↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
全知の精霊は王冠の行方を知らない  作者: Tatsumaru


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/57

第38話 叔父が語った姪

「やっと会えたわぁ。リヴィア・カルディス」


 アイラの声は、戦場を隔てても不思議なほどよく通った。


 両軍の間には、矢の届かない空白がある。朝から続いた戦いが途切れ、負傷者を下げるための短い静けさが訪れていた。その静けさの中央へ、アイラは白い馬を進めてきた。


 護衛も連れていない。


 必要がないのだろう。亜神である愛の精霊と契約した第1級保持者を、この距離から射抜ける者はいない。何より彼女の背後には、自分の命よりアイラを優先する兵たちが、熱に浮かされた目で並んでいる。


 リヴィアは自軍へ待機を命じ、一人で前へ出た。


「私の名を、どこで知った」


「ひどいわぁ。会ったことはなくても、わたしはずっと前から知っていたのに」


 アイラは拗ねた子供のように唇を尖らせた。


 年齢はリヴィアと同じ。それなのに笑い方も、首を傾ける仕草も、幼いころで時間を止めたように見える。無邪気に見えるその手が、どれほど多くの兵の心を奪ったか、リヴィアは報告で知っている。


「アウレリウスが教えてくれたのよぉ」


 叔父の名を聞いた瞬間、リヴィアの指が剣の柄を強く握った。


「叔父上を呼び捨てにするな」


「でも、あの人は怒らなかったわ」


「叔父上が寛大だっただけです」


「そうねぇ。とても優しかった」


 アイラは嬉しそうに頷いた。


 敵意を向けられるより、その笑顔のほうがリヴィアには耐え難かった。叔父を死なせた戦場にいた者が、懐かしい思い出を自分と分け合うように語っている。


「わたしと同じ年の姪がいるって言ってた。剣を振るんですってねぇ。でも子供だから、戦場には出さないって」


 胸の奥で、古い記憶が揺れた。


 叔父が東部へ発ったころ、リヴィアは五歳だった。


 記憶の中のアウレリウスは、いつも大きすぎる。大股で歩き、声が大きく、笑うと廊下の向こうまで聞こえた。見かけるたびに頭を乱暴に撫でられ、髪が崩れると腹を立てた。


 一度、壁に立てかけてあった叔父の剣へ勝手に触れたことがある。鞘に収まっていても、幼いリヴィアには両手でようやく動かせる重さだった。


『何してやがる』


 背後から声をかけられ、驚いて剣を落としかけた。


 叱られるより先に、叔父の手が剣をつかんだ。次に肩と指を確かめられ、どこも傷ついていないと分かってから、額を軽く弾かれた。


『剣を触るなとは言わん。だが、扱い方を習ってからにしろ。怪我したらどうする』


 勝手に触ったことではなく、怪我をしかけたことを叱られたのだと、成長してから気づいた。


 庭で転んだときも同じだった。泣いてなどいないのに、一番先に駆け寄ってきたのは叔父だった。それから人前で転ぶなと笑われ、腹を立てて追いかけた。


 声の調子も、手の重さも、リヴィアは断片的に覚えている。


 ユリウスには決して持てない記憶だ。


 けれど、叔父が家を離れた後の二年間を、リヴィアは知らない。東部で何を見て、どのように話し、最期にどんな顔をしたのか。目の前の敵だけが、それを知っている。


「叔父上は、私のことをほかに何と?」


 問いが口から出た後で、リヴィアは自分に腹を立てた。敵から家族の思い出を与えられることを、求めてしまった。


 アイラは、それを見透かしたように笑った。


「会わせてやるって。わたしも子供だから、帝国へ連れていくって言ったわぁ。リヴィアは剣を振るけれど、戦場で人を斬るためじゃない。今はまだ強くなる練習をしているんだって」


 その言葉が本当に叔父のものか、確かめる術はない。


 だが、嘘をついているようには見えなかった。アイラにとって、それは大切にしまってきた宝なのだ。


「わたし、びっくりしたの。同じ年なのに、戦わなくていい子がいるなんて知らなかったから」


 リヴィアは返せなかった。


 七歳の自分は、守られた屋敷で木剣を振っていた。できなかった動きができるようになるたび、母に報告し、父に褒められるのを待った。


 同じ七歳のアイラは、敵国の軍を愛の力で狂わせる兵器として、東部の戦場へ置かれていた。


 二人を分けたのは、才能でも、努力でもない。


 子供を子供のまま守る家族がいたかどうかだった。


 それを教えたのがアウレリウスだった。


「叔父上は、あなたを助けようとした」


「そうよぉ」


「帝国へ連れ帰り、生かそうとした」


「ええ」


「ならば、叔父上が守ろうとした命で、なぜ帝国を侵す」


 アイラは不思議そうに瞬いた。


「守ってくれたからよ」


 まるで答えが一つしかない問いをされたような顔だった。


「アウレリウスは、わたしを愛した。だから、わたしを追って戻ってきた。逃げられたのに戻って、わたしのために死んだの」


「違う」


 リヴィアの声が低くなる。


「叔父上は死ぬつもりではなかった。父上が残した軍務記録にも、全員の退路を用意していたとある」


「でも死んだわぁ」


「パルティアの国王が、味方ごと戦場を焼こうとしたからです」


「最後に戻ることを選んだのは、アウレリウスよ」


 アイラは胸元へ両手を重ねた。


「死ぬ直前まで、わたしを見ていた。あのときの愛は、もう誰にも変えられないでしょう? 死んだ人は、離れていかないもの」


 その笑顔を見て、リヴィアはようやく理解した。


 叔父が救った七歳の少女は、確かに目の前の女の内側にいる。飢え、怯え、同じ年の子供が守られていると知って驚いた少女が、今も残っている。


 けれど、その子供が抱いた誤解を、誰かが長い年月をかけて育てた。


 愛は戻ること。


 愛は逃がさないこと。


 死ねば、その者の愛を永遠に自分のものにできること。


 だからアイラにとって、叔父の最期は喪失ではない。所有の始まりなのだ。


「叔父上は、あなたのものではない」


「そうかしらぁ」


「兄がいて、義姉がいて、姪がいた。帰る場所があった。叔父上は私たちを残すために死を選んだのではありません。あなたも、兵も、自分も、全員で帰ろうとした」


 アイラの笑みが、わずかに深くなった。


「あなた、アウレリウスと同じことを言うのね」


 背後で、休戦の終わりを告げる角笛が鳴った。


 アイラは馬首を返す。


「ねえ、リヴィア。知りたい?」


「何を」


「あの人が、どうやってわたしの軍を壊したのか。どうして、敵だったわたしに食事をさせたのか。最後まで、どうして自分も帰れると思っていたのか」


 振り返った横顔から、無邪気な笑みが消えた。


 そこに一瞬だけ浮かんだのは、戦場で泣いていた七歳の少女の目だった。


「わたしは、ぜんぶ覚えているわぁ」


 次の角笛とともに、両軍が動き始めた。


 その角笛の余韻へ重なるように、十五年前の戦場でも角笛が鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。