第十四話「歌と鉄砲」
一
信長が動いたのは、翌朝だった。
夜明けとともに、南の旗が動き始めた。止まっていた軍が、また動き出した。
鉄の鳥はなかった。野原に並んだ五機は、動かなかった。Davidたちが離れた以上、誰も動かせなかった。だが信長の地上軍は、それでも来た。
「多い」武が隣で言った。
「多い」須根 夫介は言った。「これに、M16とグレネードが混じっている」
「勝てるか」
「わからない」
「正直だな」
「嘘をついても意味がない」
玄斎が出てきた。城壁に上がり、南の方向を見た。何も言わなかった。しばらく見て、降りた。
「戦う」玄斎は言った。それだけだった。
二
「俺は、どこで歌う」武は言った。
「戦場で歌うつもりか」須根 夫介は言った。
「そのつもりだ。ただ——どこで歌えば、一番届くかを考えたい。信長の兵に届けたい」
「信長の兵に歌って、どうする」源七郎が言った。
「立ち止まらせたい。一人でも、立ち止まれば——その一人の後ろにいる人間も、少し躊躇うかもしれない。その一瞬で、こちらの兵が動ける場面があるかもしれない」
「どこで歌う」須根 夫介は言った。
「両軍の間に出る」武は言った。
「それは死にに行くことだ」
「そうなるかもしれない。でも、声を届けるには近くなければならない」
「東の山の上から歌えば」須根 夫介は言った。「地形が声を反響させる。山の上からなら、遠くても届く可能性がある」
「届いても、戦場の音でかき消されるか」
「かき消されるかもしれない。でも、音の合間に届く瞬間がある。銃声と銃声の間。剣と剣の間。その瞬間を狙う」
「山の上で歌う。それでいい」武は言った。
「源七郎殿、護衛をお願いできますか」
「引き受ける」源七郎は言った。
三
軍が動いた。玄斎の軍が中央に布陣した。武次郎の軍が東の山側に展開した。
須根 夫介は城の高い場所から全体を見た。ニャえもんは東の山の入り口付近に向かった。武と源七郎は、東の山を登り始めた。
信長の軍が近づいてきた。先頭に、足軽の集団。その後ろに、現代兵器を持つ者たち。M16を抱えた人間が、戦国の兵士に混じって歩いていた。
須根 夫介は見た。違和感があった。現代兵器を持つ者が、前ではなく、中程にいた。前に出していない。なぜか。Davidたちが離れた後、信長の軍の中で何かが変わったか。あるいは——信長が、現代兵器を温存しているか。
両軍がぶつかった。戦が始まった。
四
武は山の上にいた。源七郎と二人で、山の中腹まで登っていた。
下を見た。戦場が見えた。玄斎の軍と信長の軍が、押し合っていた。旗が揺れた。叫びが聞こえた。
「聞こえるか」武は源七郎に言った。
「聞こえる。だが、戦の音が大きい」
「それでも歌う」
武は立った。山の中腹から、戦場を見下ろした。怖かった。倒れた人間が見えた。武は目を逸らしたかった。逸らさなかった。見た。その上で、歌い始めた。
最初は、戦の音に飲み込まれた。武の声は、山の木々の間で消えた。下に届いていなかった。武は声を大きくした。のどが痛かった。それでも大きくした。
その時、一瞬の静寂があった。戦場のどこかで、銃声が途絶えた瞬間があった。その一瞬に、武の声が滑り込んだ。
戦場の端にいた兵士が、顔を上げた。何かが聞こえた、という顔だった。でもすぐにまた、戦の音が戻った。武は歌い続けた。
五
ニャえもんは東の山の入り口にいた。煙幕の球体を手に持って、待っていた。信長の軍の一部が、山の方に動き始めた。玄斎の軍の側面を突こうとしていた。ニャえもんは球体を押した。
白い霧が噴き出した。一面が白くなった。
「なんだ」「見えない」「罠か」「待て、前に進むな」
混乱が起きた。ニャえもんは霧の中に入った。見えなかった。でもニャえもんには、音でわかった。兵士たちが、どこにいるかが。
