第19話 商人の疾走と、見えざる護衛(ファンドラ視点)
──三日目・午後。
ルゼリアの号令が会議室に響いたその足で、ファンドラは王都の南門を風のように駆け抜けていた。
背中の旅嚢には王立金庫の封印書状、腰の鍵束には宰相ヴォルデンから直々に託された決裁の証。
商人ギルド幹部にして王都一の韋駄天──それが今の彼女に与えられた肩書だった。
「さーて!ルゼリア陛下が王家のお財布をバーンッと開いてくれた以上、あたしが空っぽの馬車で帰るわけにはいかないよねぇ!一袋でも多く買い付けなきゃね!」
街道を南へ、西へ。
ファンドラは商人ギルドの伝書鳩を片っ端から飛ばし、南部と西部の協力商会に緊急の買い付け要請を送っていた。
陛下が王家の私財を投げ打ったという事実は、商人たちにとっても最大級の信用保証だ。
問題は──明朝までに王都へ届けるという、常識外れの納期だった。
「ファンドラ殿ぉ!南部街道が心配ですよ!バレストロに雇われた手下がまだ残っているかもしれないって話で!」
並走する荷馬車の御者が叫ぶ。
東部街道はルシアンが封鎖を解除したが、南西のルートにも侯爵の息がかかった野盗やチンピラが潜んでいる可能性は否定できない。
大量の食糧を積んだ馬車の列は、格好の獲物だ。
「んー、まあ確かにそこは問題なんだけどねぇ」
ファンドラは軽い口調で言いながらも、実際には額に冷や汗が浮かんでいた。
護衛なしでの夜間輸送。もし襲撃されたら、積み荷どころか命も危うい。
──その時だった。
「ファンドラ殿。お迎えに上がりました」
馬車の横に、いつの間にか並走する三頭の馬がいた。
月光の下、その騎手たちの出で立ちにファンドラは目を丸くする。
先頭を征くのは、王室のメイド服を基調とした実用的な旅装の女性。
完璧に整えられた長い黒髪がなびき、その佇まいは一分の隙もない。
彼女は穏やかな微笑みを浮かべながら、手綱を優雅に操っていた。
「王室メイド長、『マルグリット』と申します。ルルーシュカの注進を受けまして、本輸送の護衛と指揮を担当いたします。──どうぞご安心を。お嬢様の食卓を空にするわけにはまいりませんので」
その声は穏やかだが、一切の反論を許さない鋼のような重みがあった。
「え、えぇーっ!?お嬢様って陛下のこと!?あたし、護衛がいるなんて聞いてないんだけど!?」
その言葉に、マルグリットの後方から苛立った舌打ちが響く。
「いちいち慌てんな。アタシは『ヴェラ』だ。護衛だっつってんだろ。アタシらはただの掃除屋だ。邪魔する奴がいたら片づけるだけさ。さっさと馬を走らせな、商人」
改造メイド服を纏った小柄な影──ヴェラがぶっきらぼうに告げた。
その不機嫌そうな目つきの奥には、獲物を前にした猛獣のような剣呑な光が宿っている。
腰に手を当てた姿勢の裾から、尋常ではない数の武器の柄がちらりと覗いていた。
「ひっ、ひどいですよヴェラさん……。あ、あの、わたしは『ティーナ』、です……っ。ファンドラさん、初対面なのに怖がらせないでくださいぃ……」
三人目の騎手は、明らかに馬上でも怯えている少女だった。
大きなバケツを背負い、掃除道具のような長柄の得物を抱えたメイド──ティーナが、今にも泣きそうな顔で馬の首にしがみついている。
「む、無理です……夜道なんて絶対何か出ます……。でも、陛下のために走るって決めたので……ひぅっ、お化け出ませんように……!」
ファンドラは目をぱちくりとさせた後、商人の直感で三人の正体を瞬時に読み取った。
王室のメイド。
それも、普通ではないメイド。
ルルーシュカと同じ種類の──掃除のプロたちだ。
