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神様、罰ゲームで人形令嬢に転生する  作者: 黒海苔


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第二話:人形令嬢、聖女と呼ばれる

 ――助けられる。



 そう言ったシエラを。


 セレナは、しばらく黙って見つめていた。


 騒然とする王都。


 遠くでは、倒れた騎士たちを囲むように人々が集まり始めている。


 悲鳴。


 怒号。


 治癒術師を呼べという声。


 その中心。


 先ほど倒された巨大な魔獣からは、今もなお。


 この星には本来存在しない瘴気が、ゆっくりと漏れ続けていた。



(……さて)



 シエラは内心で小さく唸る。



(どう説明したものかのう)



 目の前には。


 長い紫銀の髪を揺らしながら、自分を見つめるセレナ。


 普段は冷ややかにすら見える紫水晶のような瞳が。


 今は。


 完全に護衛の目になっている。


 シエラを危険な場所へ一歩たりとも近づけまいとする。


 そんな意思が。


 言葉にしなくても分かる。



(まあ、当然じゃな)



 セレナは、自分を五歳の令嬢だと思っている。


 それは正しい。


 身体だけなら。


 だが。


 中身は神。


 しかも。


 今、目の前で起きている異常を理解しているのは。


 少なくとも、この場ではシエラだけだ。



(「儂は神じゃから、この瘴気を消せる」などと言えるわけもないしの)



 言えば。


 点検失敗である。


 神が現地の住民に正体を知られる。


 それだけは。


 絶対に避けなければならない。



(ならば……)



 シエラは考える。


 この世界には。


 神聖魔法というものが存在する。


 人間が神へ祈り。


 その力を借りる。


 それが神聖魔法。



(実際には、こちらから神力を流しておるだけじゃが)



 人間が直接。


 神の力を扱っているわけではない。


 祈りという経路を通して。


 神力の一部を借り受けている。


 ならば。


 神であるシエラが。


 自分自身の神力を直接使っても。


 見た目さえ似せれば。


 人間には違いなど分からない。



(問題は)



 どうやって。


 セレナを納得させるか。



「……神聖魔法」


「はい?」



 セレナの紫の瞳が。


 僅かに見開かれた。


 シエラは続ける。



「……使える」


「お嬢様が、ですか?」


「……たぶん」



(使えるも何も、儂の力なんじゃが)



 とはいえ。


 ここで自信満々に言い切るのも。


 五歳児としては少々不自然な気がする。


 だから。


 曖昧にしておく。



「ですが……」



 セレナは。


 ちらりと騎士たちへ視線を向ける。


 そして。


 もう一度シエラを見る。



「神聖魔法を習われたことはありませんよね」


(当然じゃ。儂が教える側じゃからの)


「……ない」


「では、なぜ使えると?」


(そこを聞かれると困るんじゃ)



 シエラは。


 少し考え。


 結局。


 答えになっているのか分からない言葉を選んだ。



「……できそう」


「…………」



 セレナが。


 静かにシエラを見つめる。



(駄目かの?)



 当然。


 説得力は皆無だった。



 その時。



「ごほっ……!」



 遠くで。


 一人の騎士が激しく咳き込んだ。


 地面へ。


 赤いものが落ちる。



 シエラの目が。


 僅かに細くなる。



「……死ぬ」



 セレナが振り向いた。



「え?」


「このままだと……死ぬ」



 いつもより。


 ほんの少しだけ。


 強い声音。


 シエラが自分から。


 そこまで明確に意思を示すことは珍しい。



「…………」



 セレナは。


 騎士たちを見る。


 次に。


 シエラを見る。



 長い紫銀の髪が。


 風に静かに揺れた。



「……分かりました」



 やがて。


 小さく息を吐く。



「ただし」


 セレナは。


 シエラの前へ半歩出る。


 それだけで。


 華やかなメイド服を纏った女性から。


 シエラを守る護衛へ。


 纏う空気が切り替わった。



「私から絶対に離れないでください」


「……うん」


「何かあれば、すぐに私が抱えて離脱します」


「……うん」


「旦那様に怒られるのは私なのですから」


「……ごめん」


「まだ怒られておりません」


(ならよいではないか)