ニャえもんは兵士たちの間を歩いた。触れなかった。ただ、歩いた。兵士たちは、ニャえもんの気配を感じた。赤い影が霧の中に見えた。
「化け物だ」「赤い化け物がいる」「逃げろ」
兵士たちが、来た方向に走り始めた。霧が薄れた。山の入り口に、信長の兵士はいなかった。
六
須根 夫介はそれを見ていた。「ニャえもんが動いた」
中央では、玄斎の軍が押されていた。信長の地上軍は多かった。数が違った。じわじわと、押されていた。
このまま押され続ければ、一時間もしないうちに、玄斎の軍は崩れる。何かが必要だった。
その時、武の歌が聞こえた。山の上から、風に乗って、須根 夫介の耳に届いた。かすかだった。戦の音の中で、かすかに、でも確かに聞こえた。
計算が、止まった。また止まった。でも今は、それでいいと思った。
戦場の中央で、一人の兵士が顔を上げた。信長の兵だった。M16を持っていた。その兵士が、顔を上げて、山の方を向いた。何かが聞こえた、という顔だった。
「どうした、前に進め」
「……なんか、聞こえる」
「戦の音だろう」
「違う」
七
武は歌い続けた。のどが限界に近かった。でも止まらなかった。源七郎が隣にいた。
「届いているか」武は言った。歌の合間に。
「わからない。でも——中央の動きが、少し変わった気がする。押していた速度が落ちた」
武はもう一度、声を出した。限界を超えた声だった。のどが痛かった。体が震えた。でも出した。
戦場の中央で、信長の兵の一人が、立ち止まった。前に進まなかった。
「何をしている、進め」隣の兵士が叫んだ。
兵士が振り返った。何かを聞こうとしている目だった。
「聞こえないか」兵士は言った。「歌だ。どこかで、歌が聞こえる」
隣の兵士が耳を澄ました。戦の音の中に、何かが混じっていた。人の声だった。歌だった。
「……聞こえる」
八
一人が立ち止まった。その後ろにいた兵士が、一人の立ち止まりに気づいた。その兵士も、少しだけ速度を落とした。一人の躊躇いが、波のように後ろに伝わった。
玄斎の軍への圧力が、一瞬だけ弱まった。
その一瞬に——玄斎の軍の中から、一つの部隊が動いた。源七郎が送り込んでいた精鋭だった。信長の軍の陣形に切り込んだ。
須根 夫介はそれを見ていた。「動いた。玄斎殿の本隊を、今動かす。武の歌が作った一瞬を使う。今動かなければ、次はない」
玄斎の本隊が動いた。精鋭が切り込んだ場所に、本隊が続いた。信長の軍の陣形に、楔が打ち込まれた。一ヶ所が崩れると、そこから崩れが広がった。信長の軍の前線が、少しずつ、後退し始めた。
九
武は山の上でそれを見ていた。信長の旗が、後退しているのが見えた。
「動いた」源七郎が言った。
「見える」
「お前の歌が効いた」
「そうかな」武は言った。
「そうだ。あの兵士が立ち止まった瞬間、歌が届いていた。俺が証人だ」
「……ありがとうございます」武は言った。
「続けて歌え。まだ終わっていない」
「わかった」
ニャえもんは東の山の麓にいた。霧が晴れた後、戦場の端を移動していた。磁石を持っていた。
でも——今は、使う必要がなかった。玄斎の軍が押していた。武の歌が届いた。須根 夫介の計算が動いた。今は、磁石を使う必要がなかった。
使わずに済む方が、いい。野火 太一も、そう言っていた気がした。道具を使わずに済めば、それに越したことはない、と。
十
正午を過ぎた頃、信長の軍が動きを止めた。後退だった。須根 夫介は玄斎に報告した。
「一部が後退しています。追撃すれば信長の本隊に近づきすぎる。今の段階では、後退を見届けて、こちらは陣を立て直す方が最善だと思います」
「そうしよう」
両軍が、睨み合った。武が山から降りてきた。声がかすれていた。のどが赤くなっていた。
