第三話「バンブーコプター」
一
城は、小さかった。
山の斜面に張り付くように建てられた、石垣と木の壁でできた城。天守と呼べるほどのものはなく、本丸と二の丸と、いくつかの蔵と兵舎が固まっているだけだった。だがその小ささが、野火 太一には逆に安心感をもたらした。見渡せる。把握できる。
城主は、矢島 玄蕃という五十がらみの男だった。
痩せた、目の鋭い男だった。野火 太一たちを初めて見た時、その目が順番に全員を品定めした。武の巨体で少し目を止め、須根 夫介の目の鋭さで眉を上げ、静香の所作の美しさで一瞬表情を和らげ——ニャえもんで、止まった。
「妖か」玄蕃は言った。
「違います。我々の仲間です」野火 太一はすぐに言った。
玄蕃はニャえもんをしばらく見た。ニャえもんは動かなかった。ただまっすぐに玄蕃を見返した。怯えも敵意もない、静かな目だった。
「……面白い」玄蕃は言った。「入れ」
城の中に、条件があった。武は食事の時に歌うこと。須根 夫介は玄蕃の参謀として情報整理を手伝うこと。静香は城内の女たちとともに働くこと。野火 太一は雑用全般。ニャえもんは見張り台に立つこと。
「役に立てるならいい」とニャえもんは言った。
二
城での生活は、奇妙な安定をもたらした。
毎朝、野火 太一は見張り台にのぼってニャえもんに声をかけた。ニャえもんはいつも「変わりない」と言った。それだけで、野火 太一は安心した。
五日目の朝のことだった。
水汲みから戻ると、見張り台の下に子供たちが集まっていた。七、八人。一番小さい子は四歳か五歳くらいだった。
「ニャえもん」野火 太一は見上げた。「道具を出したのか」
短い沈黙があった。
「少し確認していた」ニャえもんは言った。「何も使っていない」
野火 太一は梯子を登った。
三
見張り台は狭かった。二人が並ぶと、ほとんど余裕がなかった。
「何を確認していた」野火 太一は小声で聞いた。
「バンブーコプター」
野火 太一は黙った。
「使っていない。ただ、見ていた」ニャえもんは言った。「夜、一人でいると考えてしまう。空を飛べるとはどういうことか。飛ぶことが、どういうことか、わかってみたい」
「怖いか、夜は」
「……ある気がする」ニャえもんは言った。「忘れることが怖い。わたしには記憶がない。夜、誰もいない時に——本当にわたしはわたしなのかと、わからなくなる」
「俺が毎朝声をかけるのは」野火 太一は言った。「水を汲む前に来たいからじゃない」
「知ってる」ニャえもんは言った。「……ありがとう」
下で、子供が転んで泣いていた。ニャえもんが梯子に手をかけた。
「大丈夫だ」ニャえもんは言った。「こういうことは、わかる」
ニャえもんが降りると、子供たちが集まってきた。
「道具が入ってるの?見せて」
「見せない。よくわからないものが入っている」
「よくわからないって何」
ニャえもんが野火 太一を見た。野火 太一は首を横に振った。
「今日は見せない」ニャえもんは言った。「いつかな」
子供がふくれた。それを見てニャえもんが、ふっと、何かが抜けたような顔をした。野火 太一は思った。ニャえもん、子供が好きなんだな、と。
四
七日目の夕だった。
武が広間で歌っている時間に、野火 太一は井戸へ水を汲みに行った。引き上げながら、ふと気づいた。見張り台に、ニャえもんがいない。
厩の裏から子供の声が聞こえた。
「すごい!ほんとに出てきた!」
桶を落とした。水がこぼれた。気にしなかった。走った。
厩の裏に、子供が四人と、ニャえもんがいた。ニャえもんの手のひらの上に、バンブーコプターが乗っていた。
「きれい!飛べるやつ?」
「飛べる。わたしは」
「つけて!」
「つけない。人間が使えるかどうか、まだわかっていない」
野火 太一が走り込んだ。「ニャえもん、しまって」
「……子供たちが見たいと言うから。使わせるつもりはない」
「わかってる。でも、しまってくれ」
子供がふくれた。「見せてくれるって言ったじゃないか」
「見るだけなら」野火 太一は言った。「触らないし、つけない。それが約束なら」
「わかった」
ニャえもんがバンブーコプターを子供たちに差し出した。子供たちが身を乗り出した。一番小さい子が手を伸ばした。
「触らない」野火 太一は即座に言った。
「なんで」
