ウラノスの夢
ごめん。ごめん。ごめんな。ごめん……。
繰り返し聞こえる謝罪は俺へのものだ。
夢を見ていた。これは夢だとわかる夢だ。
俺は、何度か踏み入れたことがある、あの千切れた世界の中にいた。
果てはない。先は暗くて見えやしない。闇に包まれている。床は変わらず千切れた紙で覆われている。
でも、ひとつだけ違うところがあった。真っ暗な中に、明かりが灯っていたのだ。
そして人影。
俺は誘われるようにそちらへ向かった。
小さな机の上に、燭台。その傍らの椅子に座って、優しく本を捲る人がひとり。
黒い衣に身を包んだ男がいた。
「やあ」
俺が近づいて来たことに気がつくと、顔を上げて言った。
「久しぶり、かな。ウラノス」
首元まで伸びる黒い髪。二房の癖毛が風に靡くように揺れる。
その瞳の色は——燃えるような赤だ。
「……誰?」
優しく笑う顔に見覚えはなかった。久しぶりと言われてもわからない。
「そうだなぁ。この姿じゃわからないよね。僕も不安だけど。君の兄貴だよ」
兄さん。
言われても、ピンと来なかった。
「うん。それでいいんだよ。思い出さなくて良いことだったんだから。君は思い出す度に苦しんで、その役目を果たすことができなかった。君は優しいから、罪の意識に抗うことができないでいたんだ。
君の記憶を消すことこそが、【悪魔の子】を終わらせる唯一の方法だった。うまくいかなくて何度も君は死んでしまった……でも今回は、成功したみたいだね」
目を伏せて、彼は話し始めた。
街から離れた森の中。小さな家で父と母、そして兄と弟の4人暮らし。病気がちな兄はいつも床に伏していた。貧しい暮らしだった。兄が生きている間は明るい家庭だった。
兄には持って生まれた使命があった。だが、それを達成するためには身体が弱すぎた。
兄の死から、全てが狂い出した。
何度も悪夢を見た。兄は何度も死んだ。
何度も、何度も。
兄が死ぬ度に誰かが壊れた。
兄弟は日記をつけるようになった。残る事もあるし、残らない事もあるけど手掛かりにはなった。
結論は出た。身体の弱い兄には耐えられないのだと。
覚悟はできていた。
兄のせいで、このまま足踏みしてはいられない。
ふたりで考えた。様々な方法を試した。
失敗しても、次があった。
最後の方法は残酷で、一番やりたくないものだった。
それは、
「やめてくれ!」
俺の口から飛び出た悲鳴だった。思い出したくない。
——それは成功してしまった。
兄の性質を弟が引き継いだ。
兄はいなくなった。
兄の存在価値はそれだけだったのだ。
弟は呪いを解く方法だけを考えた。1人ではできなかった。
「嫌だ。聞きたくない。もう、もううんざりだ!やめてくれ!」
俺の悲痛は叫びは聞き入れられた。俺が思い出したことを彼が悟ったのだ。
立っていられられなくて、へたり込んだ。
——そうだ。俺は何度も死んだ。自分で、死んだ。
死んでも次があった。終われない。終わらせられない。
壊れたのは俺だったのだ。
「ウラノス」
「違う。俺はウラミだ」
「……うん。ウラミ。過ぎたことはもういいんだ。忘れてしまっていい。君たちがこんな運命を辿ることになったのは、君たちのせいじゃない。俺たち、が……」
彼が口を噤んだので顔を上げた。
「いや。これ以上の説明は明日にしよう。君の記憶について、話しておきたかったんだ。
実家で待ってるから。皆で一緒においで」
「明日?実家?」
「そう。死神が全部わかってるから心配しなくて良い。
……終わりにしよう。君たちは、始まらなきゃいけない」
「終わるの?本当に」
「終わるよ。始まりがあれば、終わりもある。終わらない夢は、彼女だけのものだよ」
「彼女?」
「夢を見続けて、本当の自分を見失ってる可哀想な子がいるんだ。君も、その一人だったろう?」
いつの間にか側に立っていた彼が、俺に手を差し伸べた。赤い瞳が優しく促す。
その手を取った。
「さあ、目を開けて。死神が待ち遠しそうに覗き込んでいるよ」
夜の終わりが来る。




