第27話 十五歳の選択
十五歳を迎えた朝、ユリウスは姉に地面へ転がされた。
「成人、おめでとう」
訓練場の土を見下ろし、リヴィアが涼しい顔で言う。
「祝い方が間違っていませんか」
「十五歳になった瞬間、急に強くなると思った?」
「思っていません」
「なら立ちなさい。成人の儀に遅れるわよ」
差し出された手を取り、ユリウスは起き上がった。
帝国では、十五歳で法的に成人する。
婚姻を結べる。正式な軍務へ就ける。家督を継ぐこともできる。
だが身体も判断も、日付が変わっただけで完成するわけではない。姉の木剣が、朝一番にそれを教えてくれた。
「姉上が成人した日も、誰かに転がされたんですか」
「父上にね」
「カルディス家の伝統ですか」
「いま作ったから、次からは伝統よ」
リヴィアは笑い、弟の肩についた土を払った。
「今日の選択も、今日だけで完成するものではないわ。選んだあと、毎日選び続けるの」
その視線の先には、婚姻のために整えられた衣装が運ばれていた。
成人の儀を終えたのち、ユリウスはマルクスの執務室へ呼ばれた。
父は祝福の言葉を述べ、それから机上へ一枚の文書を置いた。婚姻後の立場と権利、両家の取り決めをまとめたものだ。
「もう一度だけ確かめる」
マルクスは言った。
「婚姻を延期することはできる」
ユリウスは父を見た。
「エレナの病が治るまで、ですか」
「治療が可能かを見定めるまでだ。成功すれば、おまえの政治的な条件も変わる。失敗したとしても、時間を置いて考え直すことはできる」
かつて婚約によって息子の道を閉ざした本人が、いま延期を提案している。
年月の間に、マルクスは二人の研究を見てきた。歴代の術師が見つけられなかった答えへ、わずかずつ近づこうとする姿も知った。治療は不可能だという判断を変えるほどの成果は、まだない。
それでも、息子が政治上の意味も知らずに婚姻する子供ではなくなったことは分かっていた。
「婚約を命じたことへの反発で、急いでいるのではないな」
「違います」
「当主にならぬことを、軽く考えているのでもないな」
「はい」
ユリウスは、父の問いを一つずつ受け止めた。
「治療は続けます。治る可能性も捨てません。でも、治らなければ結婚しないというのなら、私が選ぶのはエレナではなく、治ったエレナです」
文書へ手を置く。
「私が今日、妻にしたいのは、いまの彼女です」
マルクスは長く黙った。
息子から選ぶ道を奪ったのは自分だ。それでも、狭められた道の中で何を選ぶかまで、永遠に父が決めてよいわけではない。
「分かった」
ようやく頷く。
「ならば、選んだ結果を二人で背負え。一人で背負ったつもりになるな」
「はい、父上」
同じころ、エレナも家族に囲まれていた。
婚礼の衣装を整えるだけで、いつもより多く体力を使う。途中で何度か椅子へ座り、治癒術師に魔力核の状態を確かめてもらった。
母はそのたびに、延期しても誰も責めないと言った。
父は、体調だけでなく心が迷っているなら、いまでも断れると伝えた。
エレナは家族が、成立した縁談を失うことより、自分の選択を守ろうとしていると知っていた。
「迷っていません」
鏡の中の自分へも聞かせるように言った。
「初めは、家と治療のために受け入れました。けれど今日は、私があの方と生きたいから参ります」
魔力不全症は治っていない。
精霊との契約もできないままだ。
婚姻によってユリウスが当主候補から外れるという見方も、何一つ変わっていない。
だからこそ、この日を待たずに治療結果を求めなかったことには意味があった。
婚姻の場には、両家の者と必要な証人が揃った。
華やかな祝福の奥で、政治を読む者たちは別のものを見ている。
リヴィアへの継承が固まった。
第二子派の可能性は閉じた。
ネルヴィア家は全知の知識を得た。
カルディス家は分裂を避けた。
どれも間違いではない。
しかし、二人が向かい合ったとき、それらの計算は少し遠くなった。
ユリウスはエレナの顔色を確かめる。エレナはそれに気づき、心配はいらないというように小さく頷いた。
婚姻の意思を問われ、ユリウスは明瞭に答えた。
「望みます」
エレナも続く。
「私の意思で、お受けします」
誓いの言葉には、病の治療も、将来の子の魔力も、当主の座も含まれていない。
互いを夫と妻に選び、支え、共に生きる。
それだけだった。
それだけのことを、二人は両家の決定から始まった関係へ、自分たちの意思で加えた。
儀礼が終わり、人々の祝福が続く。
長く立っていたエレナの指がわずかに震えた。ユリウスはすぐに腕を差し出したが、抱き上げるようなことはせず、彼女が自分で掴むのを待った。
エレナはその腕を取る。
「無理をしていませんか」
「少し疲れました」
以前なら、大丈夫ですと答えていた。
正直な言葉に、ユリウスは安心した。
「では、休みましょう」
「皆様へのご挨拶が残っています」
「二人で選んだ婚姻なら、休むことも二人で決めます」
エレナは笑った。
彼女が休む部屋まで、ユリウスは歩調を合わせた。廊下の途中で、リヴィアとすれ違う。
姉は二人の姿を見て、満足そうに頷いた。
「毎日選び続けなさい」
「姉上は、祝いの言葉が難しすぎます」
「簡単な祝いは、ほかの人から十分もらったでしょう」
エレナが不思議そうに二人を見る。
ユリウスは朝の訓練について説明し、彼女は珍しく声を立てて笑った。
夜、ようやく二人だけになると、ユリウスはひどく緊張した。
何年も隣で研究してきた相手なのに、妻という一語が加わっただけで、どこを見ればよいか分からない。
「エレナ」
呼ぶと、彼女はゆっくり振り向いた。
「はい」
「今日、結婚してくれて、ありがとうございます」
「こちらこそ」
エレナは彼の手へ自分の手を重ねた。
「明日からも、よろしくお願いいたします。夫としても、共同研究者としても」
ユリウスは笑った。
治る保証のない病は、二人の間に残っている。
それでも十五歳の彼は、答えが出るまで人生を保留にはしなかった。
選んだ今日を、明日も選び直すために、彼女の手を握り返した。




