彼は誰
「待ちくたびれたわ」
扉を開けた人物が言った。落ち着いた声で、聞き覚えがある。足下から顔までゆっくりと眺めて行くと、やっぱり見覚えのある顔だった。誰だっけ。
「私を忘れたとでも言うの?」
「エリー、か?」
ソルの発言でようやく気がついてハッとした。
いつもはお団子にしている髪を下ろしていたからわからなかったのだ。ふわふわとゆるくウェーブした黒い髪は胸まで伸びている。
「その通りです。さすがですわ旦那様」
茶化すように言った。雰囲気が変わり過ぎてわからなかった。
エリーは支給された制服ではなく、騎士のような格好をしていた。レースのついたブラウスに、白いパンツを履き、コルセットをつけている。踵まである長くて黒い夜の色のマントをくるりと翻し、膝上まである踵が高いブーツを鳴らして
「続きは中で話しましょう。いらっしゃい」
と言った。
静まり返っていた俺たちは、エリーに促され家の中へ入った。アポロンさんは落ち込んでしまったアルテさんの腕を支えながら一緒に入った。
家の中は外観と比べものにならないほど奇麗だった。どこも古ぼけていないし、ほこりもない。新品同様だった。別の家に入ったような気分になる。
「ちょっと狭いわね」
居間は人数が多くてぎゅうぎゅうだった。テーブルの周りには4つしか椅子がなくて全員座る事ができない。
「すぐ終わるから問題ないよ」
家の中にはエリーの他にもうひとりいた。4つしかない椅子のうちのひとつに座って待っていた。男だ。
黒い布を身体に巻き付けて、腰の辺りで金色の紐で結んで服の代わりにしているような格好の男だった。左腕は完全に布に包まれている。エリーと同じようなふわふわの黒い髪。2房の髪が天に向かって跳ねて、風に靡いているかのようにゆらゆら揺れていた。
優しそうに微笑む彼の瞳の色は真っ赤だった。
脳が揺さぶられた。見覚えがあったのだ。
死神が彼の事を「セーレ」と呼んだ。
「ようやくここまで……いや。いい。始めようか」
セーレは俺を見た。
「聞きたいことは?」
「あ、兄貴……?」
俺の口が勝手に動いた。
そうだ。夢。夢の記憶だ。
彼は柔らかく、夢と同じ笑みを浮かべた。
「答えはイエスでありノーでもある。あれは俺の姿を借りただけだよ。もう、お前の兄貴にそんな力はないからね。俺も、もう……色んなことを忘れているけど」
「はあ……?」
「まあいい。話すよ。まずは何からにしようか」
彼の質問にはエリーが答えた。
「そうね。私たちのことからでいいんじゃないかしら」
「ああ。そうだな。俺とエリーは双子なんだ。お前たちとは種族が異なるけど、今のこの世界ではあまり関係ないから省略するよ。
【悪魔】については言っておこうか。これも種族の一つでね。君たち【悪魔の子】と呼ばれる者が持つ魂の欠片はその【悪魔】のものだ。これは俺たちの大事な人のもので、ちょっとした事故のせいで散り散りになってしまった。俺はそれを集めるためにここに来た。
6つに割れた欠片はそれぞれ人間を選んだ。悪魔は人間の血肉そのものも、感情や心といった目に見えないものも食糧にする。その魂も例外じゃなかった。魂の欠片は選んだ人間たちに巣食い、感情を貪り、育っていく。力をつけてしまう前に回収しなければならなかった。でも、力が及ばなくて、成し遂げられなかった。不完全に異世界に乗り込んだから、俺にだってできないことはある。
そのせいで、こんなにも長い間君たちを巻き込むことになってしまったのは申し訳ないと思っている。人の血までをも求めるようになるまでになってしまって……。それがどれほどの苦しみだったか、俺たちには計り知れないけれど、君たちの苦しみようからはなんとなく察している。本当にすまなかった。
本来、一番強い欠片を持つものが魂の回収役に回るはずだったんだ。そのために1番目には力も与えた。だが彼は不運にも身体が弱く、立ち回ることができなかった。だから弟に託した。その方法は説明してあげられないけど、彼もその罪の意識に苛まれ、死を選んでしまう。
