↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/25

『敵に反対されるのは悪いことではなく、よいことである』 投降派 黄埔軍校 北伐戦争 抗大(こうだい・中国人民抗日軍政大学)

『敵に反対されるのは悪いことではなく、よいことである』

投降派

抗日戦争時期において、投降派には2つの種類が存在した。公開の投降派: 汪兆銘を代表とする大地主・大資産家階級の親日派。彼らは抗日戦争の開始直後から敗北主義を大々的に宣伝し、投降のための策動を行った。1938年末には公然と敵に投降して国を裏切り、日本帝国主義の傀儡となった。暗躍する投降派: 蒋介石を代表とする大地主・大資産家階級の反動派。彼らは表面上こそ「抗戦」を叫んでいたものの極めて揺れ動きやすく、自らの民族的利益を売却して日本帝国主義に屈膝投降する準備を常に整えていた。これは抗日陣営の内部に潜む投降派である。我が共産党が全国人民を指導して断固として抗戦を堅持し、公開および暗暗裏の投降画策を叩いたからこそ、蒋介石も公然たる投降に踏み切ることができなかったのである。頑固派抗日戦争時期において、蒋介石を代表とする「消極的に抗日し、積極的反共を行う」大地主・大資産家階級の反動派を指す。彼らは共産党および人民の民主的勢力を敵視し、いわゆる「日に亡ぶとも、共(共産党)に亡びず」という反動的かつ売国的な主張を掲げ、いわゆる「溶共(共産党の解体)・防共・限共・反共」の政策を採用した。

彼らは「軍令・政令の統一」というスローガンのもと、何度も反共摩擦事件や三度にわたる反共高潮(を引き起こし、共産党の抹殺、八路軍および新四軍の解体、抗日民主根拠地の抹殺という目的を達成しようと画策した。

しかし、我が党が正しい政策を採用し、全国の各階級の抗日人民を団結させて頑固派を孤立させ、軍事上および政治上において彼らの分裂運動の陰謀を打ち砕いたからこそ、抗日民族統一戦線は堅固・拡大され、抗日戦争の勝利を勝ち取ることができたのである。


黄埔軍校

1924年、孫文先生が中国共産党人およびソ連の支援のもと、広州近郊の黄埔に陸軍軍官学校を創設した。一般に「黄埔軍校」と通称される。当時は国共合作のもとで創設された軍事学校であった。

中国共産党人の周恩来、惲代英、蕭楚女、熊雄およびその他の同志たちが、かつてこの学校で政治指導やその他の職務を順次担当し、革命精神をもって北伐軍のために膨大な幹部・中核人材を育成した。その中には数多くの共産党員および共産主義青年団員が含まれていた。

しかし、この学校の校長を務めたのは蒋介石であった。彼は職権を利用して至る所で共産党員を排斥し、自らの派閥・側近勢力を育成した。1927年の「四・一二反革命クーデター(上海クーデター)」以降、彼はついにこの学校を反革命の組織へと変質させたのだった。


北伐戦争

1926年から1927年にかけて、中国人民が展開した帝国主義および封建主義に反対する偉大な革命戦争である。1926年7月、中国共産党の指導とソ連の援助のもと、国共合作による統一戦線の形式をとって国民革命軍が広東から3方向に分かれて北伐を開始した。目的は、長江・黄河流域各地に割拠し、帝国主義および封建主義の代弁者となっていた軍閥勢力を打倒することであった。共産党員および革命的国民党員の英勇な奮闘により、北伐軍は偉大な勝利を収めた。9月には漢口を占領し、1927年3月には上海を占領、全国の労働者運動と農民運動は大きく発展した。

しかし、帝国主義の差図のもと、蒋介石率いる大地主・大資産階級の反動集団が1927年4月12日、上海で反革命クーデターを起こし、共産党員や革命的人民を極めて残虐に屠殺した。さらに7月15日、漢口の国民党が正式に共産党との決裂を決定した。こうして、北伐戦争は失敗に終わった。


抗大(こうだい・中国人民抗日軍政大学)

「中国人民抗日軍政大学」の略称であり、原名は「中国抗日紅軍大学」である。1936年6月1日、陝北の保安(現在の志丹県)において成立した。校長(校長・学長)を務めたのは林彪同志である。

抗大は始終一貫して党中央と毛主席の手厚い関心を受けた。毛主席は自ら抗大へ赴いて講義を行った。毛主席の『中国革命戦争の戦略問題』『実践論』『矛盾論』などの重要著作は、いずれも抗大において講義されたものである。抗大は、毛主席が提示した「確固とした正しい政治方向、刻苦質朴の工作作風、弾力性をもち機動性 にとむ戦略戦術である。」という教育方針の指導のもと、抗日のために民族解放と社会主義事業に忠誠を尽くす革命幹部の一群を次々と育成した。

1939年7月以降、情勢の要求に適応するため、抗大は相次いで晋東南、晋察冀、山東などの各根拠地において12校の分校を建設した。抗日戦争の勝利後、抗大はその光栄ある歴史的任務を完遂した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。