 とは。


 言わない。



「行きますよ、お嬢様」


「……うん」



 セレナは。


 常にシエラの半歩前を歩いた。



 ◇



 騎士団の近くまで来ると。


 瘴気は、さらに濃く感じられた。


 もちろん。


 普通の人間には見えない。


 だが。


 シエラには。


 はっきりと見える。



(やはり)



 これは毒ではない。


 単純な魔力障害でもない。


 生物だけを蝕んでいるわけでもない。



(地面にも入り込んでおる)



 シエラは。


 石畳。


 街路樹。


 建物。


 周囲を流れる魔力。


 それらを順番に観察する。



(生き物を弱らせ)


(土地を弱らせ)


(世界そのものの循環を鈍らせる)



 現時点で。


 影響はまだ小さい。


 だが。



(これが何年)


(何十年)


(あるいは、もっと長く続けば)



 星そのものが。


 少しずつ弱っていく。



(なるほどのう)



 弱った星なら。


 外部から何かを入り込ませるのも。


 ずっと簡単になる。



(こやつらの目的が侵入なら、理には適っておる)



 ただし。


 まだ分からない。


 誰が。


 何のために。


 そんなことをしているのか。



 そこまで考えたところで。



「シエラ!?」



 怒鳴り声。


 聞き慣れた声だった。



 視線を向ける。


 ガルディスが立っていた。



 いや。


 立っているというだけで。


 普段とは明らかに違う。


 呼吸が重い。


 額には汗。


 顔色も悪い。


 それでも。


 周囲の騎士たちのように倒れてはいない。



(さすがじゃな)



 シエラは。


 少し感心した。



(瘴気の中で、まだ動けるか)



 肉体。


 魔力。


 精神力。


 すべてが。


 人間の中では相当高い。



「なぜ来た!」



 ガルディスが歩いてくる。



「セレナ! 絶対に近づけるなと言ったはずだ!」


「申し訳ございません」



 セレナは。


 シエラの前に立ったまま。


 静かに頭を下げる。



「ですが、お嬢様が――」


「シエラ」



 ガルディスが。


 娘の前へ膝をつく。



 いつもの。


 娘を見るだけで顔が緩む父親ではない。



「ここは危険だ。すぐに戻りなさい」


「……」


「頼む。父の言うことを聞いてくれ」



(ふむ)



 シエラは父を見る。


 この男も。


 既に瘴気に侵されている。


 にもかかわらず。


 最初に心配するのは。


 自分の娘。



(……人間の親というのは)



 面倒だと思っていた。


 騒がしい。


 過保護。


 すぐ抱き上げる。


 何をしても褒める。



(じゃが)



 少しだけ。



(悪くないの)



「……助ける」


「何?」


「……みんな」


「シエラ……?」



 ガルディスの目が変わった。


 セレナも。


 隣から静かにシエラを見ている。


 二人とも。


 シエラがいつもとは違うことに。


 気づいている。



(これ以上は喋らん方がよいな)



 余計なことを言えば。


 ボロが出る。



 シエラは。


 倒れている騎士たちへ歩こうとする。



「待て」



 ガルディスが。


 手を伸ばす。



 だが。


 その直後。



「ごほっ……!」



 先ほどの騎士が。


 さらに激しく咳き込んだ。



(時間がないの)



 シエラは。


 ガルディスを見る。



「……信じて」



「――」



 五年間。


 シエラが。


 こんな言葉を父へ向けたことは。


 ほとんどなかった。



 ガルディスが。


 目を見開く。



 そして。


 娘の瞳を。


 まっすぐ見る。



 数秒。



「……分かった」


「旦那様?」



 セレナが。


 僅かに目を見開く。



「行かせろ」


「しかし」


「何かあれば、俺が責任を取る」



 ガルディスは。


 シエラの肩へ手を置く。



「ただし」


「……?」


「無茶だけはするな」


「……うん」



(さて)