「あっはは!なるほどねぇ!王室のメイドさんって、本当に怖いですねぇ!」
***
南部街道を疾走する荷馬車の列。
マルグリットの指揮は恐ろしいほど的確だった。
「この先の渓谷手前で道が狭まります。ティーナ、先行して」
「ひぃっ……わ、わかりましたぁ……」
ティーナは泣きそうな顔のまま馬を蹴り、暗闇の中へ消えていった。
数分後、青ざめた顔で戻ってくる。
「あ、あの……。渓谷の手前に七人ほど隠れてます。たぶん野盗か、侯爵の手下の残党です。罠もあります。落とし穴が二つと、丸太が一本……」
「よくやりました。詳細な配置は?」
「え、えっと、右の崖上に弓が三、左の茂みに剣が四……こ、怖かったですぅ……」
泣きそうなのに情報は完璧。
ファンドラは「この子、泣きながら敵陣の真ん中を偵察してきたの……?」と戦慄した。
「ヴェラ」
マルグリットが一言呼んだだけで、小柄な影が馬を飛び降りた。
「七匹か。掃除するには丁度いいな。マルグリット、行ってくるぜ」
ヴェラは不敵に笑い、闇に溶けるように駆け出す。
数十秒後──渓谷の向こうから短い悲鳴と、何かが複数倒れる鈍い音が立て続けに響いた。
そして何事もなかったかのように戻ってきたヴェラは、メイド服の裾についた埃を叩きながら吐き捨てる。
「……掃除完了。おい、次はもうちょっと早く教えろよ、ティーナ。この服を汚したくないんだ。頼んだぜ」
「ご、ごめんなさいぃ……!」
荷馬車の列は一度も止まることなく、渓谷を安全に通過した。
ファンドラはこの光景を目の当たりにし、商人としての好奇心が爆発しかけていた。
「ねぇねぇマルグリットさん!あなたたち一体何者なの!?ルルーシュカちゃんの仲間ってこと?あの子も相当ヤバかったけど、あなたたちはもっとヤバいんじゃない!?」
マルグリットは馬の手綱を引きながら、穏やかに微笑んだ。
「私どもはただのメイドですよ。お嬢様のお召し物を整え、お部屋を掃除し、安らかな眠りをお守りする──それだけが務めでございます」
その完璧な微笑みの裏にある底知れなさに、ファンドラは背筋がゾクリとした。
***
夜明け前。
王都の南門に、小麦と保存食を満載した荷馬車の列が滑り込んだ。
ファンドラの手配と、三人のメイドの護衛によって、一袋の損失もなく食糧は王都に届けられたのだ。
「お届け完了でーす!ルゼリア陛下のお買い物、ぜーんぶ無事ですよぉ!」
ファンドラが元気よく報告する傍らで、マルグリットは静かに三人のメイドを集めた。
「お疲れ様でした。……ですが、本番は本日の御前会議です。お嬢様が安心して戦えるよう、私たちは引き続き裏方に徹しましょう」
「……ちっ。あの議場にいる偉そうな連中も、一斉に掃除できりゃ楽なんだけどな。まあ、今回は我慢してやるか」
ヴェラが腕を組んでそっぽを向く。
「む、無理です……御前会議なんて怖すぎます……。で、でも、陛下が頑張ってるなら……わたしも、お掃除くらいは……」
ティーナがバケツを抱きしめて小さく呟いた。
マルグリットは満足げに頷き、朝焼けに染まる王都を見渡した。
「ルルーシュカの報告通り。お嬢様は昨夕、自ら広場に立たれたそうです。あの小さなお体で民の前に。──いいえ、女王陛下は確かに変わり始めています。私たちも、ようやく本当の仕事ができる日が来たようですね」
夜明けの光に照らされた三人のメイドは、王都の喧騒に紛れるように、影のごとく姿を消した。
ルゼリアもクラウンも知らない。
自分たちが眠っている間に、この国で最も献身的な「掃除人」たちが命を懸けて食卓を守っていたことを。




