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ねごすいやつら  作者: 安祥


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喰うかい

 われら下賤の民といたしましても、このような貴いお方をこき下ろすつもりは毛頭ござりませぬ。てゆーか、貴いなら、それはそれで利用法を考えるのがわれわれでございます。

 私としては、なんの脚色もしておりません。郷土史家Aが書いたことをそのままお伝えしなければならないことは、私としてはいささか残念にも思いますが、私ができるのは構成だけです。それはこの物語全編にわたってそうなのですが、今回は特に、そういったいらざるお断りをしなければならない内容になります。


 ちょっとこの、あまりに健やかな筆致なので、実名は伏せさせていただきますが、実在のひとであることを、夢疑ってはなりません。郷土史家A。

 あれです、郷土史を一冊にまとめた分厚い本がありまして、わが王居の歴史ですな、うん。これは昭和元年から19年までの村報を収録していまして、博識なAは歴史コラムを担当していました。この回は王居がいかに歴史の古い優れて神聖な地であるか、四項目に分けて執筆しています。

 (1)佛山。まるで古墳を彷彿とさせるようなこんもりとした山の山頂に、医王寺が建立されました。神亀二年のことでございます。一山十二坊の大伽藍と伝わっています。(Aは自分でもそれがどこか探してみたらしいのですが、ちょっとわからなかったらしいです。残念ですね。)

 (2)明星水跡。当然ですが、弘法大師もこの優れた地へ修行にこられました。弘仁5年のことでございます。大師は三河から船で来られ、この地に上陸されました。そして、里人の案内で医王寺に入られ、佛山中腹に井戸を掘られたのです。昔はそれを記念して井戸の傍らに塔が立っていたとされますが、時の流れにいつしかそれは谷に転落し、苔むした台石だけが残っていたと伝わります。(これについても、実証主義者Aは自分で探してみたらしいのですが、佛山がどこかもわからないのに中腹もないですね。)

 (3)聖崎。貴き大使が御上陸あそばせた岬です。まず、二子島に登くりました。これは二つの岩礁なのでそんな名前です。(今ではそれとなく二子岩と改称されています。)日本のモンサンミッシェルとも呼ばれ、潮が引くと岬まで歩いて渡れます。今猶、村の僧侶団が雨乞祈祷をするときには、全員で船でここに渡って、というパフォーマンスもあったとされます。(現在は一寺四院ですから、最低でも5人はいたと考えられます。黄や柿色やの衣に袈裟懸けのひとたちが、岩に登くる姿を想像するだけでも迫力がありますね。)

 (4)弘法大師修行場。これはチッタナポリでも初めての御大師様修行場であるから、それを記念して明治44年に現地に移転再興されたと書いてあります。(ですが、その現地がどこか、それはなにか、が書いてないので、なんのことかわかりません。編集の都合でカットされたのかもしれません。しかるに、実証主義のAは、弛まざる研鑽の結果、動かぬ証拠を発見しました。お大師様上陸の弘仁5年、大師御一代記年譜を調べたところ、見事にこの年の記録がなかったのです。これはもう来たとしか言えないと、Aの頭蓋中では構成されたわけです。)


 他にも、王居には村のぐるりを囲んで28社の聖地が設けられていると主張しています。なにがなんでも聖地である。いや、そうでなければ困るというほどの事情があったのかもしれません。わかりませんが。(観光立国?)

 私が胸震えたのは、狼煙台でございます。実物の挿絵、寸法まで書いてあります。一体なにを、どこへ伝える必要があったのか。一説には、嘉永六年米艦浦賀に来るをもって藩公が命じたとされます。他緒川、大高、亀崎、内海にあって、もし米艦来れば瞬時に名古屋まで伝わる仕組みを作っていたようです。(しかしながら、このような情報網はもっと昔から利用されていたのではないかと、私は推測しています。)


 さて、ここからは、毎度ばかばかしい私の妄想になります。

 いつの頃かはわかりませんが、たとえば三河か遠江の修験が、なにか面白きことはないかとやって来た、としましょう。

 ナマコやなんか結構取れるんで、浜で腸を抜いていたおっかさんらがいたらしいんですね。

 もったいない。

 と異形の僧は思ったらしく、これを塩漬けにする勘考をしました。それが「このわた」という大名物となり、藩公に献上されるほどになりました、とさ。

 それより遥か以前にもまた異形の僧が来まして、ダウジングをして井戸を掘った。昔のひとだって、決して闇雲に地面を掘っていたわけでもないでしょうから。

 糸で結わえた沈め石をぶら下げて歩く。村人の観察では、ずっと横揺れで動いていたものが、あるところで円を描く動きに変わったといいます。

 ここを掘れ。

 まずは円錐形に掘り、土の湿り気を発見し、そこからは崩落を防ぐ木組みをして掘り進んだ。泥水が出た。もっと掘った。一躍ヒーローとなった馬の骨は、酒や魚で歓待された。

 女でも抱かせておけ。

 それなら、嫁の貰い手がない××の娘でもあてがっておきますか。

 これは弘法が掘ったことにしよう。

 行基も来ているらしいですが。

 行基なんか誰も知らんわ。弘法だ。


 そうして、この聖水こそが、明治には造り酒屋16軒を擁する名産の礎となるのでございます。

 お後がよろしいようで。








登くる。のぼくる。これは単に上るのではなく、手を動員してしがみつかねばならないほど急な斜面をあがる場合に使われる言葉です。漢字を当てれば、登繰る、となりますでしょうか。



この物語はフィクションであり、実在する場所、人物、団体等とは一切関係ありません。

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