95 黒狐との密会
今日は猫の日ですね。
【大陸歴1415年9月15日 深夜】
〈バグラ視点〉
ビラル老人が彼らを案内したのは、一階のとある部屋だった。
ここは指名を受けた娼婦たちが、客の相手をするための場所。
長い廊下にそって扉が並ぶ、その一室だ。
3人が入るとすぐに、ビラル老人は扉を閉めて、その場を離れていった。
狭い部屋の中は薄暗く、媚薬の煙で満ちている。
簡素な酒卓と低い寝台。
そこに腰掛ける一人の女を見て、バグラは太い笑みを浮かべた。
「客の相手をするには、ちと薹が立ちすぎてねえか?」
「半人前が、生意気なこと言うじゃないか、バグラ。」
犯罪組織『黒狐』の長、ファティーマ。
白いものが目立つ長い黒髪から、狐の耳を飛び出させたその女は、目線で自分の向かい側の席を指し示す。
バグラはそれに従い、どかりと腰を落とした。
デケムとオルワが彼に続く。
ファティーマは、冷淡な目で目の前の3人を順番に睨めつけた。
傲然と、臆することなくこちらを真っ直ぐに見るバグラ。
たくましい顎をぐっと引き締め、睨むような表情のデケム。
そして、まったく感情を見せない黒檀の美女オルワ。
オルワに目を止めた彼女は、口の中で小さく「ほう」と呟いた後、再びバグラに向き直った。
「まどろっこしい話は無しだ。お前さん、ナクリアットを殺すつもりだね。」
「ああ。どうして、そうだと?」
「その男、デケムがここにいるのを見りゃすぐに分かるさ。」
その言葉にデケムが目を見開く。
「あんた、俺のこと知ってるのか?」
初対面のはずのファティーマに名を呼ばれ、デケムは思わずそう聞き返した。
ファティーマは小馬鹿にしたように、小さく鼻を鳴らした。
「ふん。見ての通り、あたしの耳は長くてね。聞きたくなくてもいろんな話が入ってくるのさ。」
挑発するようにデケムを見るファティーマ。
寝台の上に広がった彼女の長い狐尾がパサリと動く。
「例えば、信じてた身内に裏切られて、目の前で大事な主人を殺された間抜けな護衛の話なんかもね。」
思わず立ち上がりかけたデケムを、バグラは右手で制した。
バグラは奥歯を噛み締め、瞳にぐっと力を込めて、ファティーマを睨み返す。
「ザイヤードには借りがある。俺はそれを返したい。力を貸してくれ。」
ファティーマは値踏みするように、バグラを見た。
「あんな男でも、結構役に立ってるんだよ。何しろこの街に集まってくるのは、人を人とも思わないようなろくでなしばかりだからね。そんな連中に首輪をつけるには、あのナクリアットみたいな外道が必要なんだ。」
バグラを見つめるファティーマ。
その瞳の中に揺らぎを見つけようと、彼女は更に言葉を重ねた。
「ザイヤードが簡単に死んじまったせいで、この都市は一触即発。おかげで商売上がったりだよ。見たろう、この街の様子をさ。」
ファティーマは小さく両手を広げてみせた。
確かに彼女の言う通り、ここに来るまでに見た歓楽街の賑わいには、多少の陰りが見えていた。
「でも、時間が経てばそれも落ち着く。ザイヤード一家の残党が全員死んでくれりゃ、ナクリアットがその縄張りを引き継ぐだろうからね。」
「だが、そうなればあんただって無事じゃいられないだろ!」
たまりかねたデケムが叫ぶ。
それを心底見下したように、ファティーマは言った。
「あたしらを舐めるんじゃないよ、若造。荒事じゃなくたって、あいつと渡り合う方法くらい、ごまんとあるんだ。」
怒りを顕にしたことで、彼女の黒髪がざわりと逆立つ。
それを隠そうともしないまま、彼女はバグラに問いかけた。
「今、ナクリアットを殺されるのは困る。それがあたしの答えさ。」
「話にならねえ! これだから獣人は・・!」
激昂して叫ぶデケム。
ファティーマは怒りを抑えた、地の底から響くような声で言い返した。
「差別されてる獣人だからこその生き方ってのがあるのさ。北方人のあんたには、分からないだろうがね。」
唐突に出身地を言い当てられたことで、デケムは虚を突かれた。
部屋の中に沈黙が降りる。
その時、バグラがゆっくりと口を開いた。
「今は、だろ? じゃあ、どうすればいい?」
ファティーマの長い尾がぱさりと音を立てる。
彼女はじっとバグラを見た後、ややあって口を開いた。
「安い挑発には乗らないかい。ただ腕っぷしだけで突っ走る蛮勇なら、このまま帰るつもりだったんだけどねぇ。」
バグラの後ろに座るオルワに目線を投げる。
・・・この女か。
シディーカから「バグラは変わった」と聞き、危険を冒してここまで来た。
どうやらその甲斐はあったようだ、と彼女は胸の裡でほくそ笑む。
「ああ、今は、さ。条件があるんだ。それを呑んでくれるなら、話を聞いてやってもいい。」
「何をすればいい?」