 シエラは。


 小さく息を吐いた。



(では)



(少しだけ、神様の真似事でもするとするかの)



 自分自身が神なのだから。


 妙な話である。



 ◇



 騎士たちの中央。


 シエラは。


 静かに立った。


 そのすぐ後ろ。


 セレナが付き従っている。


 ただ立っているだけ。


 にもかかわらず。


 紫水晶の瞳は。


 絶えず周囲へ配られていた。


 倒れた騎士。


 群衆。


 建物。


 逃げ道。


 そして。


 シエラ。


 何が起きても。


 最初に守れるように。



 周囲の人々は。


 戸惑っていた。


 当然だろう。


 そこにいるのは。


 五歳の少女。


 しかも。


 王国でも有数の名門。


 グランヴェルト大公爵家の令嬢。



「お嬢様……?」


「なぜこちらへ……」


「危険です!」


「下がってください!」



(騒がしいのう)



 シエラは。


 聞き流す。



(説明しておる間にも広がっておるというに)



 そして。


 両手を。


 胸の前で組む。


 祈るように。



(神聖魔法というものは)



 シエラは。


 人間たちが行うそれを思い出す。



 祈り。


 神へ届き。


 そこから。


 神力を受け取る。



(つまり)



(儂が自分で自分へ祈ればよいわけじゃな)



 少し。


 妙な気分になった。



(いや)



(考えると馬鹿らしくなってくるの)



 やめよう。



(見た目さえ、それらしくしておけばよい)



 シエラは。


 目を閉じる。



(さて)



(出力は……)



 どれくらいがいい。



 人間の神聖魔法。


 五歳児。


 この世界の常識。



(……弱め)



 それでいこう。



(本当に、ほんの少しじゃ)



 そう。


 決めて。



 シエラは。


 神力を解放した。



 次の瞬間。



 光が。



 広がった。



「――っ!?」



 誰かが。


 息を呑む。



 白い。


 淡い。


 暖かな光。



 それは。


 シエラの小さな身体から。


 波紋のように。


 静かに広がっていく。



 長い紫銀の髪が。


 光を受けて。


 淡く煌めいた。



 セレナは。


 何も言わない。


 ただ。


 紫の瞳を僅かに見開き。


 目の前で起こっている光景を。


 一瞬も見逃さないように見ていた。



(……あ)



 シエラの内心に。


 嫌な予感。



(少し)



 光は。


 騎士たちを包む。


 地面を包む。


 街路樹を包む。


 さらに。


 周囲一帯へ。



(出しすぎたかの)



 今さら。



 遅かった。



 ◇



 光に触れた瞬間。


 瘴気は。


 消えた。



 正確には。


 浄化された。



 この星の理から外れた異物を。


 シエラの神力が。


 強引に押し流したのだ。



(やはり)



(儂の力なら、問題なく消せるの)



 騎士たちの身体へ入り込んだ瘴気も。


 同時に。


 抜けていく。


 荒かった呼吸が。


 徐々に落ち着く。


 倒れていた騎士の指が。


 僅かに動く。



 一人。


 また一人。



「……う」


「ここは……」


「俺は……?」



 意識を取り戻していく。



 ガルディスの顔色も。


 先ほどまでより明らかに良い。


 黒ずみ始めていた街路樹の葉も。


 元の色へ戻っていく。



(よし)



 シエラは。


 満足した。



(これなら問題な――)



 そこで。



 周囲を見る。



「…………」



 誰も。


 喋っていない。



 騎士。


 治癒術師。


 住民。


 父親。


 そして。


 セレナ。



 全員が。



 シエラを見ている。



(…………)



 嫌な予感。



「……聖女様」



 誰かが。


 呟いた。



(何じゃ?)