俺はその度に時間を戻した。失う訳にはいかないんだ。だから始めからやり直させた。でも駄目だった。何度も失敗して、このままでは駄目なんだと思った。なんとか運命を変えようと最後の力を使って不安定な要素を送り込むことにした。
それが【死神】だ。魂を集めさせて終わらせる役目を負わせた。1番目さえうまくやれていたら、7番目は必要なかったんだ」
ここで言葉を切って、死神を見た。
死神は目を閉じて、首を振った。
「そして異世界からの訪問者だ。うん。君と君」
アルテさんとアポロンさんを見た。
「エアを求めて来たんだろう?彼女の魂に誘われて、ここに辿り着いた。違う?」
アルテさんは目を伏せて、肯定した。
「時の女神だからね。そういう人は少なからずいる。君たちのお陰で運命が変わったのは確かだ。
夜闇を半分にされた時はどうなることかと思ったよ。使命も忘れていたし、もう駄目かと。結果的に成長に繋がったし、人間らしくもなった。驚いたよ。そのせいで、壊れかけてもいるけどね。
とりあえず、礼を言うよ。手伝ってくれてありがとう。
でも、ね。残念ながらこれは彼女を彼女たらしめるだけのものだ。ハズレだよ」
セーレは冷たく言い放った。
ふう、と息を吐き、沈黙を破ったのはアルテさんだった。
「……そう、はっきり聞けて、良かった」
「雪都」
「わかってる。次を探す。世界はここだけじゃない。
……他所へ行くよ。ここに望みは無さそうだ」
「ひとつだけ聞いても?」
「ああ」
最早彼女は投げ遣りに頷いた。
「移動はどうやって?」
「……鏡だ」
「なるほど。白雪姫というわけか」
「魔女じゃなくて鬼に貰ったものだけどね」
「自分を見失わないでくれ。手放したら、帰れなくなる」
「余計なお世話」
切って捨てるように言った。それから
「もう行って良い?」
とセーレに聞いた。彼は見送ってくれないのか彼女に聞いたが、アルテさんは厳しく突っぱねた。
「湖は奥にある。迷わないように気を付けて」
「ここにも、あるんだね」
「世界は似てしまうからね。きっと、旅を続けてくれ。彼女が見つける。自分がしでかしたことの始末は必ずつけるだろう」
「そう願う。光波、行こう」
アルテさんはそのまま俺たちには目もくれず、乱暴に扉を開け放つと夜の森へ去って行った。アポロンさんは出て行く前に一礼して、扉を閉めた。
彼女達が去ってから
「こんなものでしょう。さっさと回収してしまって」
とエリーが言うと、セーレが頷いた。
眉間をぐっと人差し指と親指で摘んでから言った。
「さて、1番目。君には重たいものを背負わせてしまった。そのお詫びだ。このまま君の人生を歩んで行けるようにしてあげる。
さあ、こちらへ」
導かれるがままに近寄ると、セーレが立ち上がって俺に右手を翳した。肩の下まである黒い手袋の上に銀の腕輪をつけている。その腕輪が目の前で揺れている。
「……君が持っているのは5番目と6番目だね。重たかっただろう。エアを返してもらうよ。すぐ済むから」
「エア?」
頷いて微笑むと、彼の手は頭のてっぺんから額に下がり、そっと包帯を外した。赤い瞳が剥き出しになる。
そっと頬に手を添えられて、彼の唇が右目の瞼に触れた。
その途端、俺の身体は羽根のように軽くなった。
宙に漂うような心地だ。魂が抜けて行ってしまったのかと思った。
——殺されるのかと思っていた。他の【悪魔の子】は皆死んでしまっている。それが魂の欠片を抜く唯一の方法だと思っていた。
彼の先ほどの発言は嘘ではなかった。気が抜けてその場に崩れ落ちてしまったが、まだ生きている。死にそうなわけでもない。
セーレは俺を見て微笑んだ。
「帰ったら鏡を見てみると良い。君は本来の君を取り戻した」
よく、わからないけど、俺を悪いものから解放してくれた事は確かだ。
これでおしまい。
それがようやくわかってきた。
何が変わったのかとソルを振り返ると、彼は右目を指差して教えてくれた。
ああ。きっと瞳に刻まれていた死の紋が消えたのだ。人間の瞳になっているのだろう。
「ふう」
「終わったわね。私たちもそろそろ行きましょう。なんだかあなた気持ち悪いわ」
エリーがセーレの肩にそっと触れた。
