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ねごすいやつら  作者: 安祥


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ヤマトターケル

 時代はそれより下り、ヤマトン朝廷も開闢された。白村江で勝った大中華の軍勢が畿内に侵攻したのである。大宰府で撃退しましたとか、あの大敗のあとそんな余力があろうはずもない。

 そんな話も、三河のねごす彦はつぶさに知っていた。聞きたくなくても、バケツリレーのように村から村へと伝わってくるのである。

 こともあろうにヤマトン朝廷は、人武を己らの先に継ぎ足した。あれは、我ら一族には到底かなわず、瀬の浅い海を苦労しながらへき地ヤマトンに入った。それは我ら南の黒潮ルートを侵すこともできず、さりとて北の航路の所有者出雲にも勝てなかったからだ。つまり、敷嶋の一地方史に過ぎない出来事だった。

 大中華の進駐軍もそうした歴史を知るにおよび、え、これだった?と呆れただろう。しかし実際、ヤマトンはかつて神武が一時期占領した土地であるから仕方なかった。漢ヤマト言われ彦とか言っておけば、漢の倭の奴とか、なにかと都合もよい。しかも、神武系統などとっくの昔に霧消しているので、文句を言う者もいない。

 進駐軍指令郭将軍は野心的な男で、ヤマトン朝廷を制圧したあと、逆に唐の討伐軍を恐れた。二千人からの先遣軍が行方不明など許されない。だから郭将軍は大宰府などに防塁を築き瀬戸内航路を確保するなど防衛線を張った。そんな話ときいている。


 さいが、あの当時のヤマトンは、田も畑も作れない湿地帯だった。そこでの頑張りが実を結び、徐々に大中華分権勢力は拡大していった。元より古事記、日本書紀は、大中華の人らあに読んでもらうため、漢字だけで書かれている。

 こう言ってはなんだが、あのばかが、というのが我ら一族の一貫した感想である。ばかの力はばか力とも口伝に伝わっているから、ばかにもできないが。

 そこでだ。我ら一党のことについても語らねばなるまい。我らは、大中華の南から南九州に渡った苗族(ミャオぞく)の末である。隼人は討伐されましたということになっているが、日向は陸の孤島、徒歩で入るだけでも命がけ。到底北九州から軍勢を差し向けられるところではないのだ。

 我らミヤオは、四国南岸、紀州、三河、静岡、房総に至る黒潮海上交通を抑えていた。登呂でも明らかなように、もうこっち田んぼ作ってたんだもんね。

 当時はヤマトンと呼ばれていたが、ヤバトンと間違われやすいので、後にはヤマトとなったと聞くね。そんなのヤマタイだろうがヤマイだろうが、わしらには関係ないことだけどさ。


 聞くところによれば、狂犬息子に困り吠えとった時の天皇さまが、折衷策としてまつろわぬ民草への討伐軍を命じたんだと。ヤマトタケルは兄弟を殺し、自分が第一後継者になろうとしていた。天皇さまからすれば、そんなことして、おまえが死んだら後継者おらんなるゆうとこやな。やれ熊襲を撃て、次は東国や。

 そんな流れでおれらあのとこへ来たわけ。

 まあ、女でも当てがっとけ。おれは妹に、田んぼから上がってふくらはぎを洗っている姿を見せたれと命じた。それが後にミヤズ姫いわれる者になった。

 おれがゆうのもなんだけど、おれに輪をかけたねごすいやつでな。こんな女に捕まったら一生奴隷だてや。加えて、万力が凄い。一度くらいついたら千切れるまで放さん。これまでも犠牲者見てきたしな。出戻りも甚だしいが、放たれた虎のごとくしぶとく生きている。タケルもな、可哀そうになるくらいだったわ。

 あなた行ってらっしゃい。ご無事のご帰還をお待ちしております。

 嘘もええとこだに。あくる日から間男引っ張り込んでいたよ。

 タケルはスサノオ様が造ったとされる一人で持てもせんような鉄の棒をずりずりと引きずって行ったよ。わしら一党が従者も加えてやり、三人がかりだった。ところが、そんなもんでも苔脅しにはなったらしい。こんなデカイ剣のあとから、山のような巨人がのし歩いてくるのではないか。まず謝っておけ、だてや。

 タケルもあれで知恵者だったから、東国では色々自慢話をこしらえてきた。

 そして斐山に帰って久しぶりに妹と一戦交えた。その後で、これでおれも都へ凱旋できると言ったらしい。ついてきてくれるな、てってな。

 ありがとうございます。この日が来るのを待ち望んでおりました。

 一週間も逗留していたかな、骨までしゃぶられて。旅立ちの日に、ミヤズは腹痛(はらいた)おこしよった。大体、ミヤズは、タケルにゃ都に正妻も子供もおることを知っていた。自分は現地妻か、パンパンみたいなもんだとわかっとった。男も男なら、女も女だて。

 せっかくこうして旅支度整えましたのに、私は後からついてまいります。

 まあそれも仕方がないと、タケルは矛を出せと言ったという。あれを持って帰らねば、御父上にド叱られるでえ。

 あれっ? どこへいったんでしょうね、おかしいな。確かにお預かりしておりましたが、あそこの倉にいれたのかしら。行方不明でございます。

 タケル真っ青。八衢の矛がない。

 大方、野盗が引いていったかもしれませんが、われら一党の力で必ず取り戻し、私がきっちり都にお連れいたしますので、何の心配もいりません。

 タケル愕然としたが、そこまで言われるとぐうの音もなかったという。

 渋々都への道を行ったが、鈴鹿あたりでだんだんと取られたことに気づいたらしい。自暴自棄になり、あげく衰弱死したと聞いた。

 こんな言葉は決していいものではないが、尾張の「たーけ」の語源になったという。しかし、それではあまりに惨く、また自責の念もないと反省され、田分けという説に言い直された。

 もっとも、妹の言い分では、元々大昔にスサノオさまがこの地に立ち寄り根拠地となし、われら祖先の女と契りを交わしていたので、返してもらっただけ、ということのようでございます。






宝剣クサナギ君の剣 特に古墳時代に造られたものは、当時の巨大化の流行もあって、作中に登場するようなものであったと伝えられている。ここでは八衢(やちまた)の矛として登場している。八剱神社は、周縁に多く存在する。実物は、氷上姉子姫神社に長く安置された後に、熱田で発見され、それがあったという地名の由来になったという。神器を盗んだのではないかとう嫌疑を察知しての先回り、これにより熱田社は長く朝廷でも威勢を築いたとされる。


ねごすい 形容詞こすいは基本形である。強調したい場合、こっすいになる。それが常套手段と化している人格には、根という冠形容が付され、発音の事情から「こ」が濁音になる。これらは誹謗であり、こどもでさえ言われると傷つく。そのため現代ではあまり使われなくなっているが、標準語として登録されていることはされている。


量子もつれ 時空を超えるともいわれています。時代考証とか、やもくちゃれ、でお願いします。


この物語はフィクションです。

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