「ナクリアットが隠してる裏帳簿。それを手に入れておくれ。それさえありゃ、あの外道を消した後も、この都市は『静か』でいられる。そのための情報は出す。」
「いいだろう。引き受けた。」
バグラの即答に、流石のファティーマも鼻白んだ。
「ずいぶん簡単に言うじゃないか。本当に分かってるのかい?」
彼女の問いに対し、バグラは左腕を突き出した。
「俺はすべてを手に入れる。その俺が、こんなところで迷うわけがねえだろ。」
銀鈎の向こうに光る瞳。
これは単なる虚勢や欲望ではない。
その声に宿る確信に、ファティーマは内心、舌を巻く。
彼女は久しく忘れていた胸の高鳴りを覚えた。
狐の耳を揺らし、思わず声を立てて笑う。
「何がおかしい?」
「いいや、何も。何も可笑しくはないさ。」
憮然として聞き返すバグラに、ファティーマは笑いを堪えながら返事をした。
「これで契約成立だ。あんたの仕事ぶり、じっくり見せてもらうとするよ。」
右手を差し出すファティーマ。
バグラは迷いなくそれを掴んだ。
「ザイヤードが死んだのは、本当に残念だよ。あの爺とは結構長い付き合いだったからね。」
「なっ?!」
ファティーマの言葉に思わず声を上げるデケム。
彼女はそんな彼に小さく頷いてみせた。
「あたしだって、ナクリアットのやり方は気に食わない。あんたたちには期待してるさ。」
その言葉に、デケムは己の浅慮を恥じた。
何も言えず、ぐっと拳を握りしめる。
「あんたをダシにしちまった。悪かったね、デケム。」
「・・いや、俺の方こそ、すまなかった。」
デケムは獣人に対して暴言を浴びせたことを素直に詫びた。
「詫びと言っちゃなんだがね。詳しい話をする前に、あんたたちに伝えておくよ。」
ファティーマはそう言うと、3人の顔をゆっくり見回した。
「サファは生きてるよ。ナクリアットに囚われてる。おそらく、裏帳簿もそこにあるはずさ。」
ファティーマから告げられた衝撃の事実にデケムが凍りついたように動きを止める。
だが、バグラはすぐに疑義を投げかけた。
「あんたの探してるもんと、サファが一緒にあるってのか? そんな都合のいい話があるかよ。」
ファティーマは何も答えなかった。まるで何かを試すような表情で、バグラを見つめるばかりだ。
バグラは訝しがるように彼女を見ていたが、やがて表情を変えてニヤリと笑った。
「なるほど・・そういうことかい。まったく食えねえ婆さんだ。」
「い、いったいどういうことだ、バグラ!? ファティーマが言った、サファが生きてるってのは本当なのか!?」
一向に話が見えてこないデケムは、その苛立ちをバグラにぶつけた。
「まあ、そう焦りなさんなって旦那。ここから先はすべて、この婆さんの策略ってこった。」
バグラはファティーマを睨めつけた。
「あんた裏帳簿を引っ張り出すために、あの野郎を嵌めたんだな。その流れで偶然、サファのことを知った。違うかい?」
「脳みそまで筋肉で出来てるかと思ったが、あんた、見かけによらず頭が切れるんだね。後ろの男は見かけどおりのバカ正直のようだが。」
ファティーマは2人の男の反応を、面白がるようにそう言った。
「バハムテジャリにつながりがあるのは、別にあいつだけじゃないってことさ。あたしが手を回して、架空の取引を持ちかけさせた。エサを用意するのにずいぶん金はかかったけどね。だが、その分、デカい獲物をおびき寄せることはできたよ。」
「なるほど、奴隷取引か。」
ファティーマが取引の流れで、サファの生存を知るとなれば、それしかありえない。
ファティーマは目だけで小さく頷いて、バグラの言葉を肯定した。
「違法媚薬と呪具、有力な顧客のリストもぶら下げてやった。臆病なあいつが、欲に負けて巣穴から出てくるには十分過ぎるくらい旨味のあるエサさ。なにしろあいつ、大損こいた直後だからね。」
意味ありげに言葉を止めるファティーマ。
臆病で慎重なナクリアットがザイヤードを暗殺するという大胆な策を実行した理由。
バグラによる軍船強奪によって、ナクリアットが追い詰められたからではないか。
その目は、そう問いかけている。
しかし、バグラはあえてそれを無視し、彼女に尋ねた。
「場所は特定できてるのか?」
「・・あいつは臆病だからね。普段なら大事な裏帳簿の在り処を特定させるような真似はしない。だが、今回は特殊な取引場所を指定してある。デカい取引だからね。商品を揃えるために時間がかかるはずさ。そうなれば、場所の特定は簡単。情報ってのは、時間が経てば経つほど、漏れていくもんだからね。」
「だが、あいつだって馬鹿じゃない。そう簡単に奪わせはしないだろ?」
「もちろんそうさ。今、その場所はナクリアットの私兵たちでガッチリ固められてる。もちろん秘密裏にだがね。あたしらは荒事が苦手だ。だから、搦手で手に入れるつもりだったんだけど・・。」