「わからないから」ニャえもんは静かに言った。「よくわからないものを頭につけるのは危ない」
子供たちが散り散りに去った後、ニャえもんと野火 太一だけが残った。
「持ち出したのは、子供に喜んでほしかったからか」
「……そうだ」
「俺も同じことをやるかもしれない」野火 太一は言った。「だから責めない。ただ——出す前に俺を呼んでほしい。一緒にいる。それだけでいい」
「わかった」
五
翌朝、野火 太一は須根 夫介に昨夜の話をした。
須根 夫介はすべてを聞き終えて、しばらく目を閉じた。
「バンブーコプターは、ニャえもんから物理的に切り離せない、ということか」
「そう思う。試しに蔵に埋めてみるつもりだが、戻ってくるかもしれない」
「だとすれば」須根 夫介は言った。「ニャえもん自身が内側から使わせないと決めることが、一番強い制約だ。ただし今の『よくわからないから』という理由は、いつか揺らぐ。もっと強い動機が必要だ」
「どんな」
「ニャえもんが一番大切にしているものを守るために、という動機だ」須根 夫介は言った。「それが何かは——お前が言った方がいい」
その夕方、野火 太一は見張り台でニャえもんに聞いた。
「ニャえもんが一番怖いことって、何だ」
「誰かが傷つくこと。わたしのせいで」ニャえもんは言った。少し間があった。「……お前がいなくなること」
「俺が?」
「お前が来なくなったら、毎朝誰も来なくなる。そうなったら——またわたしがわたしかどうかわからなくなる」
「バンブーコプターを誰かに使わせて、もし何か悪いことが起きたら」野火 太一はゆっくりと言った。「俺は、ニャえもんのそばにいられなくなるかもしれない」
ニャえもんは長い時間、動かなかった。
「……怖い」小さな声で言った。「それは、怖い」
「だから」野火 太一は言った。「使わせないことは、俺のためでもある。俺とニャえもんが一緒にいるために」
「わかった」ニャえもんは言った。「使わせない。何があっても。約束だ」
六
二人で丘から城に戻る途中、野火 太一は言った。
「バンブーコプターを、俺が預かりたい。ニャえもんの体から取り出せるか試してみたい」
「試してみる」
ニャえもんが収納庫からバンブーコプターを取り出した。野火 太一が両手で受け取った。一分が過ぎた。五分が過ぎた。
「戻ってこない」ニャえもんは言った。驚いたように。
「俺が持っておく」
「……頼む」
野火 太一はバンブーコプターを懐にしまい、その日の昼、城の蔵の床板の下に埋めた。
三日間は大丈夫だった。十日目の夜、バンブーコプターは蔵から消えて、ニャえもんの胸の収納庫に戻っていた。道具というのは、そういうものだった。
七
それから七日間、バンブーコプターは使われなかった。
七日間、野火 太一とニャえもんは毎朝、見張り台で並んだ。武は歌い、須根 夫介は計算し、静香は女たちとともに働いた。
十七日目の朝、須根 夫介が言った。
「動く時が来た。信長の軍が、この城を目標に動いている。勝ち目はない。われわれはここを出る必要がある」
その日の午後、五人は城を出た。
玄蕃は門のところでニャえもんを見て、「また来い」とだけ言った。
子供の小四郎が走ってきた。
「ニャえもん、行くの?」
「行く」
「また来る?」
「わからない。でも、覚えている」
「俺のことを?」
「お前が笑った顔を」
小四郎が泣き出した。ニャえもんがしゃがんで、頭に手を置いた。
「泣くな」
「だって」
「元気でいろ」
小四郎がこくりと頷いた。ニャえもんが立ち上がった。
「行こう」野火 太一は言った。
「ああ」
五人は歩き始めた。ニャえもんの胸の収納庫の中に、バンブーコプターは眠っていた。誰も、その本当の危険を知らないまま。知らないまま、歩いた。そして——知らないまま、あの夜を迎えることになる。
第三話「バンブーコプター」 了
バンブーコプターについて補足する。本来この道具は、頭に装着するとプロペラが回転して空を飛べるはずのものだった。ニャえもんはこれを使って飛べる。人間が使えるかどうかは、この時点でまだ誰も知らなかった。知らないことが、どれほどの意味を持つかについても、当然ながら、誰も知らなかった。開発者はこの欠陥に気づいていたのか、いなかったのか。気づいていたとすれば悪意であり、気づいていなかったとすれば過失である。どちらにせよ、結果は同じだった。