「聖女様だ……」


「神聖魔法……?」


「こんな規模の……」


「奇跡だ」


「聖女様!」



(待て)



 声が。


 広がる。



「聖女様!」


「聖女様が救ってくださった!」


「グランヴェルト大公爵家のご令嬢が!」



(待て待て待て)



 シエラの顔は。


 無表情。



 だが。



(違う)



 内心は。


 かなり焦っていた。



(儂は聖女ではない)



(神じゃ)



(いや、そうではない)



(そこを訂正したいのではない!)



 神だと知られてはいけない。


 だから。


 聖女扱いそのものは。


 ある意味。


 都合がいい。



(じゃが)



(目立つなという話じゃ!)



 点検。


 これは点検である。


 普通の人間として。


 一生を過ごす。



 その予定だった。



(なぜ五歳で聖女扱いされておるんじゃ)



 シエラは。


 小さく呟く。



「……違う」



 一瞬。


 周囲が静かになる。



(よし)



(これで訂正――)



「聖女様は、なんと謙虚な……」


「幼いのに……」


「素晴らしいお方だ……」



(なぜじゃ!?)



 シエラは。


 思わず。


 ほんの僅かに眉を寄せた。



 その横で。



「…………」



 セレナは。


 口元へ手を添える。



(……笑っておるな?)



 ほんの少し。


 紫の瞳が。


 楽しそうに細められていた。



 ◇



「シエラぁぁぁぁぁぁ!」


「……苦しい」



 数分後。


 シエラは。


 父親に抱きしめられていた。



「よかった! 本当によかった!」


「……離して」


「嫌だ!」


(子供か、この男は)



 王国騎士団長。


 現代最高峰の剣士。


 大公爵。



 そのすべてが。


 今は消えている。


 ただの父親だった。



「まさかシエラに、あれほどの神聖魔法の才能があったとは……!」


(才能ではないのじゃが)


「やはり俺の娘は天才だ!」


(それは先ほども聞いた)


「聖女などと呼ばれるのも当然――」


「……嫌」


「え?」


「聖女……嫌」



 ガルディスの顔が。



 止まった。



「そうか」



 数秒。



 先ほどまでとは打って変わって。



 声音が低くなる。



「なら、聖女にはさせん」


(……ん?)



 シエラが。


 父を見る。



「誰が何と言おうと、シエラはグランヴェルトの娘だ」



 ガルディスは。


 真剣だった。



「教会が何を言ってきても、渡すつもりはない」


(まだ何も言ってきておらんぞ)



 だが。


 大公爵であり。


 騎士団長でもある父が。


 そう言うのなら。



(まあ)



(面倒事を押しつける相手としては頼もしいの)



 そう思ったことは。


 口には出さなかった。



「お嬢様」



 セレナが近づいてくる。



 長い紫銀の髪。


 黒と白、紫のメイド服。


 先ほどまで。


 シエラを守るため周囲へ向けられていた鋭い視線が。


 今は。


 主人一人へ向けられている。



「……何?」


「お怪我は?」


「ない」


「気分は?」


「普通」


「眩暈や吐き気は?」


「ない」


「魔力切れは?」


「ない」


「……本当に?」


「うん」



 セレナは。


 紫水晶のような瞳で。


 シエラを静かに見つめた。



 表情そのものは。


 ほとんど変わらない。



 だが。



 五年間。


 毎日のように彼女を見てきたシエラには。


 なんとなく分かる。



(……何か考えておるな)



 セレナは。


 神聖魔法について。


 専門家というわけではない。


 だが。


 元Sランク冒険者。


 冒険者時代。


 高位の神官。


 治癒術師。


 神聖魔法使い。


 そうした者たちと。


 共に戦った経験もあるだろう。



(さすがに、少し派手すぎたかの)



 シエラは。


 内心だけで。


 僅かに目を逸らす。



 セレナは。


 しばらく見つめたあと。



「……そうですか」



 それ以上。


 何も聞かなかった。



(聞かぬのか)



