みがあった。


 全知の精霊。孤児院を起点に築かれた人材と情報網。ダンジョン侵攻での戦果。魔力不全症の治療。そして、パルティアの最終的な敵を討った功績。


 軍の一部は、戦場で答えを示したユリウスを支持した。孤児院から巣立った者たちは、自分たちへ明日を選ぶ力をくれた人だと訴えた。整えられた報告制度の恩恵を受ける官僚の中にも、全知の契約者が当主となれば改革がさらに進むと期待する者がいる。


 一方、長くカルディス家へ仕えた家臣たちは、父の不在を埋めて軍と領内を保ったリヴィアの働きを知っていた。戦場の一勝だけではなく、勝敗のつかない日々を背負い続けられる者こそ当主だと主張する。


 ネルヴィア家の者は、エレナの回復によってユリウスの後継資格に問題はないと確認しながらも、夫婦を後継争いの旗にすることは拒んだ。


 どの声にも、それぞれの経験から生まれた理由があった。単純な悪意で退けられる意見は少ない。だからこそ、議論は深く割れた。


「帝国を救った者を、弟であるという理由だけで退けるのか」


 議場の一方から声が上がる。


「正式な後継者を、戦時の一功だけで覆すほうが道理に反する」


 別の当主が返す。


 一功ではない、という反論。


 その功績を支えた家と軍をまとめてきたのは誰か、という反論。


「ユリウス殿下には、既存の秩序を越えて答えを見つける力がある」


「当主の仕事は、答えを見つけることだけではない。見つからぬ間も家を保つことだ」


「では、帝国を救った力を当主の外へ置くのか」


「当主でなければ家を守れぬという前提こそ、おかしい」


 最後の言葉で、ユリウスは顔を上げた。


 当主にならないことは、家への責任を捨てることではない。その可能性は議場の中にもすでにあった。ただし、誰かに都合よく割り当てられるのではなく、自分で引き受ける役割として選ばなければならない。


 議論は姉弟の意思を置き去りにして進んだ。


 ユリウスはようやく、自分が何を作ってしまったのかを見ていた。


 孤児を自立させたかった。


 その者たちは今、ユリウスのためなら武器を取ると言う。


 情報を早く集め、人を救いたかった。


 その網は、帝国規模の権力と見なされている。


 エレナを治したかった。


 その成功は、封じられた後継資格を回復させた。


 敵から民を守りたかった。


 その戦果が、姉より自分を当主にと求める声を増やした。


 どれ一つ、後悔はしていない。


 だが、善意だったというだけで、その後に生じた政治的な意味から逃げることもできなかった。


 休憩に入ると、二人は議場の外へ出た。


「姉上」


「今は何も言うな」


 リヴィアは正面を向いたまま言った。


「ここでおまえが『僕は要らない』と言えば、それは選択ではない。議論から逃げただけだ」


「分かっています」


「本当に?」


 鋭い目が向けられる。


 その目の奥に、弟を憎む色はなかった。疲労と悲しみと、それでも自分の足で立とうとする意志があった。


 父を失ってから、二人はまだ二人きりで泣いていない。


 葬送では王家の子として立ち、戦況報告では責任者として席についた。片方が崩れれば、もう片方まで立てなくなる気がして、互いに大丈夫かと尋ねることさえ避けてきた。


 廊下で向き合った今も、先に涙を見せたくない意地だけがよく似ていた。


 母クラウディアは、夫の裂けた軍装を受け取った。繕いの精霊が何度も布へ触れようとし、そのたび彼女は手を止めた。


 直しても、着る人は戻らない。


 それでも最後には、血の染みを残したまま裂け目だけを閉じた。傷をなかったことにせず、これ以上壊れないようにする。それが今の彼女の繕い方だった。


「父上の伝言を、覚えていますか」


 ユリウスが尋ねる。


「一字も忘れていない」


 恐れてよい。退いてよい。だが、選ぶことから逃げるな。


 二人で選べ。


 二人とも、生きて帰れ。


 リヴィアは議場の扉を振り返った。その向こうには、黒い布を掛けられた椅子がある。


「王院に選ばせるな、ということだ」


 ユリウスも同じ扉を見る。


「家臣にも、支持者にも」


「私たちを愛している者の期待にもだ」


 リヴィアは言った。


 期待は命令より断りにくい。孤児たちの忠誠も、家臣の信頼も、父の願いも大切だからこそ、それだけに従えば自分で選んだことにはならない。


「父上の亡霊にもだ」


 その言葉に、ユリウスは息を止めた。


 マルクスが弟へ席を譲らせたのではないかと悩み続けたこと。その悔いから、自分たちの争いを封じようとしたこと。父の過去さえ、姉弟がこれから選ぶ答えを決める理由にしてはならない。


 鐘が鳴り、休憩の終わりを告げた。


 リヴィアは議場へ戻る前に言った。


「次の審議までに答えを出す」


「はい」


「おまえの答えを持ってこい、ユリウス。私が望みそうな答えではなく、おまえ自身のものを」


 扉の向こうで、黒い布を掛けられた空いた椅子が二人を待っていた。

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