第51話 帰ってくる魔力
受け止めた刃を、ユリウスは押し返した。
先ほどまでとは力の質が違った。自分の魔力が増えただけではない。エレナから渡された強化が、彼の全身を支えている。骨と筋肉の動きを補い、傷ついた身体にもう一度戦う余地を作っていた。
アイラが目を輝かせた。
「それ、エレナの力ねぇ」
「そうだ」
「遠くにいるのに、あなたへ全部くれたの?」
「全部じゃない」
ユリウスは剣を返し、彼女の肩口へ踏み込む。
アイラは紙一重で躱した。白い髪が数本、宙を舞う。
「これは、返す力だ」
アイラの笑みがわずかに揺れた。
「もらったのに?」
「もらったからだ」
全知へ問いを立てる。
彼女がこれまで用いた防御。傷ついた左脚を庇うときの重心。先ほど切った右腕が剣を返す速さへ与える遅れ。愛の精霊へ魔力を送る直前に生じる、呼吸の間。
答えが流れ込む。
エレナの力で、今度は身体も答えに追いつく。
ユリウスは左へ踏み込んだ。
アイラは傷ついた脚を庇い、剣を外側へ開く。そこまでは答えどおりだった。
だが、開いた脇腹へユリウスが剣を向けると、彼女は逃げなかった。傷ついた左脚へさらに力をかけ、痛みごと身体を捻って刃を落とす。
弱点を狙うと知ったうえで、そこを餌にしたのだ。
ユリウスは攻撃を捨てて剣を戻した。二つの刃が胸の前でぶつかる。火花の向こうで、アイラが笑った。
「今度は間に合ったわねぇ」
「まだ足りない」
押し合う剣を外し、肩でぶつかる。アイラの身体が半歩ずれた。ユリウスは追わず、彼女と西の街道の間へ戻った。
勝つためだけなら、傷ついた左を追えばよい。
だがアイラを通さないことも、同じ戦いの中にある。目の前の弱点だけを見て、守るべき場所を空けるわけにはいかなかった。
「そこを通りたいなら、私を倒してからだ」
「そうするわ。あなたを殺して、エレナのところへ行くの」
アイラが剣を横へ払った。
刃を避けても、続く魔力の波が焼けた土を剥がして迫る。ユリウスは身体強化を脚へ集め、崩れた地面を斜めに駆けた。背後で土砂が弾ける。砕けた石が頬を切った。
回り込みざま、アイラの右腕へ二度目の斬撃を入れる。
浅い。
それでも握りが遅れた。返ってきた剣を受け流し、今度は左脚へ向けて踏み込む。アイラが防御を下げた瞬間、狙いを肩へ変える。
切っ先が届く寸前、白い魔力の壁が二人の間へ立った。
ユリウスの剣が止まる。
力任せに割ろうとすれば、受け取った魔力を大きく失う。壁を避ければ、アイラは西へ抜ける。
ユリウスは剣を引き、あえて二歩退いた。
「逃げるのぉ?」
アイラが追う。
一歩目は無事だった。
二歩目で、左足の下が崩れた。
先ほど彼女自身が地中から魔力を放ち、亀裂を作った場所だった。全知が示した足場の中で、二人の体重を続けて支えられない地点。ユリウスはそこだけを踏まず、アイラを上へ誘った。
左脚が沈む。
アイラは左脚を亀裂に取られたまま、掌から魔力を放って上体を起こした。地面が爆ぜ、ユリウスの視界を土煙が覆う。
見えなくても、問いは立てられる。
土煙の向こうで、いま剣がある位置。
答えに従って首を伏せる。頭上を刃が通過した。ユリウスは低い姿勢のまま距離を詰め、アイラの防壁へ剣を叩き込んだ。
一撃。
亀裂が入る。
二撃。
白い壁が軋む。
三撃目を振るう前に、アイラの右脚の蹴りが脇腹へ入った。ユリウスは息を失い、地面へ転がる。立ち上がったとき、受け取った魔力はすでに大きく減っていた。
力が届いたからといって、勝利まで与えられたわけではない。
エレナが渡したのは、ユリウスがもう一度選び、もう一度剣を振るうための余地だった。
アイラの愛が空気を震わせた。ユリウスの胸中へ、膝を折り、彼女の名を呼び、持っているものをすべて捧げればよいという甘い衝動が入りかける。
――この人を愛せ。
だが命令は最後まで形を結ばず、痺れのような感覚だけを残してほどけた。戦場焼却術式を越え、リタを失い、アイラ自身の魔力は大きく消耗している。今の発動が完成しなかった理由を一つに定められるほど、確かな情報はなかった。
エレナから届いた強化が、愛の力を退ける盾だと断定することもできない。ただ、不完全な作用のあとにも前へ動かせる足があり、エレナの力がその一歩を支えていた。
ユリウスは、その足を踏み出した。
「私が愛する相手を、君には決めさせない」
剣を振るう。
すでに二度打ち込んだ場所へ、三撃目が重なった。
アイラの防壁が砕けた。
だが、その向こうにも刃が待っていた。
アイラは剣を両手で握り、正面から受けた。傷ついた右腕が震えても離さない。二人の剣が噛み合い、魔力が押し合う。
