↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
全知の精霊は王冠の行方を知らない  作者: Tatsumaru


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/57

第22話 義務という距離

 最初の訪問に、ユリウスは本を七冊持っていった。


 多すぎる、とリヴィアには言われた。


 婚約者へ会いに行くのだから花の一つでも持てばよい、と母には言われた。


 だが花を渡して、会いたかったと口にする自分を想像しただけで、婚約発表の日の熱が顔へ戻ってきた。医学書なら、少なくとも手渡す理由を説明できる。


 ネルヴィア家の客間で、エレナは七冊の山を見つめた。


「すべて、私のために?」


「はい。こちらは魔力核に関する古い記録です。これは治癒魔法が効きにくい症例の一覧で、こちらには地球の――いえ、全知の精霊から得た、別の観点をまとめました」


 危うく、説明できない言葉を出すところだった。


 エレナは気づかなかったらしく、一冊ずつ慎重に表紙を確かめた。


「ずいぶんお調べになったのですね」


「婚約者として、当然のことです」


 答えた瞬間、ユリウスは間違えた気がした。


 本当は、婚約する前から気になっていた。彼女があの日拾った記録の続きを知りたかったし、何より、もう一度話したかった。


 けれどエレナは、納得したように微笑んだ。


「ありがとうございます。殿下は、とても誠実な方なのですね」


 その声に喜びが足りない理由を、ユリウスは読み取れなかった。


 二人の間には、客を迎えるための広い卓があった。


 向かい合って座るには立派で、婚約者同士が近づくには広すぎる。エレナの家族は二人きりにしない配慮から侍女と術師を残し、ユリウスの側にも従者が控えていた。


「最近、動悸が起こる時間に変化はありますか」


 結局、ユリウスが最初に尋ねたのは病状だった。


「夜に多いのは変わりません。ですが、気温が高い日は、午前にも起こることがあります」


「食事との関係は」


「まだ分かりません。記録はこちらに」


 帳面を受け取り、ユリウスは夢中になって頁を繰った。


 細かな字で、その日の体調、食事、睡眠、使った薬、感情の変化まで記されている。彼が全知へ問いを立てるより前に、エレナは自分の身体へ何年も問い続けていたのだ。


「すごい」


 思わず声が漏れた。


「これだけ条件が揃っていれば、変化を比べられます。術師の診察記録だけでは、診察のない時間が抜けてしまう。あなたにしか残せない情報です」


 エレナは目を瞬いた。


 これまで帳面を見た者は、几帳面だと褒めるか、病に囚われすぎていると案じた。自分にしか作れない記録だと言われたのは初めてだった。


「お役に立つでしょうか」


「もちろんです。少なくとも、僕が同じことを最初から調べ直す必要がなくなります」


 ユリウスは顔を上げた。


「あの、次も見せてもらえますか」


「殿下が必要とされるなら」


 必要だ。会うためにも、研究のためにも。


 だが彼が口にできたのは、研究のほうだけだった。


 それからユリウスは、何度もネルヴィア家へ通った。


 病状の確認。


 魔力核の研究。


 医学書の貸借。


 婚約者としての定期的な挨拶。


 訪問のたびに、彼は立派な理由を用意した。理由が立派になるほど、本当の気持ちはその陰へ隠れた。


「この記録について伺いたくて」


「承知しました」


「新しい比較結果が出ました」


「ありがとうございます」


「次の儀礼で必要になる書式を持ってきました」


「ご足労をおかけしました」


 会話は穏やかで、いつも礼儀正しかった。


 エレナは、ユリウスが婚約発表の場で蹲った姿を忘れられずにいた。


 彼は自分との婚約で家督候補から外された。そのうえネルヴィア家は、全知の力で病を治せるかもしれないと期待している。本人が望まぬ婚約を押しつけただけでなく、歴代の術師にもできなかったことへの責任まで負わせているのだ。


 それなのにユリウスは、一度も不満を言わない。


 本を探し、記録を読み、毎回明るい顔で訪れる。


 その誠実さを、自分への好意と取り違えてはいけないと、エレナは繰り返し言い聞かせた。


 彼が見つめているのは、自分ではなく病気だ。


 そう思えば、期待せずに済む。


 一方のユリウスは、エレナの静かな態度を、病を抱えながら周囲へ気遣いを忘れない強さだと思っていた。


 本当は、研究以外のことも知りたかった。


 何を見れば笑うのか。研究をしない日は何をして過ごすのか。幼い日の中庭を、彼女も覚えているのか。


 だが、問いを口にするたび、別の問いへすり替わった。


「この薬を使った日は、眠りやすかったですか」


「はい。ただ翌朝は、普段より身体が重く感じました」


「では、量を減らした記録と比較しましょう」


 金色の瞳が二人の間へ浮かび、既存の症例や薬草の性質を告げる。


 全知の精霊は、記録にある事実をいくらでも示した。


 エレナが彼をどう思っているかは、教えなかった。


 ユリウス自身が何を言えばよいかも、教えてはくれなかった。


 ある日、エレナは会話の途中で小さく息を乱した。


 すぐに平静を装ったが、指先が震えている。


「今日は、ここまでにしましょう」


 ユリウスは本を閉じた。


「まだ予定の半分ですが」


「残りは次にできます。身体のほうが大切です」


 彼は本気で心配していた。


 エレナには、その心配さえ、課された責任を果たそうとする真面目さに見えた。


「私のために、毎回これほど時間をお使いにならなくてもよいのです」


「でも、僕は来たくて――」


 そこまで言い、ユリウスは固まった。


 来たくて来ている。


 ほんの少し先まで言えばよかった。


 けれどエレナが苦しそうに胸へ手を置くのを見て、言葉を飲み込む。自分が会いたいからと、彼女へ無理をさせてよいはずがない。


「研究は、途中で投げ出しません」


 また別の言葉へ逃げた。


「ですが、訪問の間隔は考えます。記録は使者に託していただければ」


 エレナは胸の奥が沈むのを感じた。


 彼は、直接会わずとも果たせる義務へ変えようとしている。それを望んだのは自分のはずなのに、安堵できなかった。


「ご配慮に感謝いたします」


 丁寧に頭を下げる。


 ユリウスも、落胆を隠して礼を返した。


 二人の間には、最後まで広い卓があった。


 義務という名の橋を何度も渡りながら、互いに近づきたい気持ちだけは、その両端に置き去りにされていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。