信長さま顛末記
あれやで、いよいよ人気の信長さまの時代になった。
内藤湖南が、応仁の乱以前は日本の歴史やないとブチあげた。おれがこれまで書いて来た内密の歴史では、ヤばトン朝廷なんか大中華の進駐軍の歴史であり、室町時代なんか宋銭使っとった傀儡もええとこや。冊封体制とか馬のくそ、そんなもんになんの実態があるか?たーけがということらしい。これはおれが言うのではない。内藤湖南という偉い学者をおれが二番煎じで広めているだけのことや。
おれはかつてチッタナポリ(知多半島をナポリ半島に比定した概念)にある王居に住んでいた影響で、信長様こそわが主君と考え、長い間、旧織田信長領臣民と名乗って来た。それ、違うんやないかと思い始めたのは最近や。むしろチッタナポリは三河様に近かったのではないか。それに気づいて、こんな物語を書き始めたというわけや。なんでもな、自分が間違っていると思ったら、潔く歴史の上書き(言い逃れ)せなかんでな。
無論、ここでもわれら一族ねごすが主役となる。そのうちな、NHK大河でも、ねごす一族の弘法とかな、やるはずや。印税は無論おれがひとりでもらうけどな。みんぽうでもええんやで?
あ、信長か。あいつはおれんとこにもようけ寄進しよった。可愛いやつやで。なんでも津島湊で儲け出いたてうな。津島は海上の要衝、同時に運河通して尾張の台所、果ては青森まで。現によしずやでも未だに青森で作ったうめご(鮫皮の煮凝り)が冬になると売り出される。うそや思うならよしずや行ってみい。
聞くところによれば、織田家は越前の出であるという。むかしは、そこら尾張の土豪が勝手になり上がったのではないかと考えられていた。今は主君斯波氏にくっついて尾張に来たと考えられているらしい。そんなことになる前に、津島神社のお守りなどから、これは越前出身でなければおかしいとおれは睨んでいた。(詳細は省く)スサノオとかヒボコとか産鉄系ということやな。これは韓渡りであるから、特有の色白美人も混じっていた。信長さまも色白であったらしいが、妹のお市さまもそうであったろう。
信長公は尾張岐阜を平定してから、伊勢に攻め込んだ。ここを押さえたら、東には家康おるし、まあまあ安心だからだ。その後、浅井を色香でたぶらかし、故郷朝倉へと駒を進めた。
なぜ信長さまが幸若舞を好んだのか。それは元々越前にいたころからの必須教科だったからだ。人も知るように幸若舞創始者の桃井直詮は越前で、しかも織田の荘あたりで芸事塾を始めた。信長様に脈々と受け継がれた思想はウタ。あのニヒリズムが応仁の乱にベストマッチやったんやな。
死のうは一定忍び草かな 忍び草には何しよぞ 一定語りおこすのよぉ
全ては定め、下天は夢、ならば物語でも騙ろうかい。これが信長さまの思想や。
なぜ木下藤吉が忽然と歴史に登場してきたか。これは八部衆であって、穴掘ったり、葦原では秘密の隠れ家作ったりしていた中村あたりで。当然川並衆も同類や。藤吉はボスザルタイプで、マウンティングせな生きた心地もせんゆうことで、湿地帯同士の連携を作った。異父弟秀長は困った顔のハの字眉でニホンザルタイプ。困った困った言いながら、人がどう出るか観察している。草履取りなんか江戸時代の脚色で、こいつらは最初から信長グループの一員として統領だった。勝家はあくまで織田家のオトナ、客将よりは格下。その意味では家康さまも明智さまもみな客将やった。考えてもみい、やっと尾張平定しただけの信長さまが、なんで破竹の勢いになれたのか。他では類例のないグループ形成したからや。
信長か。あいつは義元来たてって日山のおれんとこ泣きついてきた。今では姉子姫神社(元熱田)の山や。
ろくな家臣もおらんし、このままではおれ死んでしまいます。
仕方がないので教えてやった。これはオッケー狭間の決闘になる。情報は逐一入ってきている。今頃昼間の酒を飲んどる頃や。ええか、おまえは一散にオッケー狭間に駆けよ。この雲行き、雨になる。雨が軍勢の音を消す。なんなら護衛もつけたるし。
おれにだって手勢はいますよ。あとから駆けてきましょう。ちょっとあいつら待つ間に奇門遁甲でもやってくれませんか。
だであかんてうの。こんな時はな、大将が先頭に立て。大将死んだらおれも尾張やと思わせれ。
ははぁ。
まあ、こんな感じだったかな? 義元ついに入京の決意軍を起こした、なんてのも嘘っぱちやで。ヤマトンなんか行ってもなんにもならんし。尾張のハエが五月蠅いから潰したれくらいの戦闘だとタカをくくっていたんだわ。まさかおれらねごす一族が動くとは夢にも思っていなかった。露払い家康も、あかんねごすやゆうてそうそうに逃げ帰った。あ、三河衆な。あの頃は上納金なかったし、そんな状況でもなかったようだね。だであかんてうの。おれらあは強い者の味方、決してなにかの尖兵になどはならん。
まあ安土に城ぶっ建てるまでやったな。信長さまのええ時は。丹羽長秀あたりが、あれっ?おれらあは八やなかったのかと変形八角形の天主作った。それが間違いや。信長さまは六角形やったのにな。フフッ。その頃おれらあは、熱田に塀などこさえてもらい、胡坐に片肘ついて扇子で左団扇の風。こけよったか信長、なに光秀が?
うめご うめえごっつぉ(御馳走)の略と考えられている。津島界隈でしか流通しない。コラーゲンがありすぎて、ぷるぷるのういろうみたいな形状となっている。特に味はないので、醤油かなんかで酒の肴にする。
てって 「と言って」の意味。このままでは女子高生の「なんてね」という意味も含まれてしまうので、「てってな」のほうが使用頻度は高い。「な」という確認終助詞で相手の目を確かめるのである。
日野富子 これについては、あまり語りたくない。
津島神社特製お守り これは六角形の木製で、蘇民将来之門と書いてあります。
この物語はフィクションでありいかなる歴史的事実や人物とうには全くなんの関係もありません異世界ものです。




