94 魔都へ
甘い物を食べすぎました。やばいです。
【大陸歴1415年9月14日 日暮れ直後】
〈バグラ視点〉
ナクリアットの私掠船団を壊滅させてから2日後。
バグラ、オルワ、デケムの3人はペルアネゲラにほど近い場所で、自らの船団を離れた。
「今月中にはケリを付ける。船団のことは頼んだぞ、アーシ。」
「任せといてください、アニキ。見つからないように、航路を外れて潜伏しておきます。10日後に、ここでお待ちしてますんで!」
走り去る船団を見送った3人は、騎鳥でペルアネゲラを目指した。
太陽は先程沈んだばかり。
吹き渡る風によって、砂に蓄えられていた熱は瞬く間に奪い去られた。
しんと冷えた砂を蹴散らしながら、騎鳥たちは月明かりを頼りに砂丘を越えていく。
日の沈んだ砂漠には、動く影すら見当たらない。
騎鳥が砂をかく音だけが、静まり返った砂面に一定のリズムを刻む。
時折、砂丘の向こうを行き過ぎる船から身を隠しながら、彼らは慎重に都市の玄関口である港へ近づいていった。
やがて、月明かりの下でも、港で働く人々の様子が確認できるようになった。
騎鳥を降りたバグラは、デケムに問いかけた。
「旦那、あんた潜伏の経験はあるのかい?」
「ああ、軍にいた頃にちょっとかじった事がある。」
「なら、問題ねえな。」
バグラの視線を受けて、彼に寄り添っていたオルワが小さく頷いた。
直後、オルワの神聖魔法〈静寂の祈り〉によって、彼らの周囲から一切の音が消えた。
彼らは夜陰に乗じ、港に停泊しているたくさんの船の間を通って、桟橋に足を踏み入れた。
桟橋に立って程なく、市街地の喧騒が彼らの元にも届く。呪文の効果時間が経切れたのだ。
物陰に潜みながら、3人は市街地の明かりに向かって歩き始めた。
「まずはファティーマを探すとしよう。」
「あの婆さんは潜伏中のはずだ。どうやって見つけるんだ?」
「風のことは船乗りに聞けっていうだろ、旦那。俺に心当たりがある。」
フード付きの長衣で正体を隠した3人は、バグラの案内で歓楽街へと向かった。
目的地は、とある娼館。
同じような店が並ぶ表通りでも、一際目を引く派手な装飾が特徴的な建物だ。
「お、ちょうどいい奴が見つかったぜ。」
店の裏口に回ったバグラは、ゴミ出しをしている一人の老人を見つけてそう言った。
「よお、景気はどうだい、ビラルじいさん。」
「!! あんた、バグ・・!!」
大声を上げそうになった老人の口を、バグラは咄嗟に右手で塞いだ。
「・・あんた、生きてたのかい?」
周囲に目を配った後、囁くような声で問いかけた老人に、バグラは頷いてみせた。
「ああ、生憎とな。剽窃の神はまだ、俺の魂を掠め取れなかった。」
「女将さんが喜ぶよ。あんたのことを聞いて、ずいぶん荒れてたからね。さあ、入っておくれ。」
気の良い老人はそう言って、彼らを娼館の中に招き入れた。
中に入った彼らがフードを外した途端、老人はオルワに一瞬目を止め、訝しむような表情をした。
長年多くの女たちを見てきた彼だからこそ感じる、ごくごく僅かな違和感。
その振る舞いから漂う、隠しきれない気品だけでは、説明がつかない何か。
しかし、すぐに何事もなかったかのように視線を逸らした。
自分でも気づかないまま「これに触れてはならない」と本能的に感じ取ったからだった。
彼は取り繕うように微笑むと、3人を下働きたちが使う裏通路へと案内した。
老人に礼を言い、暗い階段を通って3階へ上がる。
バグラは慣れた調子で粗末な扉をくぐり、絨毯の敷かれた明るい廊下へ出た。
そして、突き当たりにある豪奢な作りの扉の前で立ち止まった。
「邪魔するぜ、シディーカ。」
「!! ああ、あんた! 生きててくれたのかい!!」
上等な敷物とクッションの上で寝そべっていた中年女は、バグラを見るなり彼の胸の中に飛び込んできた。
部屋の中に充満する噎せ返るような甘い煙。
思考を鈍らせ、性感を高める媚薬の香りだ。
それをまともに吸い込んだデケムは、思わず顔をしかめた。
「会いたかったよ、あんた! さあ、こっちへ来てお座りよ。」
鼻にかかった涙声で甘える中年女。
しかし、バグラは彼女を押し留めて話を切り出した。
「いや、今日はお前に頼みがあってきたんだ。」
その言葉で、シディーカはようやく、彼とともにいる2人のことに気が付いた。
「なに、その女は?」
「俺の仕事仲間だ。」
「そうなの? てっきりあたしの店に売りに来たのかと思った。」
値踏みするようにオルワを見つめる。
「残念。上品な顔立ちだし、頭も切れそうだ。その上、アルジビアの上玉。さぞかし売れっ子になりそうなのにねぇ。」
無遠慮な視線を受けても黙ったままのオルワに、彼女は「無口な女だね」と小さく息を吐く。
そして、名残惜しそうにオルワから視線を切ったあと、バグラの方へ向き直った。