ユリウスの腕にも、もう余力はなかった。
先に一歩を譲ったほうが負ける。
「どうして?」
「あなたを生かすために、自分が死にかけているのでしょう? 叔父さまと同じじゃない」
「エレナは、私が帰ると信じている」
「死ぬかもしれないのに」
「だから私が帰る」
「帰って、どうするのぉ?」
「力を返す」
押し込んでいたアイラの力が、ほんの一瞬だけ止まった。
受け取れば、自分のものになる。
愛した者が死ねば、最後の愛まで自分のものになる。
それ以外の形を持たない彼女には、与えたものを返してもらい、それでも関係が続くという言葉を、すぐには置く場所がなかった。
止まった呼吸。遅れた右手。沈んだ左脚。
全知が、いま存在する三つの事実を示した。
その一瞬へ、ユリウスは踏み込んだ。
噛み合った剣を右へ流し、アイラの傷ついた腕を外へ開かせる。沈んだ左脚では、身体を戻せない。
アイラも最後に魔力を放った。
衝撃がユリウスの肩を裂く。それでも、足は止めなかった。
刃がアイラの胸を貫く。
ぶつかり合った魔力が爆ぜ、二人を反対方向へ弾いた。ユリウスは地面へ片膝をつき、アイラは数歩よろめいて倒れた。
致命傷だった。
彼女は胸元を押さえ、指の間から流れる血を眺めた。それから、晴れやかな顔で笑った。
「返すのねぇ」
「ああ」
「そうしたら、あの人は生きるの?」
「生かす」
「あなたも生きるのね」
ユリウスは答えず、立ち上がった。
時間がない。胸に残る献身の経路はまだつながっている。受け取った魔力量は、二人で測った安全限界を明らかに越えていた。エレナは、自力では戻れないほど渡している。
アイラはそんな彼を見上げた。
「殺さなくても、愛は逃げないのねぇ」
理解したというより、初めて別の形を見つけた者の声だった。
「君の愛が嘘だったとは言わない」
ユリウスは言った。
「でも、愛した相手が必ず死ななければならないわけじゃない」
アイラは目を閉じた。
「わたしには、できなかったわ」
「そうだ」
慰めは与えなかった。
彼女の愛に巻き込まれて死んだ者は戻らない。アイラの言葉で壊れたリタも、彼女を生かそうとして命を落としたアウレリウスも、戦場で死んだ者たちも。
それでもアイラは満足そうだった。
「きれいなものに負けたのなら、それもいいわねぇ」
愛の精霊の気配が薄れていく。
アイラは最後まで微笑み、自分の愛を否定しないまま息を引き取った。
ユリウスは彼女の死を確認すると、すぐに踵を返した。
戦況を残った指揮官へ引き継ぎ、最速の馬を求めた。勝利の歓声を上げようとした兵たちは、彼の顔を見て声を止める。
「勝ったのですか」と、一人が尋ねた。
「ここでは」
ユリウスは短く答えた。
エレナが生きて力を取り戻すまで、二人の戦いは終わらない。アイラを討ったことだけを勝利と呼べば、受け取った力を自分の戦果にしてしまう気がした。
帰らなければならない。
馬を替え、さらに走る。時を告げる鐘も聞かず、傷の手当ても最低限で済ませた。それでも以前のように、自分だけを数の外へは置かなかった。倒れる前に食べ、馬上で水を飲み、護衛の交代を受け入れた。
急ぐあまり馬を潰せば、その先を走れない。傷を放置して意識を失えば、経路を持つ自分がエレナへ届かない。休む数分を惜しまないことも、帰るための選択だった。
父が最後まで自分を含む全員の帰還を望んだ意味を、ユリウスは馬上でようやく身体に覚えさせていた。
生きて帰ることまでが、戦いだった。
カルディス家へ着いたとき、どれほど時が過ぎたのか確かめる余裕もなかった。
ユリウスは馬から飛び降り、寝室へ駆け込んだ。
エレナは寝台に横たわっていた。息は浅く、手は冷たい。治療術師たちは魔力核へ働きかけようとしていたが、空になった核は反応を返さない。
「エレナ」
返事はない。
ユリウスはその手を両手で包んだ。
胸の奥に残っていた経路が、触れた瞬間にはっきりと開く。
「返すよ」
受け取った魔力を、自分のものとして掴まない。彼女が作った道へ、そのまま送り返す。
白い光が二人の手の間に灯った。
エレナの魔力核へ、最初の一滴が戻る。
二滴、三滴。止まっていた水車へ水が届くように、核が小さく脈打った。
一度。
もう一度。
やがて、返された力とは別の、ごく弱い魔力が内側から生まれた。
自然回復が始まったのだ。
治療術師が息を呑む。
エレナの指が、わずかに動いた。
ユリウスはその手へ額を押し当てた。
「ただいま」
閉じた瞼はまだ開かなかった。
それでも唇が、ごく小さく動いた。
「……おかえりなさい」




