剣鬼降臨
ゼールギスは言いようのない脱力感を感じていた。
それは失望にも似ていた。
確かにこちらの油断から敵に不意を突かれた。
しかしその混乱は本隊には波及しておらず、雨で詳しくは確認できないが兵の数もそう多いとは思えない。
そもそも味方に背後を絶たれているスレイヤード軍にそう多くは集められないはず。
右翼を増強すれば自ずと勝利は見えていた。
有利な地形がありながら利用しようともしなかった敵をあれほど警戒していたことが馬鹿らしく感じた。
「前回の勝利はまぐれだったようだな」
ゼールギスは冷静に対応を命じる。
蓋を開ければなんてことはない。
先程まであった嫌な予感は欠片も残っていなかった。
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ロンクーは右翼に深く斬り込み、向かってくる敵兵を悉く斬り捨てていた。
「命、また一つ」
もはやロンクーの頭の中に指揮を執るということは存在していない。
ただ自らの足で地面に立ち、ただ目の前の人間を斬ることしか考えていない。
当然部隊に統制などはなく徐々に隊列は乱れ各個に戦い始める。
指揮官にあるまじき振る舞い、しかしそれこそが今回の戦でシンクがロンクーに求めたことだった。
ロンクーの部隊の役割は敵の右翼に突入し数倍の敵を相手に暴れ回ること。
兵法も何もない無謀な役割であったが、生還時の莫大な報酬、遺族に対する手厚い補償や英雄としての名誉をシンクが約束することで多くの者が志願した 。
元々シンクの下に集まったのは功を立てたい者達や忠義心に駆られた者達であったため彼らの士気は高い。
「敵は少数だ! 臆せず囲め!」
ディーン軍の右翼も残った者達を中心に態勢を立て直そうとする。
彼らも国王の前で無様な戦いは見せられない。
数を頼りにスレイヤード軍を押しつぶそうとした。
「その心意気は見事、だが、それが命取りとなる」
ロンクーが速度を上げ、指揮を執る将の首を獲る。
まるで無人の野を行くかの如くロンクーは戦場を駆ける。
兵を斬る。
将を斬る。
その単純な繰り返しがディーンの右翼の機能を致命的に失わせていた。
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「報告します! 右翼の混乱収まらず! 敵の将が凄まじい勢いでこちらに向かっています!」
その報告に本隊にいた者達も僅かに動揺する。
まさかここまで来ないと思いつつ、まさかという思いが芽生える。
「なるほど、敵には猛将がいたか」
しかしゼールギスは揺るがない。
「たった一人、例え伝説の勇者であろうとも戦況を覆すことはできん」
ゼールギスの言葉に浮つきかけた空気が引き締まる。
「右翼に増援を送れ。間違っても混乱を助長する真似はするな」
本隊の精鋭がスレイヤード軍の息の根を止めるために動き出した。
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剣を振るい続けるロンクーが異変に気付く。
ピリピリと自分の命に危険が迫る気配。
かつて戦場で幾度ども感じたものであった。
剣を止めることなく視線を巡らし、こちらに向かう多数の軍勢を見つける。
恐らくは自分たちの息の根を止めんとする死神の群れ。
「くくっ」
ロンクーは笑った。
久方ぶりの戦場の空気。
自分のあるべき場所がここであると確信できる。
「そうだ、来い。俺の剣の糧となるために」
ロンクーはまた思い出す。
これこそが自分、剣鬼の真の姿であると。
「死にたい奴はかかって来い。そうでない奴は俺が行ってやる」
剣鬼が止まることはない。
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ディーン軍は本隊、左翼ともに隊列を整えて右翼の様子を伺う。
先程送った増援により右翼は態勢を立て直しつつある。
雨の中でも乱れが小さくなる様子は認識できた。
敵は遥かに少数、勝利は時間の問題だと思った。
「陛下、雨に濡れます」
本隊から緊張感が薄れ、臣下が雨に心を向け始める。
「味方が戦っておる。終わるまで見ていよう」
ゼールギスは警戒を説いたわけではない。
敵を倒すまで油断するつもりはなかった。
「ん? 右翼の方が騒がしいな。敵将を討ち取ったか?」
先程より大きな声が上がっている。
直ぐに伝令の兵士が駆け込んで来た。
「報告! 右翼に向かった隊が敵のたった一人の将によって壊滅。率いていたダレル将軍も討ち死にしました!」
「な、なんだと!?」
さすがのゼールギスが声を上げて驚愕する。
「馬鹿な! たった一人に本隊の精鋭がやられたというのか!?」
「はっ、敵将の武は凄まじく、渡り合える者は皆無。数で押そうにもかの者の動きにかき乱されて隊列を乱され一人また一人と討たれました!」
その場の全員が言葉を失う。
あまりに馬鹿げていて現実感がなかった。
「陛下、右翼の混乱が止められません!」
伝令の兵士の言葉に我を取り戻す。
「く、本隊の兵を回せ!」
「陛下、これ以上本隊から回しては万が一の時に防がなくなります!」
ゼールギスの頭に先程否定した光景が浮かぶ。
その将が右翼を突破し、本隊へと斬り込んでくる。
あまりに馬鹿げた想像。
しかし今のゼールギスには完全に否定できない。
「左翼の兵を右翼に回せ! 混乱せぬよう細心の注意を払うのだ!」
それはたった一人の男にディーン軍全体が動かされた時であった。
「陛下、私に行かせて下さい」
「カレイド! ………頼めるか?」
「この身、全ては陛下のために」
名乗り出た男はいかにも歴戦の将といった風格を持つ壮年の男。
長くゼールギスに使えた猛将の一人だった。
「よかろう。カレイドよ、敵将の首を獲ってくるのだ」
「はっ!」
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ロンクーは雨の中で視界は効かずとも高ぶった精神が感じ取っていた。
更に敵が来る。
強者の気配がする。
「くくっ、くくくっ」
笑いが止まらない。
それは狙いが成就したからか、それとも剣士としての本能か、もはやロンクー自身にもわからなかった。
それはロンクーらが戦う戦場からディーン軍を挟み反対に位置する林。
そこに息を潜め機会を伺う者達がいた。
「デュバル伯爵! 左翼が動いたぞ」
「来たか! 耐えに耐え、待ち望んだ好機だ。逃すわけにはいかん!」
その瞬間、小さな林がスレイヤードの軍と化した。
「ロンクー殿と同胞達の死闘、無駄にしてはならん!」
「進め! 目指すはディーン王ゼールギスの首だ!」
デュバル、シュテンが中心となった貴族の軍勢が援軍を出し隙を見せた左翼に猛然と襲いかかった。