「分かってるさ、あの子のことだろう?」
サファの名前を聞いて、デケムはぐっと奥歯を噛み締めた。
シディーカは、サファが切り盛りしていた酒場の所有者。
サファは元々、彼女の店で働く娼婦だった。
バグラの愛人の一人であるシディーカは、自分の所有する酒場を根城として彼に提供した。
その際、実の娘のように可愛がっていたサファに、酒場を任せたのである。
しかし、デケムと下働きのリディを逃がすため、彼女は自ら犠牲となった。
「ああ、ファティーマに会いたい。お前なら、居場所を知ってると思ってな。」
「もちろん、って言いたいとこだけどね。今すぐにって訳にはいかないよ。この街の現状、あんたも知ってるだろ?」
バグラは無言で頷いた。
シディーカは困った子どもを見るように、小さくくすりと笑った。
「何しろあんな荒事があった直後だからね。あたしらも商売しづらくって仕方がないよ。でも、ちょっと時間をもらえれば、すぐに渡りをつけたげる。あたしに任せておくれよ。」
彼女はそう言うとすぐに、下働きの娘を呼び出し、何事か言いつけた。
「あとは待つだけ。だから、ねえ、あんた・・・?」
しどけない仕草で体を寄せる彼女を、バグラは片手でひょいと抱え上げた。
「オルワ、旦那。ちょっと外してくれ。」
2人が部屋を出ると、廊下にはビラル老人が待っていた。
「お二人はこちらでお待ちください。」
老人は同じ階にある、少し離れた客室に2人を案内した。
高級なクッションの置かれた座卓には、砂糖菓子や酒器が準備されている。
老人の勧めにしたがって2人が座ると、程なく壁越しに小さな嬌声が響き始めた。
デケムは仏頂面。オルワは無表情。
気まずい沈黙の中、2人は時間がゆっくりと過ぎ去るのを、じっと待ち続けた。
その日の真夜中近くになって、客室の扉が叩かれた。
椅子に座ったまま、いつの間にかウトウトしていたデケムはハッと身体を起こす。
向かいの椅子のオルワも、ちょうど同じタイミングで目を覚ましたようだ。
デケムはすぐに扉を開けた。
「バグラさんがお呼びです。」
ビラル老人はそう言って、2人を2階にある娼館主の応接室へと2人を案内した。
「渡りがついたそうだぜ。」
応接室の座卓で酒杯を傾けていたバグラは、そう言って立ち上がった。
「あぁん。」
彼に寄りかかり、蕩けそうな瞳をしていたシディーカが残念そうに甘えた声を上げる。
「まったくもう。用事が済んだらいつもすぐに行っちまうんだから。ほんと、つれない男だねぇ。」
衣服を整えながら、シディーカは妖艶に微笑んでみせた。
かつては「悪徳都市の夜光華(アル=ライル)」と称えられた美姫。
加齢によって多少衰えたとはいえ、その美貌は未だ、見るものの目を釘付けにする。
「世話になったな、シディーカ。」
「あたしは段取りしただけ。どうなるかは、あんた次第よ。」
シディーカは座卓に置かれていた長煙管を取り上げ、優雅な仕草で煙をくゆらせた。
「協力を得られたらよし。もしダメなら・・・。」
クッションにゆったりと寄りかかりながら、彼女はふうっと煙を吐いた。
「おしまいね。あんたも、あたしも。」
煙の向こうで、彼女の目が冷たく光った。
一介の娼婦から成り上がり、歓楽街の表通りに長年店を構える彼女は、ただ美しいだけの花ではない。
その二つ名の通り、猛毒の香りを孕んだ夜光華なのだ。
歓楽街の調整役、ファティーマの右腕とも噂される彼女。
しかし、この街で『誰に会わせるか』は、『誰を敵に回すか』と同義だ。
バグラにファティーマの居場所を知らせるという今回の判断は、命を賭けた綱渡りに等しいものだった。
ナクリアットに命を狙われているとは言え、ファティーマはこのペルアネゲラの顔役の一人。
その力は絶大だ。
ましてや、この歓楽街は彼女の縄張り。
失敗すれば、生きてここを出ることは叶わない。
だが、バグラは彼女に背を向けたまま、ニヤリと笑った。
「俺ならやれる。そう思ってるから、渡りを付けた。違うか?」
その言葉に、シディーカの笑い声が重なる。
「そりゃそうさ。だって、あんたはこのあたしが見込んだ男なんだからさ。」
バグラは、扉の前に立った。
「また、来る。」
「ああ、待ってるよ、あんた。」
彼は二人の仲間とともに、応接室を出ていった。
バグラは結局、一度もシディーカを振り返ることはなかった。
彼女は目を瞑った。
瞼の裏に残ったバグラの背中を反芻する。
あの男は変わった。
もちろん、いいほうに。
彼女は再び目を開けると、身体に残る彼の跡を指先で軽く撫でた。
「・・ほんと、勝手なんだから。」
くすりと笑みがこぼれる。
その拍子に、涙が一筋、彼女の白い頬の上を流れて落ちた。
お読みいただき、ありがとうございました。




