夜の森
俺はあの後気を失っていたらしい。
死神がまた何をどうしてかそれを察して、俺を回収しに来て、無理矢理だったけど起こしてくれた。
そのまま、へろへろな足を引き摺りながら屋敷まで戻って来たのだった。仮眠を取ろうとベッドに横になったが、眠りにつく前にまた叩き起こされた。
そして今、夜の外気の中にいる。
ソルが錠前をあけた。錆び付いたその門は森への入口だという。森は荒れ果てているとはいってもどこからでも入れそうで、門を通る必要性があるのか疑問に思う。
「門の意味あるの?」
柵の残骸と思わしきものを欠伸をしながら足で蹴飛ばした。
「元々は、ここら全体柵で囲まれてたんだ。自然の力に人工物は勝てないんだろうな。手に負えなくなってきてからは作らなくなった。それに、この森は入るものを選ぶみたいだから」
「ふうん」
「本当なら誰も通してはいけないことになっているんですけど」
門を潜る前に、ソルが死神に言った。
この森は昼間も真っ暗だ。夜である今は言うまでもない。ここはスヴァルトアールヴへイムと呼ばれる森で、ここに朝は訪れない。永遠の夜の森だ。
俺達は死神に言われるがままにここに来た。
俺とソル、死神とアルテさんとアルテさんの連れの男のアポロンさんとで5人だ。
「大丈夫だよ。僕、入ったことあるもん。それに、もう勅命だか使命だか知らないけど、そんなの今更意味ないでしょ」
「……そうですね。正規の道を逸れて、よく無事に戻れたと思いますよ。絶対に離れないでください」
この森の管理者であるソルは俺に念入りに釘を刺してから門を潜った。
小道を歩きながら1度ここに来た時の事を楽しそうに死神は語っている。
道はかつては整えられていたようだが、もう荒れ果てていた。かろうじて見える土の色を明かりで探し当てながら進んで行く。石に躓き、伸びた木の枝が顔にぶつかった。
「それでー、イリスと小さな家を見つけたんだ。そこが目的地だったわけ」
「今回もそうだって言うの?」
今までむっつりと黙っていたアルテさんが口を挟んだ。
死神は立ち止まって彼女を見るため振り返った。新調した拘束着はもうその役割を果たしていない。腕は解放されていて、袖だけが無駄に長いだけだ。
「そうだよぉ」
にこにことピクニックでもしているかのような調子で言った。正直俺はそんな気持ちにはなれなかった。
感触がまだ残っているからだ。音。におい。蜜の味……。
死神だけがはしゃいでいる。俺たちは嬉々として先を行く彼女のあとを黙って付いて行くだけだった。
しばらく歩いて、彼女が語った家が見えて来た。朽ちかけた小さな家は、鬱蒼とした森の中でもその存在感を失っていない。自然に還る事を頑なに拒んでいるように感じた。まだ、死ぬ時ではないのだと。
死神は扉を開けるより先に家の裏に回った。
「これ。イリスのお墓。僕が埋めたんだよ」
ここに神女が眠っているのだと言う。
彼女は信仰深い人間であるかのように、その前に跪いて祈った。
「茶番はいい加減にして。本来の目的を果たしたらどうなの」
アルテさんが痺れを切らして文句を言うのに掻き消されたけれど、確かに彼女はこう言った。
「イリス。これで終わるよ」
と。
俺はそれについて質問しようとしたけれど、死神はそそくさと家の表に戻ってしまった。
その前に、と立ちはだかるように扉の前に立つ。
「ウーラミ」
「うん?」
「ハデスを殺したのは君だ」
人差し指を突きつけながら言った。質問ではなかった。
彼女は確信している。
ソルの溜息が聞こえた。
アルテさんが俺のシャツの襟元を両手で掴んで引き寄せた。身長差のせいで前屈みになってしまうので、転ばないように耐えていると、暗い眼がくっつきそうなくらい近くで俺を睨んでいた。
「なんて事をしてくれたの」
脅すような低い声で言った。手が怒りでぶるぶる震えている。
