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第18話 女王の号令と、広場に降り注ぐ黄金の麦

 ──三日目・夕刻。


 王都の中央広場には、不安と飢えに苛立った数百人の民衆がひしめいていた。

 広場の中央には臨時の配給所が設けられ、バレストロ侯爵家の紋章を掲げた男たちが、尊大な態度でパンの籠を並べている。


「さあさあ、並んだ並んだ!我らがバレストロ侯爵様からの慈悲のパンだ!無能な王家と違って、侯爵様は民を飢えさせたりはしないからな!」

「文句を言う奴にはやらねえぞ!ありがたく侯爵様を讃えながら食うんだな!」


 侯爵の配下たちがせせら笑いながら、カチカチに硬いパンを無造作に放り投げる。

 空腹に耐えかねた民衆は我先にと手を伸ばすが、ただ恵んでもらう己の惨めさと、平然と王家を侮辱する男たちの言葉に、広場の空気は重く暗く淀んでいた。


「……なぁ、本当にいいのか?侯爵様が優しいのは確かだが、女王陛下が俺たちを見捨てるなんて……」

「馬鹿っ、声が大きいぞ。もらえるもんはもらっておかねえと死んじまう」


 ──そんな諦めと打算に満ちた空気を切り裂くように、広場の片隅から奇妙な噂がさざ波のように広がり始めた。


「ねえ、聞いた?あのパン、侯爵様が自分の蔵から出したんじゃないらしいわよ」

「えっ、どういうことだ?」


 群衆に紛れ込んだ、目立たない茶色のローブを羽織った女性──クロエが、巧みに人から人へと小声で囁き回っていたのだ。

 ルゼリアから直々に「侯爵のパンの正体を広めよ」と命じられた彼女は、誰よりも早く広場に潜入し、女王が到着するその瞬間に向けて地ならしを進めていた。

 毒見役として培った観察眼と、親しみやすい素朴な態度は、民衆の警戒心を解くのに最適だった。


「もともと私たちが食べるはずだった東部の麦を、侯爵の兵隊が無理やり奪い取って焼いたパンなんですって……。自分で盗んだパンを返してるだけなのに、恩着せがましいですよねぇ」