「失礼ですね。混ざってるからしょうがないですよ」
彼の雰囲気が、変わったような気がするが、見た目だけではわからない。あの目がまだ俺についていたら、わかったのかもしれないのに。もう、あの力は失われたのだろう。
机を避けて立ったエリーは胸に付いた赤いブローチを外した。
エリーがトン、と床を踏み鳴らすと同時に現れたのは、大きな円に十字が貫いている、俺達が死の紋と呼んでいるものが床一面に現れ、美しい銀色の光を溢れさせている。
その中心にセーレとエリーは立った。セーレが手招きする。
反応したのは死神だった。
「ユキト」
ソルの掠れた声が彼女を呼んだ。手を握って引き止めている。振り返るその顔には表情がない。
「馬鹿だなあソル。そんな顔して。話を聞いてなかったの?僕は誰でもないんだよ。ここは僕の場所じゃない。還るんだよ」
「帰る?家じゃないところへ?」
「君の家は僕の家じゃないよ」
冷たい響きが含まれている。
「これから、そうすればいい。前みたいに。あなたもそれを望んでいると思ってた。違った?俺だけ……いや、それでもいいんだ。居てくれさえすれば。
それも駄目だって言うんですか?ウラミは、許されたのに」
ソルはまだ懇願を続けた。
「ウラミはちゃんと人間だった。兄貴の半分だけを引き継いで中途半端になっちゃったけど、元は人間なんだ。だから人として生きていける。
でも僕は違う。誰でもない僕は誰になれる?僕は夜闇だ。彼のもとに還ることが、本当の僕の姿なんだよ」
信じて生きてきたことを自分で全否定している。彼女の気持ちを思うと胸が苦しくなった。とても堪え難いだろう。
そして、彼の気持ちも。俺なら耐えられない。
煌々と輝く床の陣だけが明るかった。
沈黙を破ったのはふう、とセーレが息を吐く音だった。
「エリー」
「……問題ないわ。このまま連れて行く方が問題なんでしょう」
「はい。僕はそんなこと望まない。繰り返したせいで、3つの魂に蓄積された力は思っていたよりも大きい。大丈夫だと思います」
「そうよね。間違いなく、あの子ならそう言うわ」
セーレとエリー、2人は少し寂しそうな顔をしている。そっくりな顔を見合わせると、エリーが肩を竦め、セーレはそれを見て頷いた。
再び手招きして呼び寄せた。死神はソルの手を振りほどいた。
「そうだなあ……レト、とかどうでしょう?」
「あなたそれ自分の……」
「文句を言うならエリーがつけてください」
「嫌よ。それでいいじゃない」
「うん、じゃあ決まりです」
俺たちにはなんのことかわからず、皆きょとんとした。
セーレが苦笑する。
「死神。僕の夜闇。君の事ですよ」
「レト?」
「君の名前。レト……リュキア。うん。君はレト・リュキアです」
「人間にしてくれるの?」
その発言で彼女の望みが聞けた。俺は嬉しく思った。
セーレが優しく死神を撫でている。
「ウラミにだけじゃ不公平だから、君にも。リクエストに応えて、女の子にもしてあげますよ」
「……僕、女だと思ってたけど」
「いえ。君はつるつるの身体を見てそう思い込んだのです。君に性別はあげていない。ソルはじっくり見てないから気付けなかっただけですよ」
俺がソルを見たら、すごい勢いで顔を逸らした。
お前……。
「さ、目を閉じて」
セーレが彼女の瞼にキスをした。俺にしたのと同じように。済むと彼は彼女の背中を押して、馬鹿みたいに突っ立って見てた俺たちの方へ返した。
「ぎゃ!」
つんのめって転びそうになった彼女を2人で支えたが、結局その場に3人揃って崩れ落ちた。
ぐちゃぐちゃになりながら感じた彼女の身体は、じんわりと温かかった。
突然巻き上げるような風が起こり、驚いて顔を上げた。
振り向きがちにセーレが笑う。
エリーがブローチにキスをすると、途端に彼らの姿は大きな穴から覗く闇の中に呑み込まれるように消えてしまった。
突風で家が壊れたんじゃないかと思ったけど、何事も起きていなかった。床の陣も跡形もない。
そこには俺たちだけがいた。
顔を見合わせて笑った。
何もない、笑顔だけがあった。
窓から朝日が差し込んでいる。
日が入らないはずの夜の森に。




