第22話 御前会議(中編)〜全てを見通す王冠〜
「そなたは、確かに『東部は不作である』と申したな?」
水を打ったように静まり返る議場の中、ルゼリアの冷ややかな問いかけが響く。
バレストロ侯爵は一瞬だけ虚を突かれた顔をしたが、すぐに脂ぎった顔に下劣な嘲笑を浮かべてふんぞり返った。
「左様でございますとも。東部の不作は紛れもない事実。ですが陛下、そのような当然の確認のためだけに御前会議を開かれたわけではあるまい?さては、お勉強が足りず帳簿の読み方もお忘れですかな?幼い女王ともなれば、国家の数字よりもお人形遊びの方がお似合いですぞ!」
その放言に、議場が氷点下まで凍りついた。
あまりにも不敬、あまりにも傲慢。
だが、玉座を取り囲むように座る五大家の当主たちは、示し合わせたように口を閉ざしていた。
表情を一切変えないヴォルガスト公を筆頭に、誰もが石像のように冷徹な沈黙を貫いている。
それは手負いのバレストロを憐れむためではなく、この会議の果てに「真の王」が生まれるか、あるいは潰れるかを値踏みする捕食者の沈黙だった。
『(なるほど、周りの大物共もこいつを切り捨てる準備は万端ってわけだ。……しかし、ルゼリアに対してなんて薄汚い口を。もう手加減は無しだ。ルゼリア、あの脂ぎった口に真実という鉄槌を叩き込んでやれ)』
ルゼリアの脳内に、底知れない冷徹さをはらんだ俺の念話が響く。
彼女は小さく頷くと、バレストロの言葉を遮るように凛とした声を張り上げた。
「ならば、この者たちの報告を聞き入れるがよい。入れ!」
重厚な扉が開き、議場に二つの人影が足を踏み入れた。
一人は、満面の笑顔を浮かべた東邦風の旅装束の商人、ファンドラ。
もう一人は、本当に面倒くさそうに頭を掻きながら歩く魔術師団顧問の老人、ギルギアスだ。
「なっ……!神聖なる御前会議の場に、市場の塵如き商人と、墓場から這い出した死損ないを立たせるとは!陛下、遊び相手に事欠いて、ついにそのような卑しいゴミを拾い集めるようになったのですかな!」
「静粛に。彼らは余が直々に喚び寄せた証人である」
バレストロの罵倒を、ルゼリアは氷のような一瞥で黙らせる。
ファンドラが一歩前に出ると、元気よく――抜け目のない商人の顔で口を開いた。
「いらっしゃいませ!……じゃなかった、お初にお目にかかります、偉大なる公卿の皆様方!バレストロ侯閣下、先ほど卑しいゴミと仰いましたが……ゴミにすら劣る貴方の裏帳簿を、ギルドの総力を挙げて買い取らせていただきましたよぉ!」
「な、何だと……?」
「侯爵様は『東部は不作』とおっしゃいましたが、不思議ですねぇ。東部領の秘密倉庫には例年を上回る小麦が山積みで、しかもその一部は隣国へ『四割増し』の価格で横流しされている。民が血を吐いて泥を啜っている間に、侯爵様は特大の指輪を三つも買い換えていらしたとか。ふふ、素敵なご趣味ですね?」
議場が大きくどよめいた。
バレストロの顔から、一気に血の気が引いていく。
「でっ、でっち上げだ!たかが市場の塵ごときが、我がバレストロ家の名誉を汚す気か!」
「名誉?あら、そんなもの最初からこの裏帳簿には一文字も書いてありませんでしたよ?」
ファンドラが誇らしげに取り出した皮張りの手帳。
そこへ、ギルギアスが欠伸をしながら指を指した。
「……この手帳にはバレストロ侯爵殿ご自身の魔力痕跡がくっきりと残っておる。儂の目を欺こうなど百年早いわい。民の食い物を燃やしてまで値を吊り上げるとはこの男、まさに人間の皮を被った豚じゃな」
法廷にも通用する『ギルドの商取引記録』。
魔術師団顧問お墨付きの『本人の裏帳簿』。
完璧な証拠。
逃げ場を失ったバレストロの頬が、引きつったようにピクピクと波打った。
額からは脂ぎった汗が滝のように流れ落ち、豪華な礼服の襟元を汚していく。
だが、彼は膝をつく代わりに、その顔を醜く歪めて傲慢な笑みを張り付かせた。
「……フン。それがどうしたというのです、陛下。多少の帳簿のズレや余剰分の処分……それが領地の『管理』というものでしょう。民など腹が減れば叫び、満たされれば眠るだけの家畜に過ぎん。我ら貴族がその手綱を握り、時には飴を、時には飢えを与えるのは当然の権利ですぞ!」
彼は議場を見渡し、同調を求めるように声を張り上げる。
「皆様もそう思われるでしょう!この小娘は、ただの数字遊びで我ら功臣の血と努力を否定しようとしている!麦を隠した?当然だ!無能な民に食わせるより、我がバレストロ家の繁栄のために使う方が、この王国のためになる!奴らは泥を啜り、ワシの靴を舐めていればいいのだ。それがこの世界の理というものです!」