 一瞬。


 少し意外に思う。



「では、帰りましょう」


「……うん」


「今日は、もう十分でしょう」


「……ケーキ」


「もちろん覚えております」


(よし)



 シエラは。


 小さく頷いた。



 その様子を見て。


 セレナの紫の瞳が。


 ほんの少しだけ。



 柔らかくなった。



 ◇



 その日の夕方。


 王都では。


 すでに噂が広がっていた。



 五歳の令嬢。


 グランヴェルト大公爵家の娘。


 奇跡の神聖魔法。


 騎士団を救った少女。



 そして。



 ――小さな聖女。



(……早すぎるじゃろ)



 屋敷へ戻ったシエラは。


 自室の椅子に座り。


 遠い目をしていた。



(人間というのは)



(どうして噂が広がる速度だけは、あれほど速いのじゃ)



 星全体を管理していた頃ですら。


 あの速度には。


 少し感心する。



 隣では。


 セレナが紅茶を淹れていた。



 ポットを傾ける角度。


 カップを置く位置。


 音すらほとんど立てない。



(本当に何をやらせても無駄がない女じゃな)



 剣を握る時も。


 紅茶を淹れる時も。


 変わらない。



「お嬢様」


「……何?」


「お待たせしました」



 セレナが。


 テーブルへ。


 小さな皿を置く。



「ケーキです」


「……」



 シエラの瞳が。


 僅かに動く。



(忘れておらんかったか)



 昼間。


 欲しいと言ったもの。



「昼間はゆっくり召し上がれませんでしたので」


「……ありがとう」


「どういたしまして」



 シエラは。


 フォークを持つ。



(まあ)



(ひとまず)



(これは食べよう)



 一口。



 甘い。



「美味しいですか?」


「……うん」



 ほんの少し。


 シエラの表情が緩む。



「…………」



 その変化を。


 セレナは。


 見逃さない。



 普段なら。


 冷ややかにすら見える紫の瞳が。


 その時だけ。


 僅かに柔らかくなった。



(またその顔じゃ)



 シエラは。


 ケーキを食べながら。


 セレナを見る。



(何がそんなに面白いのかのう)



 聞かない。


 聞けば。


 余計なことを言われそうだからだ。



(さて)



 シエラは。


 今日の出来事を。


 頭の中で整理する。



 魔獣。


 瘴気。


 星の外から持ち込まれた異物。


 同僚神たちの仕業ではない。



(偶然)



 その可能性は。


 低い。



(あれほど世界に馴染まぬ生命が、自然にここまで入り込むとは考えにくい)



 誰かが。


 意図的に。


 持ち込んだ。



(じゃが)



 まだ。


 証拠がない。



 この星の外から。


 何かが入り込んだ。



 それだけ。



 誰が。


 何のために。


 どうやって。



 そこまでは。


 まだ分からない。



(それに)



 もう一つ。



『今回は、少し気をつけてね』



 転生直前。


 同僚神に言われた言葉。



(あやつら)



(何か知っておったのか?)



 もし。


 そうなら。


 なぜ。


 何も説明しなかった。



(……いや)



 シエラは。


 小さく首を振る。



(考えても分からん)



 今は。


 情報が足りない。



(とりあえず)



(この星へ入り込んだ異物を、一つずつ見つけるしかないの)



 ケーキを。


 もう一口。



(面倒なことになったのう)



 そして。



(明日は昼まで寝たい)



 神としては。


 かなり緊張感のない感想だった。



「お嬢様」


「……何?」


「今」


「……?」


「とても嫌そうなお顔をされていましたが」


「……眠いだけ」


「まだ夕方です」


「……もう寝る」


「夕食があります」


「…………」


「逃げても駄目です」


(何も言っておらんじゃろうが)



 なぜ。


 分かるのか。



(五年も一緒におると、面倒じゃのう)



