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第二章:Ⅱ 単校(クリス)

 パチン、と白い照明が消え、教室は深い青に沈む。それを合図に教室のざわめきが小さくなっていく。私もタブレットの電源を切って鞄に仕舞った。


 学校にいる人間は皆背筋を伸ばし、正面の壁をほとんど覆うテレビ画面に視線を集中させる。それもそのはず、これから授業が始まるのだから。


 高まる鼓動に空回りさせられそうになる脳みそ。私は眼を瞑って柔らかい空気を吸い、それを忘れようとした。


 今日の授業では必ずフルスコアを取ってみせる。


 昨日の夜、指定の分厚い学術書を何度も読み返した。そりゃもう暗唱できるくらい。今日こそ「実戦」科目でクラス一位になれるだろう。


 ……アイツに勝つんだ。クミ・タチカワ。ったく、ヤツのことを思い出すとますます目の前がくすんでくる。歯ぎしりをした。なんなんだ、なんでずっと勝てないんだよ。論文も実技試験も全部全力を注いだのに。惨めで悔しくて、ここまでくると涙が出てくる。確かに、アイツこそ首都の学校に入るべきだけれど。目が合った瞬間、自分の全てがちっぽけに思えて心が安らいでしまうような、磨き上げられた知性を宿したあの瞳をしているから。


 いやいや、本物の知性は見なくても分かるものだ。そこにあるだけでいつの間にか自分の血液が熱くなって、太陽の光を閉じ込めた脳の細胞の一つ一つが入り組んだ輝きを放ち出す。少し遅れて、初めて「心」という曖昧なものの存在に気づき、納得する。世界に自分が溶け出して限りなく無に近づく。知性は突き詰めれば突き詰めるほど、原点に収束していくんだ。あらゆる現象と同じように。私はいつからか、そんなふうに直感していた。


 あの子がすごいのは認めるよ。


 ……でも私だって、首都の学校に行きたい。


 あの学校に行ったら将来は宮廷で働ける。宮廷で暮らせば自由に物語や絵を作ったり鑑賞したり、おまけに音楽というものにまで触れられるそうなんだ。かつて味わったあの満ち足りた感覚と合理的なものの美しさ。私はどちらにも惹かれる。まあずっと論理だけだと飽きるというものだ。それに首都の学校に行けなかったら、この学校を出てすぐ労働。からの戦地送りだ。絶対ヤダね!



 ――クリスや。こうして「黒い円環」は、私たちの本当の姿を思い出させてくれたんじゃよ。それこそ正しい、みんなの納得したカタチ。「白い円環」はでたらめだったんじゃよ。


 おばあちゃんは幼い私にいつも楽しい物語を話してくれた。おばあちゃんの語る話は言葉が躍り、ストーリーにはどんでん返しが仕掛けられていて、私はベッドの中に潜るよりも簡単におばあちゃんのお話の中を探検した。すごく不思議で、目眩がするくらい幸せなひとときだった。


 だけど私が八歳のとき、おばあちゃんはあのマンションから消えた。


 私はそのとき既に学校に通っていて、押し寄せる教材と課題の山に、くたくたになっていた。だからおばあちゃんがいなくなってもこれといった感情は湧いてこなかった。あの頃の私は、そんなのどうでもいいな、とさえ思っていた。だってレポート書いて辞書を覚えて。それ以外のことはまだ考えられなかったのだ。


 それに今は、おばあちゃんのことなんてどうでもいいというのが本当のところかもしれない。……ごめんね。


 私の本能はもっと強烈な、苦痛と隣り合わせの興奮を求めている。



 私はふと不安を覚えた。教室の様子がさっきからずっと変わらないのだ。もう十分は経ったと思う。皆口を閉ざしているけれど、目の前に座る子がわずかに身じろぎをした。


 システムの誤作動でないとしたら、原因は誰かの遅刻だろう。……なんだ。


 繊細なバランスを保っていた神経たちが一気に崩れて意識が曖昧に分散する。伸ばしていた背筋が緩んで、後頭部がクッションに埋もれた。私ってこんなに集中力がないのか。情けない。そんな思いを誤魔化して、右足で貧乏ゆすりをする。


 誰だ、遅刻してるヤツは。


 私は黒い板で塞がれた教室の窓を目がねじれるほど睨んだ。


 口から不安定な空気が漏れる。ああなんで私はすぐに怒ってしまうんだろう。昔はこんなことなかったのに。でも大抵は自分の被害妄想で不機嫌になっているだけだ。そんな私は周囲から距離を置かれてご覧の通り、マンションでも通学路でも、もちろん学校でもぼっちだ。孤独を感じれば感じるほどすぐに苛ついてしまう。そしてもはやその状況への焦燥感が潤滑油となって私の立場は悪くなるばかり。少しでも暇があればこんなふうにネガティブ思考。


 だから、私は勉強に没頭した。勉強だけが私の味方だった。どんなに孤独でも、勉強で私に勝てる者はいない、と思ってたのに。アイツが現れた。


 クミ・タチカワ。


 アイツは人気者で誰も敵わない頭脳を持っていて、居場所がたくさんある。私は学校で何度も泣きそうになった。冷静になると潰れるような気がして、狂ったように勉強した。右手が傷だらけになるくらい机にしがみついた。それなのに、追いつけそうで、追いつけない。たまに全て投げ出したくなるときもある。クミを素直に尊敬するときもある。でも不意に脳みそに蛍光色の興奮が広がって、また無駄な努力を始めてしまう。私には、この状況の全てが中毒なんだ。


 椅子に深く座る。


 まだ遅刻者はこないのか。もう怒りというより諦めになってくる。それに私は人に好かれないし本当は心が弱くて一匹オオカミでなんていられない、救いようのないヤツだ。ダメダメな最低野郎だ。



 さらさらとした闇とマイナスイオンを纏う青が溶け合ってる教室。そこへ一筋の白いエネルギーが走る。ドアがスライドする音が聞こえた。


 私は顔を上げた。ドアの向こうには二人のシルエット。


 金属を引っ掻いたような声が響いた。


「申し訳ございませんっ。このたび、わたくしどもの過失で学校の機能を滞らせてしまい、大変ご迷惑をおかけしました! わたくしは5781277番のクミ・タチカワです!」

「わ、私も、すいませんっ。6291371番のマリ・シュミットです!」


 二人が唱えたのはお詫びの文言。


 え。アイツ、遅刻するんだ。


 次第に、私の脳みそは浅いところで爽やかな気持ちを感じる。なんとなく感じていた頭痛が止んで、私は盛大にニヤついた。大丈夫、暗いからクミには見られないだろう。


 急な光度の変化にチカチカしていた目がやっとましになってきた。


 すると私は自分の思考のことは忘れて、今見えているものに完全に吸い込まれた。心臓が止まりそうになって、喉が震える。さっきまでの教室の静寂が嘘のように崩壊していた。


 二人の制服はところどころ大きく破けて、そこから艶のある赤黒いものがトロッと滲んでいる。額や脇腹から零れる鮮明な赤色は、震える白い太腿を伝って変色した血が固まっている足元に落ち着く。廊下からドアの手前まで、二人は健気に自分の体液を引きずっていた。汚れた腕を壁につけて、もたれている。けれど虚ろな瞳が斜め下を向いているだけで、真っ青な顔にこれといった感情は無い。呼吸をするたび、肩がビクついた。


 いつも手入れされていたクミの長い黒髪は乱れ、湿った顔や首に張り付いているし、マリのぴんとした背筋は前に折れてアンバランスだった。


 二人は、ぐしゃりと潰れるように倒れた。

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