第13話 門の外の侵攻
最初の鐘を、ユリウスは荷車の車輪が立てた音だと思った。
二度目は長く、三度目は短く二つ。
町の門をくぐろうとしていた人々が、一斉に振り返った。
「ダンジョンの警鐘だ!」
誰かが叫んだ。
ユリウスは馬車の窓から身を乗り出した。町の外、低い丘の向こうにあるダンジョンの方角から、鳥の群れが黒い雲のように飛び立っている。街道を歩いていた者たちが異変に気づき、門へ向かって走り始めた。
今日は孤児院の事業で使う別の作業場所と、報告を運ぶ経路を確かめに来ただけだった。護衛はいるが、軍を率いてきたわけではない。
それでも、この場で最も強い魔力を持つのはユリウスだった。
「門の守備責任者はどこ?」
御者へ尋ねるより先に、護衛の騎士が馬から降りた。
「詰所へ走らせます。殿下は町の内側へ」
「外に人が残っている」
「だからこそ、殿下が門外に留まるわけにはまいりません」
正しい言葉だった。王族を守るのは護衛の役目だ。
だが街道には、仕事を終えて戻る孤児院の年長者たちもいた。まだユリウスの強化は施していない。ほかにも農具を担いだ者、幼い子を抱いた者、荷車を捨てられず押し続ける者がいる。
彼らの後方、丘の稜線に獣の影が一つ現れた。
続いて二つ、十、数えきれないほど。
通常なら内部から出ないはずの魔獣が、斜面を黒く埋めていた。
「侵攻だ……」
護衛の声が掠れた。
門前の人波が崩れた。先へ進もうとする者が押し合い、倒れた者を後ろから来た者が踏みかける。門兵が叫んでも、恐怖に飲まれた耳へは届かない。
「全知。門前で転んでいる人は何人?」
『確認できる情報では七。変動中』
「門の右側に、荷車を除けられる空き地はある?」
『ある。現在、障害物なし』
ユリウスは馬車の屋根へ上った。
「荷車は右へ! 人は左から門へ入って! 荷は捨てても、あとで取りに戻れます!」
一度では届かない。彼は魔力を込め、門兵の一人へ同じ情報を知らせた。頭の内へ直接届いた命令に男が目を見開き、すぐ声を張り上げる。
「荷車は右だ! 歩ける者は左を通れ! 倒れた者を起こせ!」
別の兵にも知らせる。声が増え、人の流れが二つに分かれた。
散らばっていた守備隊も集まり始める。責任者の騎士は状況を見てユリウスの前へ駆け、膝をついた。
門の脇では、孤児院の少年が転んだ老人を背負っていた。強化のない細い脚が震えている。ユリウスと目が合うと、少年は助けを求める代わりに顎で門を示した。
「先にこの人を入れる。俺たちは戻れって、みんなに言ってくれ」
「分かった。中へ入ったら、絶対に外へ戻らないで」
少年は一度だけ頷き、老人を背負い直した。
「殿下、内壁までお下がりください。門外の者を収容次第、門を閉じます」
「間に合う?」
騎士は答えなかった。
丘を下る魔獣は速い。最後尾の人々が門へ着く前に追いつく。
「守備隊は何人?」
「即応できる者が六十余。ほかは招集中です」
「第2級は?」
「私を含めて三名」
「第1級は」
「殿下だけです」
騎士の顔に、その事実への希望と恐怖が同時に浮かんだ。
ユリウスは七歳だ。正式な軍務につく年齢ではない。だが第1級がいるかいないかで、平民の軍団は別のものになる。
「外へ出ます」
「なりません」
「私が強化すれば、あの人たちを収容する時間を作れる」
「殿下に何かあれば、町一つでは済まぬ責任が――」
「町の人が死んでも、責任は残るでしょう」
王族だから決めてよいという感覚と、目の前の人を置いていけない気持ちが、ユリウスの中で同じ結論を出していた。
「命令します。門前に防衛線を作ってください」
騎士は歯を食いしばった。拒めば時間を失う。最後には頭を下げた。
「承知しました。ですが殿下は、必ず我々の後ろに」
門の外で盾が並んだ。
ユリウスは一人ずつではなく、隊列全体へ魔力を広げる。第1級の身体強化が鎧の上を覆い、兵たちの足元を固め、腕へ力を満たした。恐怖そのものは消えない。それでも、自分の盾が魔獣の牙に耐えると身体が理解し、崩れかけていた呼吸が揃っていく。
「接触まで、あとどれくらいだ」
守備隊の騎士が監視役へ問う。
「わずかです!」
ユリウスは全知へ問いを重ねた。先頭の魔獣の特徴。既存の討伐記録。硬い部位、攻撃の癖、避けるべき毒。得た情報を騎士たちへ知らせ、槍の向きと隊列の間隔を変えさせる。
黒い波が街道へ達した。
「構え!」
最初の衝突で、地面が揺れた。
獣の群れが盾へぶつかる。普通なら人ごと吹き飛ばす勢いを、第1級の強化を受けた兵たちが受け止めた。槍が盾の隙間から伸び、牙を避け、首や腹へ突き刺さる。
ユリウスは後方から爆発を起こし、密集した魔獣を崩した。倒し切るより、足を止めることを優先する。孤児たちとの試行で、余裕があるうちに退くと決めたことを思い出していた。
「最後尾、門へ入りました!」
報告が飛ぶ。
「前列から順に下がって!」
防衛線は崩れず、一歩ずつ門へ近づいた。
このまま閉門できる。そう思ったとき、魔獣の波が左右へ割れた。
丘の向こうから、ほかの獣の何倍もある影が歩いてくる。
黒い外殻を幾重にも重ね、頭部から伸びた角が地面を抉っていた。周囲の魔獣はその歩みに合わせ、無秩序だった群れを二つに分けて門へ回り込もうとする。
「あれが、率いている」
騎士の声が震えた。
巨大な魔獣が顔を上げた。
離れていても皮膚を刺すほどの魔力が放たれる。強化された兵たちの盾が、まだ触れてもいないのに軋んだ。
脅威階級第1級。
あれを倒せる第1級は、この場にユリウスしかいない。
金色の瞳が、巨大な影へ向きを変えた。
ユリウスは、最も必要だと思った問いを口にした。
「あの魔獣は、この侵攻の指揮官?」
『是』
正しい答えが返った。
ユリウスはその一語を信じ、門から離れる方向へ一歩を踏み出した。