 少しだけ。


 そう思った。



 ◇



 同じ頃。



 王都から離れた。


 誰もいない。


 暗い部屋。



「……消えた」



 低い声。



 人影が。


 一つ。



「何がだ」


「瘴気だ」



 別の声が答える。



「放った個体は?」


「討伐された」


「それは想定内だ」



 魔獣そのものが。


 倒されること。



 それ自体は。


 問題ではない。



「だが」



 声が続く。



「残った瘴気まで、完全に消された」


「…………」



 沈黙。



「人間に?」


「そう見える」


「誰だ」


「グランヴェルト大公爵家の娘」


「……年齢は」


「五歳」



 再び。


 沈黙。



「五歳?」


「ああ」


「ふざけているのか」


「事実だ」



 闇の中。


 何かが。


 僅かに動く。



「神聖魔法か?」


「おそらく」


「……いや」



 低い声。



「確認しろ」



 空気が。


 少しだけ。


 重くなる。



「もし」


「我々の障害になる存在なら?」



 短い間。



「消せ」



 その言葉だけが。



 闇の中へ。



 落ちた。



 ◇



 夜。



「おやすみなさいませ、お嬢様」


「……おやすみ」



 セレナが。


 シエラの掛け布団を整える。



 次に。


 ベッドの脇へ置かれた水差しを確認し。


 窓の鍵を確かめ。


 最後に。


 室内を一度だけ見回した。



 その一連の動作に。


 無駄はない。



(相変わらず念入りじゃな)



「何かございましたら、すぐお呼びください」


「……うん」


「本当にですよ」


「……うん」



 セレナは。


 僅かに目を細める。



「では、おやすみなさいませ」


「……おやすみ」



 長い紫銀の髪が。


 扉の向こうへ消える。



 静かに。


 扉が閉じた。



(疲れたのう)



 シエラは。


 ベッドへ深く潜り込む。



(人間の身体というのは、やはり不便じゃ)



 神力を使った疲れではない。


 今日は。


 色々ありすぎた。



(魔獣)


(瘴気)


(聖女)



 最後だけ。


 妙に腹立たしい。



(儂は聖女ではないというに)



 目を閉じる。



(まあ)



(明日考えればよい)



 人間の身体。


 五歳。


 眠気には。


 神でも勝ちにくい。



(おやすみ……)



 意識が。


 ゆっくりと沈んでいく。



 その頃。



 グランヴェルト大公爵家の屋敷。



 高い塀を。



 一つの影が。



 音もなく。



 越えた。



 門番は。


 気づかない。



 巡回する騎士も。



 気づかない。



 魔力の気配すら。



 ほとんどない。



 その影は。



 迷うことなく。



 シエラの眠る屋敷へ。



 向かっていた。



 ◇



 廊下。



 魔導灯の淡い光。



 夜の静寂。



 その中を。



 セレナは。



 一人。



 歩いていた。



 長い紫銀の髪。


 黒と白、紫のメイド服。


 昼間と。


 何一つ変わらない。


 ただ。


 腰には。


 いつもの細身の剣。



 シエラの部屋を出たあと。


 自室へ戻る途中だった。



 そして。



 足が。



 止まった。



「…………」



 音は。



 ない。



 誰かの魔力を感じたわけでもない。



 殺気も。



 ない。



 なのに。



 セレナの紫の瞳が。



 僅かに細くなる。



(……何かいる)



 理由など。


 説明できない。



 冒険者として。



 幾度も死線を越えてきた。



 その経験が。



 身体より先に。



 警鐘を鳴らしていた。



 セレナは。



 ゆっくり。



 腰の剣へ。



 白い指を添える。



 華やかなメイド服に身を包んだ。



 美しい侍女。



 その雰囲気が。



 消える。



 紫の瞳から。



 先ほどまで。



 シエラへ向けられていた。



 柔らかな色が。



 完全に消えた。



「……何者ですか」



 静かな声だけが。



 深夜の屋敷へ。



 響いた。

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