「な、なんだって……!?じゃあ、東からの街道が封鎖されてるのは……」

「王家と揉めてるせいじゃなくて、最初から侯爵様が食糧をせき止めるためだったのよ」


 クロエの仕込んだ噂は、真実に飢えていた民衆の心に瞬く間に火を点けた。

 感謝の念は疑念に変わり、やがて確かな怒りへと形を変えていく。


「おい……お前ら、まさか東の村から麦を……」

「あぁ?何言ってんだお前ら。タダでパンが食えてるんだから文句言うな!」


 侯爵の配下たちが険悪な顔で剣の柄に手をかけた、その時だった。


『──道を開けよ!!』


 広場の入り口から、空気を震わせるような腹底に響く声が轟いた。

 王立騎士団の鎧を身に纏った騎士たちが、整然と隊列を組んで広場になだれ込んできた。

 その後ろから、豪奢な装飾が施された数台の巨大な荷馬車が、重々しい轍の音を立てて進み出てくる。


 そして。

 一番先頭の馬車から、純白と赤を基調とした王族の礼服を纏った幼き少女が、シルヴィアの手を借りて真っ直ぐに降り立った。

 夕日に照らされて煌めく金髪と、頭上に戴く星天の王冠。


「じょ、女王陛下……!?」


 広場は水を打ったように静まり返った。

 まさか一国の主が、危険な空気の漂う広場へ直接足を運ぶなど、誰も予想していなかったのだ。


『よしルゼリア、完璧な登場だ。クロエの仕込みもバッチリ効いてる。あとは俺が考えた最高の入れ知恵(カンペ)とハッタリをぶちかましてやれ!堂々と胸を張れよ!』

「(う、うんっ……!決めたんだもん。わたし、もう逃げない……!)」


 馬車を降りた瞬間、数百の視線がルゼリアに突き刺さった。

 会議室で覚悟を決めたはずなのに、実際に民衆の前に立つと足が竦む。

 あの時とは比べ物にならない圧が、全身を包んでいた。


 ──だが、頭上の王冠がじんわりと温かい。

 クラウンがいる。あの時の約束通り、ずっと一緒にいてくれている。

 ルゼリアは王冠の魔力で増幅された威厳を纏い、配給所の前で立ち止まった。


 侯爵の配下たちは、本物の女王が放つ圧倒的な威圧感に気圧され、後ずさる。


「バレストロの犬共。そなたらが配っているそのパンは、随分と血の匂いがするな」


 ルゼリアの冷たく澄んだ声が、広場全体に響き渡った。


「ひっ……へ、陛下!?我々はただ、侯爵様の慈悲を……」

「慈悲だと?東部の民から収奪した麦を使い、王都の民に恩を着せる行為のどこに慈悲がある!」


 ビシィッ!とルゼリアが小さな指を真っ直ぐに突きつける。

 クロエの流した噂が女王の口から語られた事実として確定した瞬間、民衆の間にどよめきが走った。


「やはり、噂は本当だったのか……!」

「俺たちから奪った麦で、ふんぞり返ってたって言うのか!」


 怒りの矛先が一斉に侯爵の配下たちへと向く。

 彼らは青ざめ、慌てて逃げ出そうとしたが、既に騎士団によって広場の出口は固められていた。


「(ク、クラウン、この後はどうするの!?みんな怒っちゃってるよ!)」

『ここで一番の王手だ!怒りを鎮めて、ルゼリアの慈悲で上書きしてやるんだ!』


 俺からの念話を受け、ルゼリアは大きく息を吸い込んだ。


「王都の民よ!侯爵のパンなど、もう食べる必要はない!」


 彼女は後ろに控える馬車を振り返り、シルヴィアへと力強く頷いた。

 有能なメイドが手際よく馬車の幌を開け放つ。

 そこには、王城の奥深くに厳重に保管されていた小麦粉、燻製肉、そして焼きたての白パンが山のように積まれていた。


「王家の個人備蓄たる『王立倉庫ロイヤル・グラナリー』の封印を解いた!この食糧は、余の私財としてそなたたちに分け与える!もはや腹を空かせる必要はない、存分に胸を満たせ!」


 一瞬の静寂の後。

 地鳴りのような歓声が、夕焼けの空に爆発した。


「女王陛下万歳!!ルゼリア陛下ぁああああ!!」

「侯爵の偽物のパンなんか捨てちまえ!女王陛下のパンをもらうぞ!!」


 興奮した民の一部が、手にした硬いパンを地面に投げ捨てようとした、その時。


「待て!捨てるでない!」


 ルゼリアの鋭い制止の声が響き渡った。

 はっとして動きを止める民衆に、彼女は優しくも毅然とした眼差しを向けた。


「そのパンも、元を辿ればそなたたちが汗をしたてて育てた麦であろう。バレストロが奪ったとはいえ、そなたたちの血と汗の結晶に罪はない。今は持ち帰り、明日のスープの共にするがよい。……だが!」


 彼女は馬車に山積みにされた、湯気の立つ白パンを力強く指差した。


「この場では、余が用意した温かいパンを存分に食せ!今日は硬いパンなど忘れて、心の底から腹を満たすがよい!」


 涙を流しながら喜ぶ民衆の姿を見て、ルゼリアの肩の力がふっと抜けた。

 彼女は小さく安堵の笑みをこぼし、俺もまた頭上で誇らしげに魔力を輝かせる。


『やったな、ルゼリア。これでバレストロの目論見は完全にぶっ壊れた。王の中の王だぜ!』

「(……えへへ。クラウンのおかげだよ。ありがとう……)」


 広場で歓声を浴びるルゼリアを見つめる群衆の瞳は、まるで救いの神を仰ぎ見るかのようだった。

 彼女はただのお飾りの少女から、真に民を救う女王へと変貌を遂げたのだ。

 

 ──そして同時刻。

 この熱狂の裏側では、王立金庫(ロイヤルトレジャリー)の資金を託されたファンドラと『王室の掃除屋』たちが、さらなる未来の食糧を繋ぐため、南の街道を疾走していたのだった。


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