「内通者がいるんだな。」
「弱みを握って首根っこを抑え込む。こすっからいあいつは、そんなやり方が好きでね。だがその分、下の連中から、ずいぶん恨みを買ってるようだよ。」
ファティーマが凄みのある笑みを浮かべる。
「もっとも、あんたらがいるなら話は簡単さ。そうだろう?」
「ああ、任せてもらおう。」
「サファは!? サファは無事なのか!?」
「・・・生きてるのは分かってるよ。この歓楽街でも、あの子は売れっ子だったからね。簡単に殺しはしないさ。ただ。」
ファティーマはゆっくりと一度、瞬きをした。
「・・ずいぶんと手荒な扱いを受けているようだ。大人しくさせるためだろうね。」
見せしめだ、とバグラは思った。
反抗的な奴隷を派手に痛めつけることで、他の奴隷の気持ちを折る。
彼自身もよく行っている、奴隷商人の常套手段だ。
ましてやサファは、バグラやザイヤードとのつながりを知られている。
その仕打ちが苛烈なものになることは、容易に想像できた。
「・・・サファの居場所はどこだ?」
デケムが押し殺したような声で尋ねる。
「8番埠頭の食糧倉庫さ。何の変哲もない貯蔵庫だが、その地下には違法な物がごまんと仕舞い込まれてる。」
デケムはそれを聞くなり、曲刀を手にして音もなく立ち上がった。
「待ちな、旦那。どうするつもりだ?」
「決まっている、サファを助けに。」
「取引直前になれば、奴もそこに姿を表す。あんたらの出番はその時だね。」
「それはいつなんだ?」
「明後日の夕刻。」
「そんなには待てない。俺は一人で行く。」
ファティーマに背を向けるデケム。
その腕をバグラはしっかりと掴んだ。
「邪魔をするな、バグラ。」
「落ち着け、旦那。あんたらしくもないぜ。サファは殺されることはない。婆さんもそう言ってるだろう。」
「あいつらは奴隷を大人しくさせるために呪薬を使う。あれを大量に使われた人間がどうなるか、お前だって知ってるだろう、バグラ!?」
デケムは激昂してバグラの胸ぐらを掴んだ。
人間の意志を挫き、従順にさせる呪薬。主に愛玩奴隷に使用される違法媚薬だ。
この薬に魂を穢され、廃人に成り果てた人間は、どんな神聖魔法を持ってしても、二度と元に戻ることはない。
「もちろん知ってる。だが、それがどうした?」
「なに!?」
「旦那の望みはなんだ? ザイヤードの親父を殺したナクリアットにけじめを付けさせることじゃねえのか!?」
「そんなことは、分かってる!! だからって、サファを見捨てろって言うのか!!」
「ああ、そうだ。」
きっぱりと言い切ったバグラ。
だがその目に冷たさはない。むしろ、燃えるような色をたたえて、まっすぐにデケムを見据えている。
「お前、自分が何を言ってるか分かってるのか!!」
「あんたこそだぜ、旦那! サファが何のために、命を捨ててあんたを逃がしたか、分かってんのか!!」
デケムの胸ぐらを掴み返したバグラは、彼を上回る熱量で怒鳴り返した。
その言葉に、瞳に、デケムは返す言葉を失った。
「今、選ぶときなんだ。あんただって、本当は分かってるはずだ。でないと。」
バグラはデケムを掴む腕にぐっと力を込めた。
「でないと、また、守れなくなるぞ。」
デケムの顔が大きく歪む。
彼はその場に崩れ落ち、両膝をついた。
「ちくしょう!! ちくしょう!!」
拳を床に叩きつけるたび、男泣きしている彼の目から、涙がこぼれ落ちる。
バグラは彼を放ったまま、ファティーマに向き直った。
「細かい話を聞かせてくれ。」
押し殺した声でそう言ったバグラを見て、ファティーマは口角を吊り上げた。
「・・久しぶりにいいものを見せてもらったよ。シディーカに謝らなきゃいけないね。」
怪訝な顔をするバグラに、ファティーマは言った。
「いや、こっちの話さ。段取りを打ち合わせる前に一つ言っておく。」
ピシャリと言ったその言葉に、デケムも顔を上げた。
「サファのことは、あたしにもどうにもならない。ただ、あの子の世話をしてる奴には、鼻薬をたっぷり嗅がせてあるからね。混ぜ物をして、呪薬の進行を遅らせることぐらいは出来るかもしれない。」
しかし、口を開きかけたデケムに、彼女は冷たく言い捨てた。
「だが、それもあくまで気休めだ。結局はあの子がどこまで耐えられるか。それ次第だよ。」
デケムは涙を拭うこともせず、立ち上がった。その体からは、先ほどとは違う静かな闘気が満ち溢れている。
「いつもの旦那に戻ったみてえだな。」
「ああ、みっともないところを見せた。すまん。」
デケムはそういうと、ファティーマに向き直った。
「俺たちが帳簿を手に入れる。そのための話を聞かせてくれ。」
お読みいただき、ありがとうございました。