その独善的な叫びに対し、議場は死のような静寂に包まれていた。
五大家の面々は、バレストロの「家畜」という言葉に、隠しきれない軽蔑を露わにする。
黄金を司るソラリス家は利のない愚行を蔑むように鼻を鳴らし、大地を愛でるヴェルデ家は生命を冒涜する暴論を冷たく射抜く。
自尊心すら失ったその醜態に、彼らは一斉に「関わる価値なし」と無言の引導を突きつけたのだ。
誰一人として、彼の暴論に頷く者はいない。
昨日のルゼリアによる王立倉庫の開放で、民の支持は既に女王へと向かっている。
今ここでバレストロの肩を持つことは、民衆の怒りと女王の裁きを同時に買う愚行であると、彼らは冷徹に理解していた。
バレストロの顔が、恐怖と絶望、そして底知れない逆恨みで真っ黒に染まっていく。
喉の奥から、ヒタ、ヒタ、と不気味な笑いが漏れ出した。
「ハ……ハハハ!面白い、面白いぞ!よかろう、法がワシを裁くというのなら、ワシは物理的な力でその法をねじ伏せるまでだ!」
彼は議場の中央で仁王立ちになり、脂ぎった指で玉座のルゼリアを指差した。
「ワシの王都の別邸には百もの私兵が詰めているのだ!最新の魔動鎧を纏い、対魔術障壁を完備した無敵の精鋭がな!ワシが合図を送れば、彼らは一刻も経たずにこの議場を包囲し、陛下もろともこの場を血の海に変える!ヴォルガスト公!他の皆様方も!このような小娘の独裁を許していいはずがない!」
バレストロは必死に周囲の五大家の顔を覗き込み、縋るように呼びかける。
しかし、そこに反応は皆無だった。五大家の瞳には、跪き喚くバレストロの姿はもはや映っていない。
彼らの関心は、既に盤上から消えた死人を通り越し、かつて飾り物の雛鳥だった少女が、真に「玉座の主」へと羽化する瞬間のみに注がれていた。
その異様な静寂に、バレストロの頬が激しく引きつった。
『(……滑稽だな。自分だけがまだ盤上の駒だと思い込んでやがる)』
ルゼリアは玉座から自分への殺害予告を口にした男を、路傍の石を見るかのような瞳で見下ろした。
そして口を開こうとした、その瞬間──。
「──見苦しいぞ、バレストロ侯」
ヴォルガスト公のその氷のような一言は、議場の空気を完全に致死量へと変えた。
頼みの綱であったはずの派閥の頭領に切り捨てられたバレストロは、床に這いつくばったまま脂汗にまみれた顔を必死に歪ませて懇願する。
「お、お待ちくださいヴォルガスト公!話が違うではありませんか!ワシはあなたの言葉に従ってこの策を……っ!」
「……策、だと?」
ヴォルガストは視線すら向けなかった。
感情の欠落した双眸で虚空を見つめたまま、ただ一言、物理的な質量を伴ったような重い声が降る。
「黙れ。お前が弄していたのは策などという高尚なものではない。ただの卑怯な盗みと無能ゆえの居直りだ。それを我が名と結びつけるなど、自らの器の小ささを露呈するだけだと思わないのか?」
その平坦な静寂が、バレストロの巨体を見えない壁のように床へ叩きつけた。
骨の軋む音が静まり返った議場に響き、バレストロは苦悶の声すら上げられず、石床の冷たさに突き落とされる。
「貴族の強さとは、美学と秩序にこそ宿るもの。醜く喚き、金で買った安っぽい暴力に縋らねば立てぬのであれば、その地位も命も、もはやこの王国には不要だ。……目障りだ」
慈悲のかけらもなく、まるで道端に落ちた虫を払うかのような、徹底した事務的な拒絶。
昨日の今日まで裏で糸を引いていたであろう男が、全責任を部下になすりつけ、あまつさえ「高貴な側」に立ち続けて敗者をなぶり殺しにする様は、議場にいる誰もが言葉を喉元まで出しかけるほどの、吐き気を催すような傲慢さであった。
だが、その圧倒的な威圧の前に、バレストロを庇う者など一人もいない。
絶望の底に突き落とされたバレストロは、それでもガチガチと歯を鳴らしながら、最後の虚勢を絞り出した。
「ハ、ハハ……っ!勝ち誇るがいい!ワシの別邸の兵は、既に動いているはずだ!騎士団の主力がこの議場内に張り付いている以上、外の守りはガラ空き……今頃、王都の一等地にいるワシの精鋭たちが、この議場を包囲すべく城内を駆けているわ!貴様ら全員、この議場で首を並べてワシの道連れにしてくれるわぁ!!」
バレストロが狂ったような絶叫を上げる中、ルゼリアは静かに息を吸い込むと、固く閉ざされた議場の重厚な扉へと、揺るぎない視線を向けた。
残り3話となりました。




