第17話 英雄と未熟者
「第1級の指揮官を討った」
マルクスは、ユリウスの肩から手を離して言った。
「あの一体が残っていれば、救援が間に合っても被害はさらに広がっていた。おまえが成し遂げたことだ。そこは誇ってよい」
褒められるとは思っていなかった。
ユリウスが顔を上げると、父は荒れた戦場を背に立っていた。その外套にも鎧にも、魔獣の血と土がこびりついている。
「はい」
返事はひどく小さくなった。
「では、問う」
父の声が変わる。
「おまえが魔力を使い切ったあと、誰が兵を守るはずだった」
答えは、どこにもなかった。
全知の精霊へ尋ねるまでもない。そんな者を、ユリウスは残していなかった。
「……誰も、いませんでした」
「なぜだ」
「倒せば終わると思ったからです」
「なぜ、そう思った」
「通常は、指揮官が一体だからです。目の前の個体が指揮官であることも、弱点も確かめました。でも、全部で何体いるかは確かめなかった。例外を知っていたのに、考えませんでした」
マルクスは黙って続きを待った。
父は答えを口へ入れてくれない。自分で言葉にしなければならない。
「正しい答えを得れば、正しい判断ができると思っていました。けれど、私が立てた問いが足りなければ、答えが正しくても足りません。それに……一番強い攻撃ができることと、戦場に勝てることは同じではなかった」
「そうだ」
短い肯定が、叱責より重かった。
「おまえの魔力量は私より多い。得られる知識も、私には望めぬものだ。だからこそ、それをすべて使う前に考えろ。力を残すことは、力を出し惜しむことではない。自分が倒れたあとも人を生かすための備えだ」
マルクスは負傷者が運ばれていく方へ目を向けた。
「指揮官は、勝ったときだけ兵の前に立つ者ではない」
ユリウスも同じ方を見る。
治癒術師が到着し、布の上へ負傷者が並べられていた。腕を失いかけた者には王族の術師がつき、軽傷者は互いの傷を押さえて順番を待っている。そのさらに向こうには、もう治療を待たない者たちが横たえられていた。
戦いの最中、ユリウスを後ろへ押しやった兵の靴が見えた。
顔まで確かめる勇気が出ない。それでも、見なければならなかった。
一歩踏み出すと、父は止めなかった。
布のそばで膝をつき、ユリウスは頭を下げた。何を言っても自分のための言葉になる気がして、謝罪すら口にできない。
金色の瞳が隣に浮かんだ。
「この人が死んだのは、僕のせいか」
思わず漏れた問いに、精霊は答えなかった。
誰の責任かは、地面に埋まっている事実ではない。人の判断と意味づけの中にある。問いを細かくすれば、爪を振るった魔獣も、崩れた隊列も、救援までの時間も知ることはできるだろう。だが、そのすべてを並べても、責任という一語にはならない。
「逃げるために、精霊へ聞くな」
背後から父が言った。
「背負うべきものは背負え。ただし、背負えば死者が戻ると思い上がるな。残った者のために、次を変えろ」
ユリウスは顔を上げた。
「死者を数だけで覚えるな。だが、数えることからも逃げるな。誰が帰らず、誰が傷を負ったのかを記録しろ。それが次の備えになる」
父の言葉は、悼むことと指揮することのどちらも捨てさせなかった。
治癒術師の数、運び出せる荷車、避難先の空き、必要な薬。母が整えた支援が、報告書の形で次々と届いていた。姉が編成した追加部隊も街道へ入ったという。
自分一人の力ではないものが、戦いのあとまで人を支えている。
「はい」
今度は、先ほどよりはっきりと答えた。
帝都へ戻るまで、ユリウスは死傷者の報告に目を通し続けた。
全知へ一度に問えば、もっと早く総数を知れたかもしれない。しかし、重ねられた報告には、数字だけではないものがあった。どの隊が誰を運び、誰が最後まで門を守り、どの治癒術師が何を施したか。人の働きが一行ずつ残されている。
それを読み終える前に、英雄の物語は彼より先に帝都へ着いていた。
城門へ近づくと、街道の両側に人が集まっていた。
「第1級を討った殿下だ!」
「帝国を救ったぞ!」
歓声が降ってくる。
ユリウスは馬上で身を固くした。彼らが嘘を叫んでいるわけではない。最も強力な指揮官を討ったのは事実で、その戦果が多くの命を救ったことも父に認められた。
それでも、自分だけを称える声の間から、布をかけられた兵の靴が見える気がした。
王家の門前では、リヴィアが待っていた。
いつものように背筋を伸ばしていたが、ユリウスが馬を降りると、彼女は礼も忘れて駆け寄った。両肩を掴み、顔、腕、脚へ視線を走らせる。
「姉上、僕は――」
「帰ったのね」
その一言だけで、彼女の指から力が抜けた。
だが次の瞬間、額を小突かれた。
「次に全部使い切ったら、私が殴る分まで父上に残しておきなさい」
「それは魔力を残しても防げない気がする」
「よく分かっているわ」
笑いかけたリヴィアの目は赤かった。
家の中では、別の戦いが始まっていた。
ある家臣は、ユリウスを幼くして大功を立てた天才と呼んだ。別の家臣は、定石しか見ず兵を危険にさらした未熟者と呼んだ。第二子派は討伐の部分だけを広め、長子派は救援までに生じた損害を重く語った。
どちらも事実の一部を使っていた。
王院でも、称賛と処分を求める声が同時に上がった。まだ正式な軍務に就けぬ子供が第1級の指揮官を討ったことは、栄誉にも危険にも見える。
「殿下を正式な後継候補として遇するべきです」
家臣の一人がそう進言した夜、マルクスは長いこと返事をしなかった。
弟アウレリウスが自分へ当主席を譲ったのではないか。その疑念を、彼は今も捨てられずにいる。だからこそ、子供たちに同じ痛みを繰り返させたくなかった。
だが、放っておけば周囲が二人を争わせる。
マルクスは卓上の文書を閉じた。
「第九家へ使者を出す」
家臣が息を呑む。
新たに開かれた資料の表紙には、ネルヴィア王家の名があった。
その下に記された一人の娘の名を、マルクスは指先で覆った。
戦場で息子を救った父は今、当主として、その息子から当主への道を取り上げようとしていた。