「関係のない奴が、どうして出しゃばったのやっと会えたかもしれないのに。お前が。お前なんかが。関係ない奴が。まさかこんな奴が!計画外だった。光波に見張らせておけば……。
ああ、もう。なんてことしてくれたんだ!」
いつも澄ましているアルテさんが、取り乱して怒っている。静かなる怒りは今まで何度も体験してきたけれど、少女が駄々を捏ねるように怒るのを見たのは初めてだった。掴まれた首元が痛い。
「雪都」
と、アポロンさんが宥めているがまるで効果がない。男は頭を搔き毟った。
「あっはは!あんたさ、一体何回見てきたの?」
死神がその光景に笑い声を上げた。
アルテさんは俺を離して、死神を凝視した。
その目は驚きと憎しみに満ちている。死神の目にも同じく憎しみの色が見えるが、彼女の知らない事を知っている優越感にも浸っていた。
「何度も何度も、だよね?僕達のことを知るために、どれだけの時間を費やしたのか知らないけどさぁ。それでいて、気付かなかったの?」
俺にもソルにも全く見当がつかないことを話している。2人の仲が悪い事は知っていたけれど、死神のアルテさんに対する憎しみは想像以上のものだった。邪魔をしないに限る。
大人しくしていようと身を縮ませるとソルも同じ反応をしていた。女って怖いよな。
「こいつが現れたのは初めてだった。意味がある事なのかわからなかったんだ」
「そうだね。ウラミがこんなに長く生き残ったケースはないもの。
でもね、彼こそが1番目なんだよ?」
クスクス笑い、袖に隠れた手で口元を抑える。反対の手で俺を指差した。
「【悪魔】は彼だ」
皆が俺を見ていた。いくつかの視線の鋭さに身が竦んだ。
「い、いやいや。俺何もしてないよ。ハデスは殺しちゃったけど、それはペルセのためで、まあ結局は助けられなかったけど……」
「おかしいのはわかってた。でも、なんの機能もしてないじゃないか」
俺の弁解はアルテさんに遮られた。
「能力がないって言ってるのなら、相当馬鹿だよ。ウラミは僕を従わせる事ができるし、他の子だってそうだ。僕達は1番目に逆らえない。そうでしょ?人を殴る事しかできない奴が、どうやってハデスを殺したって言うの?」
これは俺への質問だ。
あの時の事。ちゃんと覚えている。実行していた時には意識していなかったけれど、確かに俺はハデスを操った。彼は俺に逆らえなかった。
「じゃあ、何故?どうして、今まで?」
アルテさんが聞いた。矜持を捨て、死神に教えを請う姿を見たのも初めてだ。彼女は何かのために必死なのだ。その何かを、教えてもらえる程親しくはなれなかったけれど。
「ウラミは僕らが一番してはいけない方法で死んでいた。でも今回、運良く記憶を失くして生き残れた。自分の使命さえ覚えてなかったわけだけど。僕と同じようにね。
……ああ。ただ、ひとつだけ違うのがさぁ」
間を置いて、ぐるりと俺達の顔をひとりひとり見ていった。
アルテさんが
「まさか」
と呟いた。
死神は目敏くそれに反応した。
「なぁに?記憶の事?その通りだよ。ウラミとの違い。失くしたものの『有無』だよね。
あんたは僕を騙してた。僕らを、かな。ソルもそう思い込んでいた訳だしね。
もしかして僕が何もかもを思い出したのかって心配してる?そんな必要はないって、あんたが1番わかってるんじゃないかな。
だってさ?僕には両親なんていないし、名前なんかない。記憶を消した?笑わせちゃうよね。ほんと、馬鹿にしてる。
そんなもの、最初からなかったんだからさあ!」
静かな森に死神の笑い声だけが響いている。
彼女が話すのを止めると、しんと静まり返る。誰も物音ひとつ立てなかった。
泣いているのかと思った。死神の目に涙はない。アルテさんは俯いてしまって、表情は見えなかった。ソルは呆然としていたし、アポロンさんは我関せずを通している。俺だけがきょろきょろ辺りを見回していた。
だから扉が開いたことに真っ先に気付いた。