「大丈夫か」須根 夫介が言った。
「大丈夫だ」武は言った。かすれた声で。
「届いたと思うか」武は須根 夫介に言った。
「届いた。俺が見ていた。あの兵士が立ち止まった。歌が届いていた」
「それで、動いた」
「それで、動いた」
武は「そうか」とだけ言った。その言葉の中に、多くのものがあった。
十一
ニャえもんが戻ってきた。
「煙幕は効いたか」須根 夫介は言った。
「東の側面からの攻撃を止めた。死者は出していない」
「よかった」
「磁石は使わなかった。使う必要がなかった。武の歌が先に動かしてくれた」
「そうだな。須根の計算も」ニャえもんは言った。「精鋭を動かすタイミングが、正確だった」
「計算が届いた場面と、届かなかった場面がある。信長の軍の全体の動きは、まだ読めていない」
「でも、今日はここまで、崩れなかった」
「崩れなかった」
「それで十分だ」ニャえもんは言った。
十二
夕方になった。信長の軍は、距離を保ったまま動かなかった。
「明日は今日と違う戦い方をしてくるかもしれない。今日は現代兵器を前に出さなかった。明日は出てくる可能性がある。煙幕の球体はもう一つある。ニャえもんが持っている。それと磁石が残っている」
「武に聞いたか」
「まだです」
「聞いてくれ。武が決めることだ」
須根 夫介は武に聞いた。「明日、もう少し近い場所から歌えるか」
「どのくらい近い」
「戦場の端の端、山の麓あたりを考えている」
「源七郎さんが護衛してくれれば」
「してくれる」
「じゃあ、行く。俺が怖いのは今日で終わらないから」
「どういう意味だ」
「怖さが続く限り、歌い続ける。今日怖かった。明日も怖いだろう。でも、怖いから歌う。そういうことだ」
「信じるか」武は須根 夫介に聞いた。
「信じる。お前が言ったから」
「それ、俺が前に言ったことだぞ」
「いい言葉だから、使っている」
武が笑った。
十三
その夜、五人が集まった。武と須根 夫介とニャえもんと源七郎。食事をした。
「今日、煙幕を使った後で、一つ気づいたことがある」ニャえもんは言った。
「なんだ」
「霧の中で、兵士たちの声が聞こえた。信長の兵士の声だ。怖がっていた。混乱していた。でも——その声が、俺が想像していたより、普通の人間の声だった。命令に従って戦っているが、怖がっている。怖がっている声は、全員同じだ。玄斎の兵士も、信長の兵士も、Davidたちも、俺たちも」
「みんな怖い」武は言った。
「みんな怖い。だから——武の歌が届いたんだと思う。怖い人間の声が、怖い人間に届いた」
「俺が怖いから歌えるんじゃなくて」武は言った。「俺が怖いから、届くのかもしれない」
「そういうことだと思う」
「老人が言ってた。追い詰められた時の声には、真実がある、って」
「ずっとそうだったんだ」須根 夫介は言った。
十四
夜が更けた。源七郎が「休む」と言って立ち上がった。武が横になった。須根 夫介とニャえもんが残った。やがて須根 夫介も目を閉じた。
ニャえもんはすでに、城の外にいた。城壁の外の森で、夜の空を見ていた。
今日の霧の中で、兵士たちの声を聞いた。怪物ではなかった。それがわかれば——明日、近づくことが少しだけ怖くなくなる。
城の中から、武の寝息が聞こえていた。明日、また戦がある。それだけだった。それだけで、十分だった。
第十四話「歌と鉄砲」 了
歌と鉄砲、どちらが強いか。物理的には鉄砲である。感情的には、場合による。雷岸武の場合、歌が感情を動かし、動いた感情が鉄砲を下ろさせることがあった。これは「歌が鉄砲に勝った」と言えるのか、「感情が鉄砲に勝った」と言えるのか。どちらにせよ、武本人は「怖くて歌っただけ」と言っていた。




